『夜空』



  暗がりの中をサンジは歩いていた。
  半歩後ろを黙って歩くのは、ゾロだ。
  サンジは足早に島の外れの高台へと続く道を通り抜けていく。舗装されていない砂利道は道幅がさしわたし二メートルほどになっており、明るいうちに行き交った馬車や荷車などの轍の跡が残っている。今は遅い時間とあって人っ子一人いなかったが、それでもこの道が日頃からよく使われていることは足もとの状態からすぐにわかった。
  だからだろうか、歩く速度を落とすどころか、サンジは慣れた様子で歩を進めている。
  歩き始めてかれこれ半時間ほどになるが、まだ高台にはたどり着かない。
  夜の闇の中で目を凝らすと、道のずっと向こうの方に小さな灯りが見えている。高台には何もないと聞いていた。サンジが、そう言ったのだ。何もない高台だが、夜景がとても綺麗なのだと、そう聞いている。緩やかな坂を登りきると、次の坂が現れ、今度は海に面した道が高台へと向けてのんびりとしたカーブを描いていた。
「まだか?」
  いい加減に嫌気がさしてきたところで、サンジが振り返り、微かに笑った。
「もう、すぐだ」
  そう返されれば歩くしかない。ゾロは黙って再び歩き始めた。
  島の頂上にたどり着くと、下方に広がる家々の明かりや灯台の明かりがひしめき合い、眩しいほどだ。なるほど、サンジが絶景だと言うはずだ。
  高台の東屋には、テーブルに見立てた平らで大きな石と、ベンチが置かれていた。
「な? すげぇだろ?」
  さらりとサンジが尋ねかける。
  テーブルに軽く尻を乗せてゾロは、腕組みをした。
「……ああ、綺麗だな」
  人工の明かりではあるものの星々に負けない煌めきを放っており、高台からの景色としては見事なものだった。一際輝いているのは、あれはきっと港のあたりになるのだろう。
「ま、これは序の口だ。深夜になると、景色がかわってくる。それまで待とう」
  悪戯っぽい口調と笑みで、サンジが告げる。
  持ってきたナップサックの中から何本かの酒と、つまみにと詰め込んできた弁当を取り出すと、ゾロのほうへと押しやった。



  酒とつまみと、それからぽつりぽつりと口にするサンジの可愛もない話をぼんやりと聞き流すこと一時間ばかり。
  いつまで待たされるのかと訝しく思い始めた矢先にサンジが、もの言いたげな視線を向けてきた。
「ほら。見てみろよ」
  サンジの指さす方向を見ると、眼下に広がる灯りの波はいつの間にか消えており、ひとつ、ふたつと少なくなっている。
「ああやって人々が眠りにつくと、町に輝く星たちは消えてしまうんだな」
  ぽつりと呟いて、サンジはふう、と煙草を燻らした。
「まさか、こんなモンを見せるために俺を連れだしたわけじゃないだろう?」
  ゾロが尋ねると、サンジはにやりと口元に笑みを浮かべる。
「こんなもんのために連れ出したんだよ」
  と、どこか楽しそうに返してくる。
  一瞬、渋い顔をしたものの、それでもゾロは、サンジが何か考えがあってのことなのだろうと感情を抑え込み、続く言葉をじっと待った。
「家の灯りが消えると、空に本当の夜が戻ってくるんだぜ?」
  そう言うとサンジは立ち上がり、ぐるりとテーブルを回ってゾロを背中から抱きしめた。
「昼間、港近くの雑貨屋のおかみさんから聞いたんだ」
  煙草混じりのサンジのにおいは、ほんのりと甘いにおいがしている。なんだかわからないが、女子供の好きそうな菓子類のにおいだなと思いながらゾロは、抱きしめてくるサンジの腕に指を這わせる。
「この島は、数ある夏島の中でもこれといって目立たない、何の変哲もない小さな島だけど……一年のうちある一定の期間、観光客で賑わうらしい」
  サンジの言葉は淡々としている。低く穏やかな声は耳に心地よく、ゾロはそっと目を閉じた。
「今夜がいちばん綺麗なんだとさ」
  耳元に、誘いかけるようにサンジが囁きかける。
「……何がだ?」
  尋ねると、耳朶にやんわりと歯を立てられた。
「流星群が見えるらしい」
  ふぅん、と、ゾロが興味のなさそうな声で返した途端、髪をぐい、とひっつかまれた。
「いてっ……」
  鷲掴みにした髪を自らのほうへと引き寄せ、サンジは今にも噛みつきそうな勢いで唇を塞いだ。
「せっかく人がロマンチックな話をしている、ってのに、そりゃねぇだろ」
  掠れた声が、どことなく拗ねたように響いた。
「そうか。悪いな、そういうのには興味がなくて」
  真正面にあるサンジの顔から目を逸らし、ゾロは告げた。
「なに、それぐらい知ってるさ。なにせ、俺の目の前にいる奴はマリモだからな」
  フフッ、と小さくサンジが笑う。
  ゾロはそんなサンジの頬に手をあてた。
「じゃあ……ただのマリモかどうか、試してみるか?」
  そう言って、サンジの唇をペロリと舐める。やっぱり甘いなと、口の中で呟いてから下唇を甘噛みすると、サンジの舌がするりと口の中に侵入してきた。



  口づけの合間にサンジの手が、ゾロの衣服をたくし上げようとしてきた。異論はないが、されるがままになっている気もない。素知らぬ顔でサンジの股間に手を伸ばし、布の上からやわやわと撫でさすってやる。待ってましたとばかりにサンジが腰を押し付けてくるのに、ゾロは気をよくしていっそう強く唇を吸った。
  唇が離れていきそうになると、互いにあいているほうの手で相手の首の後ろを引き寄せ、さらに深く口づける。
  サンジの唾液は、彼のにおいと同じでほのかに甘かった。歯の裏に舌を這わせながら唾液を流し込んでやると、素直にサンジは飲み干していく。
  気持ちが高ぶっていくのがはっきりとわかる。
  海からの風も、潮のにおいも、木の葉のそよそよという音も、何もかもが頭の中から閉め出され、相手のことしか考えられなくなっていく──
「……見なくていいのか、星は?」
  ふと、思い出したようにゾロが尋ねかける。
「あ…──」
  我に返ったサンジは慌ててゾロから離れると、身繕いもそこそこに東屋から出て空を見上げた。
  紺碧の夜空に、輝く星たちの群れがあった。
  眺めているうちに、ひとつ、ふたつ、白い尾を引いて水平線の方へと星が流れていく。
「お、見ろよ」
  絶景だぞと呟いて、サンジは煙草に火をつける。
  ゾロは東屋の近くの大岩に腰を下ろすと、手にした酒を飲み始めた。
「なんだ、ムードのない奴だな」
  どこか呆れたようにサンジがなじる。
「お前こそな」
  小さく舌打ちをしたゾロは、自棄とばかりに酒をあおった。
  空は、流れ星で白く朧気に輝いている。
「もう少ししたら、さっきの続きをしようぜ」
  そう言ってサンジは、ゾロの隣りに腰掛けた。






END
(2007.7.16)



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