『愛は、キマグレ! 13』



  あっという間に時間は過ぎていく。
  気付けば正午を少し過ぎていた。
  先ほど、ゼフは店に出てきたばかりだ。夕べはロビンと会っていたはずのゼフだが、どうやら彼女の計らいで昔馴染みに会ってきたらしい。そのまま話が盛り上がり、結局、その昔馴染みとやらのところに泊まってきたと聞くが、本当のところがどうだったのかまではわからない。明け方の電話のことがあるから、サンジは顔を合わせ辛かった。まあ、向こうも似たようなところだろうか。
  荷造りを終えたボストンバッグを手に提げると、サンジはもう一度、自分の服装をチェックした。
  今日は、空港までゾロが送ってくれることになっている。ちょっと前にくいなが運転免許を取ったから、送っていってやると偉そうにあの毬藻男は言った。お前が運転するわけじゃないだろうと言いながらも、サンジは嬉しかった。
  くいなが見送りのためにわざわざ車を出してくれるということ。日本を発つギリギリまでゾロと一緒にいられるということが嬉しくて、サンジの顔は朝から締まりのない顔をしている。
「チビナス、そろそろ時間じゃねえのか?」
  カウンターの中からゼフが声をかけてくる。
「ああ、大丈夫だって」
  そう言ってサンジは、スツールにボストンバッグを無造作に置いた。珍しくゼフがコーヒーを淹れてくれた。素っ気ない仕草でゼフは、カウンターにコーヒーカップを置く。
  サンジは黙ってコーヒーを一口、口にした。
  それから、ごちそうさまと言ってカップをカウンターの奥へと押しやると、ボストンバッグの取っ手を掴んで店を後にした。



  店の裏手にある駐車場に行きつくまでに、ゾロはやってきた。サンジが見ている目の前で、くいなの車が滑るようにして路肩に止まった。ライトグリーンのミニバンだ。
「こんにちは、サンジさん」
  運転席から顔をのぞかせるとくいなは愛想よく、ニコリと笑った。
「さっさと乗れよ」
  助手席にふんぞり返って座るゾロが、声をかけてくる。
  サンジは車のドアを開けると、後部シートに乗り込んだ。
「サンジさん、料理修行に戻るんですって?」
  ハンドルを切りながら、くいなが尋ねてくる。
「ええ……まあ、はい」
  もたもたとサンジが言葉を返すのに、くいなは小さく笑った。
「じゃあ、恋人のことが心配ね」
  恋人。そうだ、ゾロとはまたしばらく会うことができなくなるのだと思うと、少し寂しいような気がする。
「そうなんですよ。もう、浮気されないか心配で心配で」
  軽い調子でサンジが言うのに、ゾロはこめかみに青筋を何本も立てた。
  触ると、瞬間湯沸器のように沸騰するのではないかと思うような気配を醸し出している。
「な、ゾロ。お前もそう思うだろ?」
  尋ねかけるサンジに、ゾロは怒っているのだぞと渋い顔をしてみせた。こめかみの青筋がピクピクとなっているのが面白い。
「いやだ、サンジさん。この朴念仁にそういうデリケートなことが理解できると思う?」
「いいえ、ぜんぜん」
  即答したサンジの言葉にくいなは、明るく笑い返した。



  和やかな雰囲気の中、くいなが運転する車は空港に隣接する駐車場へと入っていく。
  これでまたしばらくはゾロと会えなくなるのだと思うと、胸の奥がキリ、と痛む。あまり別れを意識しないようにしていたサンジだったが、やはり寂しいものは寂しい。
「さあ、ついたわよ」
  そう言ってくいなは後部シートを振り返る。
「ありがとう、くいなちゃん」
  愛想よくサンジが礼を告げるのすら、ゾロは気に入らない様子だ。ムッとした表情のまま、助手席でふんぞり返っている。
  サンジが何か言いたそうにしているのに気付いたのか、くいなはさっと車から降りた。
「……ゾロ」
  車から少し離れたところで伸びをしているくいなを横目に、サンジは助手席に座るゾロの肩にそっと手を置いた。
「ゾロ」
  もう一度、声をかけた。今度は少し強い口調で、肩をぐい、と引く。
「お前……」
  掠れた低い声が、ゾロの口から出た。
「ん?」
  サンジはすっと顔を寄せた。狭い車の中だからあまりスムーズな動きはできないが、これくらいならなんとかなる。
「浮気しないか心配なのはこっちのほうだ」
  拗ねたような眼差しが、すぐ近くでサンジを見つめる。
  エースとのことを言っているのだということは、すぐにわかった。確かに自分でも、エースとのことは軽はずみだったと思わずにいられない。しかしそんな軽はずみなことをしてしまうほど、寂しくもあったのだ。
  サンジはフッと微笑んで、ゾロの唇に自分の唇を押し当てた。



  うっすらと唇をあけると、すぐにゾロの舌が口の中へ潜り込もうとしてくる。
  それをサンジは、舌先で押し返した。
  互いの唇の間で舌先を何度も触れあわせ、わざとクチュクチュと湿った音を立てた。
  起き抜けにちゃんと最後までしておけばよかったと、今になって後悔の念がふつふつと沸き上がってくる。腹の底で血流が、熱く熱く沸騰していくような感覚がしている。これ以上はまずいだろう。
  名残惜しそうにゾロの舌先をチュ、と吸い上げてからサンジは唇を離した。
  ゾロの唇の端が唾液で濡れているのを見ると、離れがたく思う。もう一度、やんわりと唇を吸い上げてからさっと顔を離した。
「努力シマス」
  そう言うとサンジは上目遣いにちらりとゾロを見る。一見、ふて腐れたような表情をしているものの、目は、もう怒っていない。どうやら機嫌を直してくれたようだ。
「──おう。努力しろ」
  つっけんどんにゾロが言った。
  横柄な口調だが、その声はどこか優しくサンジの耳に響いた。



  手元のボストンバッグを掴むと、サンジは勢いよくドアを開け、車から降りた。
  助手席に座ったままのゾロは、サンジのほうをちらとも見ようとしない。
  少し離れたところで手持ち無沙汰にしているくいなのほうへ、サンジは大きく手を振った。
「くいなちゃん、俺、行ってくるよ!」
  だから見送りはここまででいいと、サンジは言った。
  これ以上ついてこられたら、別れがたくなってしまう。ゾロくらいに素っ気ないほうが、本当はありがたいのだ。
「いってらっしゃい、サンジさん」
  くいなが手を振り返す。
  ゾロがふんぞり返って座っている車のほうを一度も振り返ることなく、サンジは空港の玄関口へと歩き出した。
  きっと、ゾロには通じているだろう。気持ちなら、さっきのキスで通じているとサンジは信じている。
  駐車場を出て空港の入り口を潜ると、サンジは自分が乗る便をさっと確かめた。あと十五分もすれば、搭乗が始まるはずだ。サンジは足早に航空会社のカウンターへと向かった。
  搭乗手続きを終えると、わき目もふらずに出発ロビーを通り抜けた。
  修行に出るため、初めてここへ来た日のことをサンジは思い出していた。
  あの日は、ゼフとロビンが一緒に来てくれていた。あれからそんなに時間は過ぎてはいないはずだが、もう何年も前のように感じることがある。
  今度帰ってくる時は、修行が終わった時だ。それまでにサンジがやらなければならないこと、学ばなければならないことは山のようにある。
「絶対、すぐに戻ってくるからな」
  搭乗口へと向かいながらサンジは、胸の内で自分自身に言い聞かせた。
  きっとゾロは、サンジを待っていてくれるはずだ。
  口元に柔らかな笑みを浮かべたままサンジは、背筋を伸ばし、確かな足取りで歩き続けたのだった。



END
(H22.8.14)



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