目を開けると、春霞の顔のすぐそばに自分のものではないてのひらがあった。
一瞬ぎょっとしたものの、この手が愛しい人のものだということに思い至り、春霞は小さな笑みを口元に浮かべた。
本音を言うともっとゆっくり休んでいたいが、そうもいかないだろう。
春霞は音を立てないようにそっと褥から抜け出すと、薬研がいつも夜着として身に纏っている着物を肩に軽く羽織る。
障子を開け、縁側に出ると爽やかな朝の陽射しを全身に浴びた。
中庭に降りた雀たちが賑やかに囀り、隅のほうに設置した餌箱の周りを忙しなく行き交っている。
背後の褥を振り返ると、薬研はまだ眠っていた。起こすのは忍びないが、そろそろ身仕度を整えてもらったほうがいいだろう。
春霞は褥の側に膝をつくと、愛しい人の頬にかかる髪を指ですいた。
「うぅ……ん?」
僅かに身じろいだかと思うと、薬研は目を開けた。
菫色の柔らかな色の瞳が、真っ直ぐに春霞を見つめてくる。
「……もう朝か」
淡々とした口調に感情はなく、彼がどう思っているのかはわからない。だが、春霞は朝が来て、自分一人だけの薬研から大多数のうちの一人の薬研となる瞬間がもっと先になればいいのにと思わずにはいられなかった。
「そろそろ起きて、薬研。皆が起き出してくる頃だわ」
自分に言い聞かせるように告げると春霞は、薬研の額にそっと唇を落とす。
「今日の合戦、気を付けてね」
今日だけではない。いつもいつも春霞は、その日、出陣する刀剣男士たち全員の身を案じている。
薬研は手を伸ばすと春霞の頬に指先で触れた。
「心配するな。必ず全員無事に戻るから」
その言葉に春霞は微かな笑みを返した。
それから愛する人の唇に自らの唇を重ねると、やんわりと下唇を吸い上げた。
(2015.9.28)
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