「こっち。こっちだよ、主」
とっぷりと日が暮れて後で、厚藤四郎から女審神者は中庭の奥に呼び出された。
暗がりに慣れない目できょろきょろとあたりを見回してみるも、誰かいるようには見えない。 「厚……厚藤四郎、どこにいるの?」
少しムッとした様子で女審神者が声を上げると、頭上から声が返ってきた。
「こっち! こっちだって!」
焦れたように女審神者を呼ぶ声は、すぐそばの木の上から聞こえてくる。
「……厚くん、いるの?」
怪訝そうに女審神者は顔をしかめ、張り出した枝をじっと凝視する。
「ここからだと、月がよく見えるんだぜ?」
どこかしら誇らしげに厚は告げる。
「木の上にいるんでしょう? 危ないわよ」
女審神者はそう言ったが、厚は「大丈夫さ」と言い放った。
「ここからだと、月も星も近くに見えるんだ。手を伸ばせば……」
言いかけた厚の言葉を、女審神者は遮った。
「ダメよ、危ないんだから。すぐ下りてらっしゃい!」
足でも滑らせて木から落ちたらどうするのだと、女審神者は肩を怒らせて「下りてきなさい」と声をかける。
「主も木に登ってみなよ。そうしたらこの景色がどんなに綺麗かわかるってば」
厚は、女審神者の注意など気にした風もなく、そう言った。
女審神者ははあ、と大きな溜め息をつくと木の幹にてのひらを押し当てる。
「ごめんね、木登りは苦手なの」
だからここから月を見るわ、と女審神者は返す。これ以上、厚に注意をしても下りてきてくれないのなら、せめて木の下で彼が無事に下りてくるのを待とうと思ったのだ。
木の上から眺める景色が美しいだろうことは、女審神者にも想像することはできた。だが、根元に腰を下ろして眺める夜空もなかなかの景色だ。
二人して同じ月を眺めているのだと思うと、それだけで何とはなしに嬉しくなってくる。
今、二人で同じ景色を見ている。
女審神者は夜空を見上げ、月と星とをぼんやりと眺めた。
今夜の空は雲ひとつなく、しんと冴え渡っている。ほぼ満月に近い十四夜の月が白く輝き、星々が気紛れに瞬いている。自分がいた世界では、こんなに美しい夜空を独り占めすることは難しくなってきていて一握りの人々だけにしか楽しむことができなくなってきている。
「綺麗ねえ、本当に……」
ほぅ、と女審神者が溜め息をつくと、木の枝にぶら下がった厚が頭だけをひょい、と突き出してくる。
「明日は皆でお月見をしようぜ」
きっと楽しいよ、と厚に言われて、女審神者は頷いた。
こんなに美しい夜空を、皆で愛でずにどうしようというのだろう。
「そうね。明日は十五夜だから、皆でお月見をしましょうか」
だけど、と女審神者はこっそりと胸の中で思った。その前に今夜一晩、この景色を独り占めさせてほしい、と。
いや、厚と一緒だから二人占めとでも言えばいいのだろうか。
のんびりと空を見上げながら女審神者は、この美しい景色がいつまでも続きますようにと願わずにはいられなかった。
(2015.9.23)
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