右手

  パタン、とドアが音を立てて閉まる。
  黒子が部室を出ていってしまうと、部屋の中には火神一人が取り残されてしまった。
  体の中ではいまだに残された熱が燻っており、どうにもならない凶暴な気持ちが血管の中で暴れ回っているような感じがする。
  ダン、とロッカーのドアを殴る。
  ジリジリと、火種が燻っている。興奮の火種であり、欲望の火種でもあるその熱に、火神ははあ、と溜息を零す。
  この熱の鎮め方は、今のところひとつしかない。
  他にも方法があることは知っているが、そちらの方法で熱を逃がすよりは、こちらのほうが断然お手軽だ。
  一人きりの部室のロッカーにもたれると火神は、まだ身に着けたままだったハーフパンツの中へと右手を忍び込ませた。
  酷く乱暴で投げやりな気持ちになっていた。試合や練習の後に苛立った気持ちが残ると、こんなふうに体が熱を帯びたままのことがよくあった。
  股間の高ぶりは、熱くて、固くて、先端がじっとりとしていた。明らかに汗とは異なる湿り気具合に、火神は自嘲気味の笑みを口元に浮かべる。
  黒子の気持ちが知りたくてたまらない。
  さっき、キスをしても黒子は嫌がらなかった。多分。本気で嫌なら、きっと火神を殴り飛ばしてでも逃げ出していただろう。そうでなくても、できる限りの抵抗をしたのではないだろうか。だが、黒子は唇を合わせて、舌を絡み付かせてきた。火神の腕にしがみついて、陶酔したようにキスを続けた。
  腕に残るミミズ腫れの痕を見おろして、火神は不機嫌そうに低く呻く。
  あの男がいったい何を考えているのか、火神にはさっぱりわからない。
  完全に拒否するのなら、まだわかる。だが、確かに唇を合わせていた時には自分と黒子は、同じ気持ちでいたはずだ。それとも……熱を鎮めるための手軽なやり方として、たまたますぐ近くにいた火神とそんな雰囲気になってしまっただけなのだろうか?
  どちらでも構わないと火神は思う。
  あの生っ白くてたいして筋肉のついていない肌に触れることができるのなら、それでも構わなかった。
  触りたい。あの男の肌に、唇に、触れてみたい。
  雰囲気に流されてキスをしたら、彼の唇は柔らかくて甘かった。唇を割って口腔の中に舌を潜り込ませると、熱くて、躊躇いがちに柔らかな黒子の舌が絡みついてきた。唾液を啜ると、美味しかった。もっと啜りたい、キスを味わいたいと思った。
  次に彼に触れることができるのは、いつだろう?
  どのタイミングでチャンスは訪れるだろうか?
  そんなことを考えながら火神は、右手を忙しなく動かした。
  陰茎を握りしめ、扱き上げると下着の中でグチュッ、と湿った音がする。
  先走りが陰毛や下着を濡らしているのをじっと見つめながら、これが黒子の性器だったらどんな感じだろうかと考える。
  きっと黒子のペニスは、あの小さくてひょろりとした体格に似て、ほっそりとしているはずだ。淡いピンク色の先端を爪でこじ開けて、ぐりぐりと押し潰してやったらどんな声で啼いてくれるだろう。先端にぷっくりと滲み出した先走りを指の腹でぬぐってやりたい。鈴口に塗り込めたら、腰をビクビクと揺らしてくれるだろうか。イく時の声は、どんなふうに聞こえるだろう。
  目を閉じて、火神は竿を扱く。
  グチュッ、グチュッ、と音を立てて、先走りを手のひらで竿全体に塗り込めながら、必死になって竿を扱く。
  腰から腹の底にかけてのあたりで燻っていた熱が、さらに全身から集められていく。心臓は早鐘を打っている。まるで全力疾走した後のように、次第に息が荒くなってくる。
  黒子の声が聞きたいと思う。
  あの顔を見たい。何を考えているのかわからない深い眼差しを見つめながらイきたい。
  イく時に、黒子が甘く囁いてくれたらとも思う。
  さっきみたいに腕にしがみついて、子猫がするように引っかかれるのもいいかもしれない。
  きっと、あの男の汗のにおいは蜜のように甘いだろう。さっきはそこまで気が回らなかった。残念なことをしたと火神は思う。首筋に鼻先を埋めて、あの男のにおいを鼻腔いっぱいに吸い込んで……甘く啼かせて、喘がせて。
  考えれば考えるほど、体の熱が上昇する。
  それにつれて、火神の手の動きもますます熱心なものへと変化していく。
  先端を手のひらでぐりぐりとなぞり、溢れる先走りをニチャニチャと塗り込めると、腰が揺れる。
「く……っ」
  挿れたい。
  あの男──黒子の中に、挿れたい。
  欲望の塊を突き立て、自分のもので擦り上げたい。
  そんなことを考えても、叶わないことはわかっている。
  さっきのキスだっておそらく、不意打ちだったから応じたのかもしれない。ただ雰囲気に流されて、火神に応えただけかもしれない。
  自分はいつからか黒子のことが気になっている。
  少なくとも、あの背の低い男の姿が視界の内側にある時は、目で追いかけるほどに。そしてバスケットコートの中では、誰よりも信頼のおける男だということを火神は理解している。
「黒、子……」
  抱き壊してしまうぐらい強くあの細っこい体を強く腕に抱きしめて背後から犯したらどんなにか心地いいだろう。
  この熱を鎮めるために、あの白い肌に唇を寄せ、血と精液とで汚してやったらどんなに気持ちいいだろう。
「は……」
  我ながら倒錯している。本当はそんなふうに黒子を扱いたいわけではないのに、どうしてこうも体の熱を持て余している時というのは、要らぬことを考えてしまうのだろう。
  目を閉じていると、こめかみがピクピクとなるのが自分でもわかった。
  竿を握る手に力を込めると、熱の塊が腹の底でぐるぐると巡り出す。解放されるのを今か今かと待ちながら、火神の体を焼き尽くそうと待ち構えている。
  くい、と手首を捻ると、絶頂が目の前にあった。
  ドクッ、と白濁したものがてのひらを濡らす感触があり、火神はそこでようやく、自分がイッたことに気付いた。



  結局、部室を出たのは夜のいい時間になってからだ。
  部屋に鍵をかけた火神は職員室には寄らず、そのまま帰路についた。
  家へ帰っても何をするでもない。家というのは、トレーニングをしない時に食べて寝るだけの場所でしかなかった。それ以上でもそれ以下でもない。
  帰れば、飯の用意がある。朝、炊飯器のタイマーを押してきているから、帰ったら作り置きのおかずでいつもより少し遅い夕飯を食べ、後は風呂にでも入って寝るだけだ。
  それでも体の熱がぶり返してきたら、部室でしたことを今度はベッドの中でおさらいするだけだ。
  黒子をオカズにマスターベーションをしたことを、火神は悔いてはいない。あの瞬間、自分はやはり黒子を抱きたいと思っていた。どうして自分と同じ男を抱きたいと思うのかはまだわからないが、その欲求はごく自然なもののように思われた。
  黒子は、自分は影で火神は光だと言っていた。光が影に、また影が光に惹かれたとしてもおかしくはないだろうと、火神は自分で自分に言い聞かせる。それともこれは、自分を正当化しようと躍起になっているだけだろうか。
  とにかく、何でもいいから早く家に帰りたいと火神は溜息を吐き出す。
  歩きながらもまたもや下半身が催してくる。熱をすべて放出しきることができなかったのか、このままでは帰宅したらすぐに冷たいシャワーを浴びなければならなくなりそうだ。
「チクショウ……!」
  黒子が悪いのだ。あの時、あのままヤらせてくれていたら火神の体のこの熱は収まっていたはずだ。それを、黒子……あのひょろいチビが、逃げたりするから。
「……ヤりてぇ」
  ボソリと呟いて火神は、自宅へと向かう足取りを少しだけ早める。
  どうしてくれようかと心の中で火神は考える。ただチャンスを待っているだけでは、いつまでたっても黒子を手に入れることはできないだろう。
  いや、ちょっと待て。手に、入れる……?
  道端に立ち止まって火神は、首を傾げる。
  今、自分は、黒子を手に入れたいと思った。どうしてそんなことを思ったのだろう。
  あくまでも黒子はチームメイトでしかない。自分と同じ男で、クラスメートで、チームメイトだ。彼を手に入れたいと思うことは、つまり自分はそれだけ黒子に執着しているということだが、それは、どういう種類の執着になるのだろうか。
  単なる体の興味だけなら、たいしたことではないだろう。欲求不満の解消の手として、たまたま近くにいた黒子に白羽の矢が当たっただけだと思うことができる。
  だが、そうでない場合はどうしたらいいのだろうか。
「あー……」
  低く呻き声をあげると火神は、のろのろとした足取りで歩き出す。
  とりあえず、家へ帰るのが先だ。
  考えるのはそれからでも遅くはない。
  こういう時は、どうしたらいいだろう。相談をするにしても、適切な相手が思い浮かばない。
  いや、いる。一人だけ……火神が相談できそうな人物で、同性同士の恋愛にも寛大そうな人物が、一人だけ──アレックスだ。
「やっぱ、相談するか」
  行き詰まってどうにも身動きがとれないぐらいいっぱいいっぱいになったら、アレックスに相談するしかないな。そう口の中で呟くと火神は、はあぁ、と溜息をついた。



(2012.8.25)


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