唇に、微熱

  ベッドの中でゴロン、と寝返りを打つと黒子は、はあぁ、と溜息をついた。
  体が熱くてたまらない。
  学校から帰宅してすぐにシャワーを使った。ぬるいというよりも冷たい、ほとんど水に近いシャワーを頭からかぶって、しっかり体の熱を抜ききったはずだった。
  それなのに、ベッドの中に入った途端、体のそこここが熱くなってきて、今はもう、眠れないほどだ。
「キス……」
  溜息をついた唇へと、黒子は指を押し付ける。
  唇に触れた感触は、指の感触だ。部室で火神にキスされた時とはまったく異なる感覚に、黒子はドキリと胸を波立たせる。
  火神に肩を掴まれた瞬間、電流のようなものが黒子の全身を駆け巡った。
  体が震えそうになるのをぐっと堪えて、男の顔を覗き込んだのがいけなかったらしい。目の前にいる男の獰猛な眼差しに捕まってしまった。魅入られたように動きを止めてしまったのも悪かった。飢えた野獣のように目をすがめた男に、呆気なく唇を奪われた。
  男のすねを蹴飛ばすのがやっとだった。
  逃げようと思ったが、それほど切羽詰まってはいなかったように思う。
  甘く見ていたのか、それとも……それとも、自分自身、あの男に奪われることを望んでいたのか。
  片手で唇に触れたまま、もう一方の手を、パジャマズボンの中へと潜り込ませる。
  熱はまだ、確かにこの体に残っている。
  胸の奥をチリチリと焼き焦がすような、もたついた熱に黒子は口元を微かに歪ませた。
  こんなにも体が熱いのは、彼……火神のせいだ。
  唇に触れていた指を、口の中に入れた。
  火神の舌が口の中へ潜り込んできて、舌を吸い上げたのを覚えている。唾液を送り込まれて、驚きながらもそれを黒子は嚥下した。他人の唾液を口にするのは初めてだったが、黒子はそれをおいしいと思った。肩口に顔を寄せると火神のにおいと汗のにおいがしていた。
  そういった諸々のことを考えながら、口の中の指に、舌を絡める。これが火神の指だったなら、自分はどんなふうに舐めるだろう。口をすぼめて指をしゃぶると、口の中が気持ちよかった。指も、気持ちいい。
  下着越しに触れる性器も、いつもより熱く感じられた。それに、半分ほど固くなっている。
  やっぱり熱が抜けきれていないんだ。そう思うと、部室での火神の行動が憎たらしく思えてくる。
  中途半端に煽るだけ煽っておいて、こちらが逃げるがままに放置したのだ、火神は。
  まったく、なんて男だろうと黒子は、口にくわえた指に軽く歯を立てた。
  許せないのは、彼が中途半端な気持ちで黒子に手を出そうとしたことだ。どうせ手を出すなら、最後まで完遂するつもりで手を出してほしかった。こんなふうに何もかもが中途半端なままで放り出されてしまうと、黒子としても辛くてたまらない。
「ん……ぅ……」
  口に入れた指を引きずり出そうとすると、クチュン、と恥ずかしくなるような湿った音がした。
  下着越しに動かす手の下で、性器が少しずつ硬度を増していく。いつの間にか先走りが滲んで、下着に染みを作っていた。手のひらに感じる湿った感触に、黒子は刺激され、ますます息を荒くする。
  あの男は、こんなふうに黒子を抱くつもりなんてさらさらなかったのかもしれない。
  ただキスをして、それで熱を発散させることができればいいと思っていたのかもしれない。あまりにもお手軽すぎて、その先を密かに望んでしまった黒子には、何も言えない。
  自ら進んで体を投げ出すようなことはしたくはなかったが、火神になら抱かれても構わないと思った自分がいる。ほんの一瞬のことだったが、確かに黒子は、火神に対して何らかの感情を持ってしまった。そのため、彼のところから逃げ出すはめになってしまったのだ。
  彼を好きなことは、悪いことではない。罪悪感を感じる必要もなければ、卑屈になることもない。いつもと同じ、普段通りにしてさえいれば、黒子にだって火神にだって、今現在の自分たちの立ち位置が見えてくるはずだ。



  手を動かすと、下着の中で勃起したものが布地に擦れて、思いがけない快感を呼び起こした。
「んっ……ん、ぁ……」
  思わず腰を揺らしてしまうほどの強い快感に、口の中に入れていた指を噛み締める。
「ぅ、く……」
  あの男は今頃、どうしているだろう。
  人の体を煽るだけ煽っておいて、あっさりと放り出した憎たらしいあの男は、今頃いったい何をしているだろう。
  布越しに触れるのは焦れったく感じられ、いつしか黒子は、下着の中に手を入れていた。
  直接、性器に触れてみる。竿を握り、手を上下させる。気持ちがいい。時折、陰毛が手に触れた。それもまた気持ちいい。
  本音を言うと、火神にはもっと触って欲しかった。キスだけでなく、もっと……頬や首筋や、それから……体中に手を這わして、くちづけてもらいたいと思っていた。
  そんなことを考えてしまう時点で、自分はどうかしている。自分と同じ男の火神相手にいったい何を考えているのだと思うが、それでも、触れて欲しいと思う気持ちに嘘はない。
  手をくっ、とスライドさせると、新たな先走りが先端から溢れてくる。
「あ、あ……」
  腹の底に集まった熱が、出口を求めて暴れている。
  手の甲に歯を立て、声が洩れるのを黒子は堪えた。
  腰を揺らすと、もう一方のてのひらに先端が押し付けられ、そこからまた新たな快感が溢れてくるようだ。
「っ……」
  竿がブルッと震えて、腹の底から根の塊がこみ上げてくるような感覚がした。
  このままイったら、後悔することは目に見えている。火神のことを考えながらマスターベーションをするだなんて、自分はどうかしている。こんなに体が熱いのも、あの男のことを考えてしまうのも、何もかもすべて、火神が悪い。中途半端に体の熱を煽ってくれたりするからだ。
「ん、ぁ……あ……」
  横になったまま体をくの字に丸める。上になったほうの足が、何度もシーツを蹴る。
  もっと……もっと、気持ちよくなりたい。火神に触れられて、イきたい。噛み締めた手の甲に新たな歯形を残して、黒子はイった。
  てのひらを濡らすドロリとした生暖かい感触が、気持ち悪かった。
  ベッド脇に置いてあるティッシュボックスから何枚かティッシュを抜き取り、手を拭いた。それからくたりとなった性器に残る汚れを始末して、何事もなかったようにベッドにうつぶせる。
  じっとりと汗ばんだ肌に、ベッドに残る熱が不快だ。やっぱりもう一度シャワーを浴びてくるかと体を起こすと、黒子は部屋を出た。
  バスルームでぬるめのお湯に当たった。
  ゆっくりと時間をかけて体に残っていた熱を今度こそすべて抜ききってしまうと、ようやくバスルームを後にする。新しい下着とパジャマに着替えて部屋に戻ると、何故だかホッとする。
  机の上に放り出したままの携帯が着信のあったことを知らせていたが、今は確認するのも面倒に思えた。そのまま電源を落としてからまた机に戻す。
  今日はもう、寝てしまおう。
  枕元の時計を確かめると、真夜中を少し過ぎた頃だった。
  寝なければ。
  そうして、体にこもっていた熱も、火神にキスをされたことも、何もかもすべて忘れてしまうのだ。
  明日になれば、またいつもと同じ日常が戻ってくる。
  食べて、学校へ行って、好きなバスケをして。
  何食わぬ顔をして皆と言葉を交わして、それからまたバスケをして。
  とは言うものの、嫌でも火神と顔を合わして、言葉を交わさなければならないことを考えると、それだけで複雑な気持ちになる。
  火神は、何か言うだろうか、昨日のことを。
  何も言わないでくれたらと黒子は思う。
  昨日のことをなかったことにしたいわけではないが、それでも、何かしら仄めかされるのはいい気がしない。かと言って、なかったものとして知らん顔をされるのも腹立たしい。
  単にキスをしたいだけだったと言われたら、それもまた気に食わないことがわかっていたから、黒子はますます憂鬱になる。火神と顔を合わせたら、どうしたらいいのか。何を話せばいいのかが、わからない。
  困った。
  はあぁ、と溜息をつくと、唇へと指を持っていく。
  ここに、火神の唇が触れた。
  唇の上にはまだ、あの時の熱が残っているような感じがしてならない。
  熱かった。火神の唇は熱くて、甘くて……何度でもくちづけたいと思った。
  逃げるようにして部室を後にしてしまったが、明日、どんな顔をして火神と顔を合わせればいいだろう。
  どうすれば。
  はあ、ともうひとつ溜息をついてから黒子は、目を閉じる。
  眠らなければ。明日もバスケ部の練習はある。少しでも強くなりたいし、何よりも火神の姿を見たいと思う。
  顔を合わすのは気まずいが、姿を見たいと思うのは、我ながら矛盾している。
  それでも、どうしたらいいのかわからないのだから仕方がないではないか。
  躊躇いながらも唇をなぞると、火神に触られているような感じがした。あの熱っぽい大きな手で、もっと触って欲しかった。
  唇も。その他の部分も。もっともっと、熱くして欲しかった。
  何よりももう一度キスをして欲しいと思っている自分が、いちばん許せない。
  こんなに曖昧で中途半端な気持ちでいる自分に、黒子は小さな自己嫌悪を感じずにはいられなかった。



(2012.8.26)


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