「──また何か企んでますね」
ぼそりと呟くとトウボクは、こそこそと自分の後をつけてくる閻魔大王の姿を目の端に確認した。
閻魔大王と言うとこの黄泉の国では有能な統治者だが、時たま、とんでもない悪戯を仕掛けてくることがある。特にトウボクは、格好の餌食……いや、玩具だろうか。ともかく、毎日のように悪戯をされている。
何かされるのではないかと身構え、全身を緊張させたものの、閻魔大王はふらふらとあちらこちらへ寄り道をしながらトウボクの後をつけてくるばかりで、まだ何も仕掛けはこない。
いったい今度は何をやらかそうとしているのだろうか。
少し前には、物陰から飛び出してきて驚かされるという何とも古典的な手段を使われた。あの時は確か、「一日一回、部下は上司に驚かされる」という規則ができたのだと閻魔大王は言っていた。
そのためトウボクは、今も毎日のようにあの手この手で閻魔大王に驚かされている。
「ああ……あんな無茶苦茶な上司のいる職場で働くのはもう嫌だ……」
溜息と共に低くトウボクは呟く。
悪気があってしているのではないということは、わかっている。優れた力を持つ上司だが、部下を陥れようとしたり、あからさまに悪意をぶつけてきたりといったことをしたことはない。
だが、こうまでも悪戯三昧で好き勝手されてしまうと、生真面目なトウボクの性格からすると許せない部分が細々と出てきてしまう。
「悪気があってやっているわけではないことは、わかっていますけれど」
言い訳がましく付け足して、もうひとつ溜息をつく。
気が付くと、背後をふらふらとついてきていた閻魔大王の姿はいつの間にか消えていた。
立ち止まって後ろのほうをじっと凝視してみるが、姿どころか、閻魔大王の気配はこれっぽっちもしていない。
はあぁ、と安堵の溜息を零してトウボクは、スタスタと目的地へと歩き出した。
巡視に出ていた護衛部隊からの報告を受け取り、ひとつ、ふたつ指示を出したトウボクは書類を整える。
部隊長ともなれば、することは山とある。
黄泉の国全域の巡視もあれば、閻魔大王のお守りもある。暇でふらふらしているわけではない。
作成した書類をとん、と机の上で整えると、いくつかに分けて決裁箱の中に入れる。急ぎのものと重要なものには、蓋にひがん花の絵が描かれている。そうでない書類が入ったものは、何もないただの漆塗りの箱だ。決裁箱を両手で抱えるとトウボクは、閻魔大王の執務室へと向かう。
足取りが重いのは、決裁箱が重いからではない。気持ちが重いからだ。
これから閻魔大王と顔を合わせなければならないのだと思うと、それだけで気持ちが沈んでくる。
今日はまだ、悪戯はされていない。と、言うことは、だ。今からとんでもない悪戯を仕掛けられることもないとは言えないだろう。
「ああ……胃が痛い……」
重苦しい溜息をつくとトウボクは、ノロノロと執務室へと足を向けた。
一歩進むごとに足が鉛のように重くなっていく。
キリキリと胃が痛んでくる。引き攣れるような痛みがシクシクとさっきから続いている。
執務室の扉に手をかけて、時間をかけてゆっくり、静かに引き開ける。
いつだったか、扉を開けた瞬間に天井近くから氷水を浴びせられたことがあった。扉の影に潜んでいた閻魔大王に驚かされたこともあった。何度もそんな目に遭っているからだろうか、トウボクはいつの間にか自分が疑い深くなってしまっていることに気付いていた。
扉を開けて、しかし何事もなかったことにトウボクはホッと安堵した。
執務室には閻魔大王が、真面目な顔をして座っているばかりだ。
「おお、トウボク。どうかしたのか」
それまで目を向けていた書類から顔を上げると閻魔大王は、にこやかに声をかけてくる。
悪戯がなかったことにホッとしつつ、それでもまだ半分ぐらいは心の内で疑いながらトウボクは、閻魔大王のそばへと寄っていく。
「本日の決裁分です。急ぎの書類と重要書類はこちらのひがん花の印のついた箱に。そうでないものはこちらの箱にお入れしていますので…──」
ひとつひとつの決裁箱についてトウボクが簡単な説明をしていると、不意に表が騒がしくなった。どうしたのだろうと振り返ると、執務室の入り口にクロタケの姿があった。他の者もいる。
いったいいつの間にこんな人だかりができていたのだろうと思うほどの人数が、執務室の入り口に集まってきていたらしい。
「トウボク様、背中に張り紙が」
大股に執務室を横切って、クロタケはトウボクのそばへと歩み寄った。それからトウボクの背中へと手を伸ばし、さっと張り紙を外した。
「『閻魔大王LOVE。byトウボク』と書かれていますね」
淡々とした表情で、クロタケが告げる。
「あ……」
あの時だと、トウボクは思った。
少し前に閻魔大王の姿を見かけたと思ったが、あの時にはもしかしたら自分の背中には既に張り紙が張られていたのだろう。そうとも気付かずに自分は、あちらこちらを歩き回り、苦手な書類の作成をしたりしていた。
「や……」
「や?」
爽やかな笑みを浮かべた閻魔大王が、トウボクに尋ねかけてくる。
「辞めてやるっ!」
まだ手にしたままだった決裁箱をドン、と閻魔大王の机に叩きつけるとトウボクは、ドタドタと足音を荒げて執務室を後にする。
「もう嫌だ、こんな職場、辞めてやる!」
声を荒げて叫ぶものの、それがいつまでも続かないことはトウボク自身がいちばんよくわかっていた。
(2015.1.11)
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