冬といえば、白い雪だ。
ふわふわして、ひんやり冷たくて、気持ちいい。
ボタンは自室の窓から庭へと視線を向けると、朝からちらちらと舞う粉雪を眺めた。
楽しくて仕方がないのは、雪が降っているからだ。
白くて柔らかそうに見えるのにこんなに冷たいだなんて、小さな頃には思いもしなかった。
それにしても、あの雪たちは、いったいどこからやってくるのだろう。
空のずっと高いところから、誰かが雪を掬っては撒き、掬っては撒きしているのだろうか。
いったい誰が?と、不思議に思えてくる。
そもそもあんな高いところに登れる人がいるのだろうか。お伽噺に聞く仙術を使える人ならもしかしたら、空の上にも登れるのかもしれない。だが、ボタンはそんなことができる人を知らない。
いや、もしかしたら……と、ハッとボタンは気付く。
もしかしたら、ソトバなら、できるかもしれない。空の上に登って、ボタンのためだけに雪を降らしてくれることももしかしたら、彼ならばできるかもしれない。
「雪……か」
そんなことを考えていたら、無性にソトバに会いたくなってた。
少し前に出会ったソトバは、ボタンが知らない庶民の世界の人間だ。帝室の子孫であるボタンとは異なり、下々の暮らしを知る者だ。ボタンを綺麗だ、結婚したいと言ってくれた初めての男でもある。
「そう言えば、しばらくソトバには会っていないな」
このところ、天皇である父の公務が忙しく、そのせいで皇居の警備は一段と厳しくなっていた。あまり警備の者が多いと、さすがのボタンも皇居を抜け出すことができない。仕方がないので自室で抜け出す隙をうかがっていたのだが、あまりにも皆がバタバタするものだから、タイミングを逃し続けている。
自分がここにいることをソトバは知っているはずだ。
向こうから遊びにきてくれてもいいのではないかと、ボタンは思う。
いや、それよりも、自分が外に出ることができないのなら、ソトバにここまで来てもらえばいい。
「誰か……誰か、ソトバを連れてきなさい。今すぐに」
妙案だとばかりにボタンは、扉の向こうにいた警備の者に、ソトバを皇居の自分の部屋へ連れてくるようにと言い付けた。
もしかしたら時間がかかるかもしれなかったが、この景色を二人で楽しむことができるのなら、それでも構わない。ソトバがそばにいてくれるのなら。
窓際に用意した椅子に腰を下ろすとボタンは、臣下が用意したお茶を楽しむことにした。
お茶請けの月餅ほ口に入れると、餡がほろほろと崩れてふわっとした甘さが口の中に広がる。時々、熱いお茶を口にしてボタンは、ソトバの到着をのんびりと待つことにした。
昼を過ぎ、夕方近くになって件の者がボタンの部屋に戻ってきた。
片手には縄をしっかりと握り締め、その先には縄に繋がれたソトバが怖い顔をして立ち尽くしている。
「ソトバ……!」
まるで幼子のようにボタンは、ソトバのほうへと駆け寄っていく。
自分でも、ただソトバに会えただけでどうしてこんなに嬉しいのかわからない。身体が自分の意思に反して勝手に動いてしまうのは、どうしてだろう。
武芸で鍛えたソトバの筋肉質な体をぎゅっと抱きしめてボタンは、「会いたかった」と少し掠れた声で囁きかけかけた。
「会いたかったと言うのでしたら、もっとそれなのに扱いがあるでしょう、皇女様」
眉間に皺を寄せてソトバが返す。
「ああ、そう言えば」
ふと顔を上げるとボタンは、ソトバの体を拘束している縄を解くようにと臣下に命じた。
すぐにソトバの体は自由になった。
「なかなか手荒なお招きをありがとうございます」
皮肉めいた口調でソトバが言うのに、ボタンは口元を綻ばせた。
「会いたかったのだ、ソトバに」
会って、話をしたかった。他愛のない言葉を交わして、二人でお茶を飲み、窓の外の雪を眺めたかった。
ただそれだけだ。
「では、そのように言ってくれれば俺も逃げずにこちらへ参りましたものを」
真っ直ぐにソトバに見つめられ、ボタンは頬をほんのりと朱色に染めた。
「じゃ……じゃあ、疲れただろうから、ここで一緒に雪を見ていくといい」
つい今しがたまで自分が座っていた椅子の向かい側をボタンは指さす。
察しのいいソトバは、ボタンの向かいの席に腰を下ろすと穏やかに微笑んだ。
「雪が、綺麗ですね」
気が付くと、いつの間にか庭の木々に雪がうっすらと積もっていた。
白くなった庭からしんしんと冷たい空気が入り込んでくるが、不思議とボタンには気にはならなかった。
「寒くはなかったか、ソトバ」
女官がお茶と月餅を持ってきて、二人の前に並べていく。
「熱いお茶で体をあたためるといい」
二人で月餅を食べて、お茶を飲んで。
ポツリポツリと交わす言葉は本当に他愛のないもので、つまらないものだったけれど。
それでもボタンは幸せだった。
(2015.1.10)
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