はあ、と溜め息をつくと、静まり返った部屋の中がいっそうしんと感じられる。
窓の外を見下ろすと、あたたかな陽射しが降り注ぐ中庭では今まさに園遊会の真っ最中といったところで、たくさんの人々がカン十四世の周りに集まっていた。
ご機嫌とりの一団にちらりと目を馳せてからグラディは、また溜め息をつく。
王の取り巻きたちばかりが集う園遊会など、意味がない。王自身、もっと他に耳を傾けるべきことがあるだろうに、周囲の苦言に耳を貸すこともせず、傍若無人に振る舞っている。日々が無駄に過ぎていき、国民の血税が湯水のように放蕩につぎ込まれる。こんなことは、本来ならばあってはならないことだ。
外の景色を眺めながらグラディは、無意識のうちに親指の爪を齧っていた。
ガリ、と音を立てて爪を噛む。
窓の下では人々が騒ぎ、貪るように飲み食いを楽しんでいる。下等で、下品な貴族たちを見ていると虫酸が走る。
とは言うものの、近衛隊長としてグラディは、有事の際には彼らや彼らの王を守り戦わなければならない。おそらく敵は、かつての親友……今は袂を分かつことになったロズリーを始めとする親しい人たちだ。
気が進まないのは、かつての友人たちと事を構える気配がしていることだ。
ここひと月ほどの間、街には不穏な空気が漂っていた。皆が皆ピリピリとしており、道行く人とすれ違うだけでも大きな緊張を強いられる。
一方で王の周辺には贅沢と怠惰が蔓延っていた。
近衛隊長として進言をすることも考えたが、口下手な自分がうまく言い繕うことができるかどうかもわからなくて、胸の内にすべて飲み込んでしまっている。これでは駄目だとわかっているが、どうにも行動を起こすことができないでいる。
こんな時、ロズリーならどうするだろう。
幼い頃から共に肩を並べて学んだ親友は、今はもうここにはいない。
彼の冷たい眼差しの奥の優しさを知っているから、どんなに嫌事を言われてもグラディは気にしたことはなかった。むしろ彼の鋭い洞察力に自分は、随分と助けられてきたような気がする。
懐かしい、優しい親友ロズリーに会いたくてたまらない。
窓の外、園遊会のはるか向こうの街の様子を思いながらグラディは、またひとつ溜息をついた。
王の我儘は限りなく、尽きることがない。
園遊会の終わりがけに王は、狩りの提案をしてきた。
誰がいちばん大きな獲物を仕留めることができるのか、競わせようとしているらしい。
人民の気持ちを考えれば今はそのようなことをして遊んでいる場合ではないだろうに、王はどこ吹く風といった様子でこれっぽっちも気にはしていない。
正直なところ、今は狩りなどしている時ではなかった。
王の放蕩は、今日、明日にも国庫を食い潰してしまうまでの勢いになってしまっている。今すぐに園遊会だの狩りだのといった馬鹿馬鹿しいことをやめてしまって、直ちに人々の言葉に耳を傾けるべきだ。 親友のロズリーならきっと、自分よりも適切に事態を収拾することができるだろう。それなのに彼は今、ここにはいない。独裁的かつ封建的な王は、以前から身分の低い者を軽視していた。周りに侍るものたちはいつも身分が高い貴族ばかりだ。金と道楽と飽食、色欲にまみれた蛆虫のような連中ばかりを王は重視する。
「まったく……こんなことばかりしているから……」
呟いたものの、後の言葉は出てこなかった。ぐい、と腹の底に飲み込んで何もなかったような顔をしてグラディは王に付き従う。
自分は近衛隊長で、王を守らなければならない。
たとえ人民にとってはあまりよくない王だろうと、王は王だ。近衛隊長として忠誠の誓いを口にした以上、グラディには王を守るべき義務がある。
義務や責任を放棄することはできない。
小さく溜息をついたグラディは、先を行く王の背中をちらりと見た。
肩幅は狭く、まだ幼さの残る身体つきは少年と言ってもおかしくはない。王の顎は尖っており、その部分だけを見ていると我儘だとか自分勝手だとか傲慢だとかの言葉しか浮かんでこない。
「グラディ、馬を引け!」
不意に王が口を開いた。自分も狩りに参加したくてうずうずしているのか、馬が来るのを待つ間も惜しんでいる様子がうかがわれる。
「ただちに」
恭しく一礼して返すとグラディは、馬丁が馬を連れて来るのを待つ。
今、自分がすべきことは王を守ることだ。たとえ王が、どれほどひどい暴君だとしても。
──お前は優柔不断だからな。
不意に、そんな懐かしい声が聞こえたような気がした。
慌ててあたりを見回してみるが懐かしい親友の姿はどこにもない。
狩りの用意で周囲はざわついていた。男たちはふざけながらも今日の獲物について言葉を交わしあっている。女たちも似たようなものだ。好みの青年がこの狩りで手柄を立てることを期待しながら、こそこそと何事か囁き合っている。
間もなくして馬丁が馬を連れてきた。
グラディはこっそりと溜息をつくと、自分が果たすべきことをするために顔を上げた。
俯いていては、見えるものも見えなくなる。忠誠の誓いを口にした自分には、為すべきことがる。意に沿わないからと言って、王を守ることを放棄してしまったら近衛隊長としての自分までも否定することに繋がってしまうだろう。
「王、準備が整いました」
声をかけ、自分もあらかじめ用意させておいた愛馬に跨る。
すぐにあたりには狩の始まりを知らせるホルンの音が高らかに響き渡り、青年たちは我先にとこぞって林の中へと飛び込んでいく。
悠々と馬を進める王に付き従うグラディは、油断なくあたりをぐるりと見回した。
王を守るため、そして自身の存在意義を守るために。
(2015.1.25)
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