気紛れにソトバの元を訪れると、いつ見ても元気な彼にしては珍しくまだ布団に潜り込んだままだった。
ほんのりと赤い顔をして、夕べから喉が痛くてと、ソトバはどこかしら困ったように眉をハの字に寄せて呟く。
「うむ。それでは遊びに行けないな」
前回、ソトバと会った時に約束した店を案内してもらおうと思っていたのにと、ボタンはこっそりと肩を落とす。
たまの逢瀬なのにと地団駄を踏みたいところだが、先に会ったタケミチから「ソトバは今日は病気ですから遊びには行けませんよ」と釘を刺されているからさすがのボタンも無茶や我儘を言うに言えない。 ソトバが横になる寝台近くに置かれた椅子に腰を下ろし、何をするでもなくぼんやりとするばかりだ。
「すみません、ボタン様」
がらがらに嗄れた声でソトバが小さく告げる。
少し前から苦しそうな様子だが、こんな時にどうしたらいいのかを、ボタンは知らない。
手を伸ばしてソトバの額に触れてみると、思いがけない熱さにボタンは驚いて手を引っ込めた。
「ひんやりしてますね……」
目を閉じたままソトバが呟く。苦しいのなら黙っていればいいのにと思いながらもボタンは尋ね返した。
「冷たかったか? 苦しいならタケミチを呼んでこようか?」
ソトバは「いいです」と返すと、上掛けの中から手を出した。
「少しだけ、手を握っててください。冷たくて気持ちいいから」
甘えるように微笑まれて、ボタンは恐る恐る手をさしのべた。
すぐにボタンの手にソトバの指が触れてくる。指先の熱さに躊躇いつつも手を握ると、思ったよりもしっかりとした力で手を握り返される。
もう片方の手を伸ばすとボタンは、今度はソトバの額にてのひらを押し当てた。
「いっ……今だけ、だから」
言い訳のように口早に言い捨て、ぷい、とそっぽを向く。
無言のまま時間だけが過ぎていき、いつの間にかソトバは寝付いたようだった。
どれぐらい時間が過ぎただろう。
気付けば、どこからか美味しそうなにおいが漂ってきていた。
遠慮がちに入り口を細く開ける気配があり、見ると、タケミチが手に盆を持って様子をうかがってたいるようだった。
「皇女様に病人の看病なぞをさせてしまって申し訳ない。疲れませんか」
器用に片手で盆を支えたまま、もう片方の手ですぐそばの机に牡丹の絵のついた湯呑みを置く。どうぞ、と促されてボタンは「ありがとう」と素直に返した。
ついでタケミチは、土鍋の乗った盆を机に置いた。土鍋からは、懐かしいような優しいような香りが漂ってきている。食欲をそそられるにおいというのは、こういうのを指すのだろう。
「ソトバ、そろそろ起きたらどうだ。食べられそうなら粥でも腹に入れといたほうがいいぞ」
タケミチが声をかけると、ソトバはのろのろと目を開けた。
「腹減った……」
さっきよりも酷い声で、ソトバは空腹を訴えてくる。
「そうか。じゃあ、ボタン様と一緒に粥でも食べてもうしばらく休むといい」
そう言ってタケミチは、土鍋の蓋を開けた。途端に、今まで以上にはっきりと粥のにおいがあたりに漂い、はしたないことにボタンの腹がぐぅ、と鳴った。
「あー……これは、その……」
慌てて言い訳をしようとするも、タケミチはいいから、いいから、とボタンの前に粥をよそって差し出した。
「どうぞ、ボタン様。自分で言うのも何ですが、今日のはなかなかの味ですよ」
目の前に置かれた椀から立ち上る湯気は、ほのかに甘い香りも入り交じっている。粥の中に入っているのは、水餃子と茸、それに小さく刻まれた大根などの根菜類だ。
「……食べてもいいのか?」
声をかけると、「どうぞお召し上がりください」と返された。
億劫そうに起き上がったものの食欲はあるのか、ソトバはそそくさと枕元の卓の粥に手を伸ばす。それを横目でちらと確認してから、ボタンも匙を手に取った。
「また後で来るから、しっかり食っとけよ、ソトバ」
タケミチの言葉がソトバたち二人の耳に届いていたかどうかは、わからない。
椀も土鍋も空っぽになり、満腹になった二人は穏やかな気持ちで寛いでいた。
ソトバは喉の痛みが気になるらしく、しきりとお茶をすすっている。
皇居での生活においてできたての熱い料理を食べることのなかったボタンは、ソトバと出会ってから様々な料理を口にするようになった。タケミチの手料理は初めてだったが、露店で口にした粥よりもはるかに美味だった。もちろん、皇居で出される粥よりも露店の粥よりも、タケミチの粥のほうがもっとずっと美味だ。
「おいしかったぞ」
横柄にボタンが呟くと、ソトバがふっと微笑んだ。
「そうでしょう、ボタン様。師兄の作る料理は天下一なんですよ」
ガラガラの声でソトバが告げる。
「そうだな」
頷いてボタンも、あたたかなお茶を啜る。
腹が膨れたからだろうか、ここへ来た時はソトバと遊びに行けないことを残念に思っていた気持ちが、いつの間にか消えてしまっている。
「……今日は、せっかく訪ねてくださったのにすみませんでした」
ソトバのほうから先に謝られてしまい、ボタンは少しだけ気まずい思いをしながらも、小さく首を横に振った。
「今日は、楽しかった。ソトバと一緒にいられたし、天下一のお粥を食べることもできた。満足した」
そう言って微笑むボタンの笑顔も天下一の可愛らしさだと、こっそりとソトバは思った。
(2015.2.7)
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