裏山から見渡す景色は、一面が光の洪水のように思えた。
はあぁ、と溜息をついてボタンは山裾に広がる町の灯りを見下ろす。
昼間のように明るいのは、あちこちの家の門口に灯りが掲げられているからだ。
皇居の中にいては目にすることのできないあの光の渦たちを、もっと間近で見てみたい。近寄って、じっくりと眺めてみたい。
一歩足を進めると、カサ、と枯草の乾いた音がした。
「綺麗……」
それに時折、この裏山にまで楽しそうな声が聞こえてくる。花火や爆竹の音に混じって、人々のそれはそれは楽しそうな笑い声が聞こえてくるのだ。
行ってみたかった。
帝室の子孫だとか、そんなことは関係なく、行ってみたかった。自分もあの光の渦の中で、帝室の子孫という肩書を下ろしてはしゃいでみたいと、そんなふうに思ってしまったのだ。
「行ってみますか、皇女様」
いつの間にやってきたのか、すぐ下の道から声が聞こえてくる。
崖の下へと視線を向けると、灯りを手にしたソトバがいた。いつもと同じ格好で、足元にはうっすらと粉雪が積もっているというのに、寒くはないのだろうか。
「行っても……いいのか?」
あれは異国のお祭りで、町の人々の楽しみでしかないから、天皇の子孫には関係のないことだと、そんなふうにこれまでずっと聞かされてきた。だからボタンも今まで一度として、あの町の光に近づいたことはなかった。
「あなたが行きたいなら、お供しますよ」
そう言うとソトバは、ひょい、と飛び上がってボタンのすぐ傍へと降り立つ。
「俺はいろいろと修行を積んでいるから、町までなんてひとっ飛びで辿り着けます。町は楽しいですよ?」 ソトバの低い声に誘われるように、ボタンは首を縦に振っていた。
「行きたい……私を、町へ連れていきなさい、ソトバ」
つん、と顎を反らして高飛車に言うと、ソトバはクスッと小さく笑って「心得ました」と返してくる。
素早くソトバの腕がボタンを横抱きに抱き上げたかと思うと、裏山をものすごいスピードで駆け出していた。
町は様々な色の光に溢れていた。
赤、黄、青、緑……たくさんの色があちこちが輝いては、目まぐるしく別の色へと移り変わっていく。
輿に乗ると気分が悪くなるのが常だったが、今日はソトバの腕の中で気分が悪くなることはなかった。ただ、ほんの少しだけ胸がどきどきとして、頬が熱くなるような感じはしたのだが。
「今日はクリスマスなんで、皆お祭り気分なんですよ、皇女様」
ソトバはクリスマスと言った。そんなお祭りは、ボタンは知らない。ただ、庶民のお遊びだから関わるなとだけ、言われていた。
「……は、初めてなわけではないからな!」
それだけなんとか言葉を吐き出したものの、あたりの様子が珍しくてたまらない。
「皆、楽しそうだ」
皇居ではいつも、皆が皆、畏まって小難しい顔をして生活している。特にボタンの生活する宮は静かで、物々しい警護のついた堅苦しい場所でもある。
「そりゃあ、クリスマスですから」
物のわかったような顔をしてソトバが告げるのが気に喰わない。
ムッとしてボタンが何か言い返そうとした瞬間、通りすがりの見知らぬ男が「メリークリスマス!」と声をかけていく。すぐそばの露店の女主人も同じようにボタンに、「メリークリスマス」と声をかけてきた。
「め……めりぃ……く、くり……」
何かの呪文だろうかと隣を歩くソトバへちらりと視線を馳せると、彼は精悍な横顔に楽しそうな笑みを浮かべていた。
「ね? 楽しいでしょう、皇女様」
言いながらソトバはそっとボタンの手を取った。
「はぐれないように俺が手を引いていますから、安心してください、皇女様」
子どもじゃないのだからと言いかけて、ボタンは口を噤んだ。小さく頷いて、それからソトバの手を軽く握り返す。
目的もなくふらふらとただ町を歩いただけだったが、それはそれで楽しかった。
赤い異国の洋装をした白髪の男が、白い大きな袋から色とりどりの箱を取り出しては、子どもや大人に手渡している。ボタンにも「おひとつどうぞ、お嬢さん」と言って老人は、箱を差し出してくる。
もらってもいいものかどうかわからなかったが、ちらりとソトバを見ると彼は微かに頷いて受け取るようにすすめてくる。
「あ……ありがとう」
躊躇いながらもボタンは箱を受け取った。小さな箱は、綺麗な模様の描かれた紙で包まれていた。あまり重くはなかったが、歩くと、中からカラン、リン、と鈴の音が聞こえてくる。
「何が入っているのかな」
不思議そうにソトバが尋ねてくる。
すぐ近くに他人の顔があることが妙に気恥ずかしくて、慣れないものだからボタンは、すい、と身体を離した。
「さ、さあ……私にわかるわけがないでしょう」
天皇の子孫は天邪鬼なところがある。ムッとしてそう言い放つとボタンは、つん、とそっぽを向いた。
ソトバは気にするふうでもなく、はは、と笑ってボタンの手を引いた。
掌を伝わる体温があたたかくて、ボタンは小さく溜息をつく。
手にした小箱の中でまた、カラン、リン、と悩ましい鈴の音がした。
(2014.12.28)
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