「ソトバ!」
名前を呼ばれたと思ったら、不意に背後からドン、と何かがぶつかってきた。
「うわっ」
ドキッとしたのは、勢いよく背中にしがみつかれたからだ。腹の方へと回った細っこい腕が、ソトバをぎゅっと抱き締めてくる。
「会いたかったぞ、ソトバ」
その声を耳にすると同時にああ、とソトバは小さく呻いた。
少し前に出会ったボタンは、帝室の第三皇子だ。ほっそりとした華奢な身体つきから、ソトバは当初、ボタンのことを皇女様だと思い込んでいた。だが、すぐにその勘違いは翻されることになる。帝室の第三皇子だと知ってからはなるべくボタンとの関わりを避けるようにしていたソトバだったが、ボタンのほうは違ったらしい。まるでヒヨコの刷り込みのように懐かれてしまい、今では毎日のようにボタンがソトバを訪ねてくるようになってしまっていた。
「ソトバ、遊びに行こう」
今日は大道芸を見に行きたいと言い張るボタンに手を引かれ、ソトバは街へと出かけていく。 ソトバと出会って以来ボタンは、街のそこここを歩きたがった。あの露店は何を売っているのか、そこの茶店にはどんな菓子が置いてあるのか、髪飾りを買ってくれだの、帯留めを買ってくれだの、飴を買ってくれだのと我儘三昧だ。
これまでは、師兄との修行をするか、そうでない日は街の不特定多数の娘たちと親しくするかのどちらかだったから、ソトバはボタン一人だけと付き合うことに違和感を覚えて仕方がない。
「……言わなきゃわからないんだけどな」
ぽそりと呟くとソトバは、小さな溜息をつく。
一見すると可愛らしいお嬢さんに見えるボタンだが、これでもれっきとした男だ。手を繋いだ時の指の骨っぽさは可愛らしいお嬢さんのものではなかったし、ふくらみのないぺたんとした胸も今では男だからだということがはっきりとわかる。
はぁ、とわざとらしく溜息をついてみせると、いつの間にか腕を組んでいたボタンが隣でにこりと笑いかけてくる。
「楽しくないのか?」
上目遣いに尋ねられ、ソトバは慌てて目を逸らす。
「あー……いえ、楽しいです。ボタン様と一緒に出かけることができるなんて、三国一の幸せ者ですよ、俺は」
慌てて言い訳をすると、脛のあたりをしたたかに蹴飛ばされる。
「嘘つき」
むくれてボタンはそう言うと、ぷい、とそっぽを向く。
きまりの悪い思いをしているというのに、腕にかかる重みは何故だか心地よかった。
「そこの角に飴細工の店があるんですけどね、ボタン様。食べてみませんか?」
ふと思いついて声をかけてみると、ボタンがぱっとこちらを見つめてくる。
「飴細工?」
「そうです。動物の形をした飴や、花の形をしたものなんかもありますよ。覗いてみますか?」
「行きたい!」
間髪入れずに返してくるボタンの表情が、途端に生き生きとしてくる。
それを見てソトバは、ああ、やっぱりボタン様はお可愛らしいなと思う。
ボタンが男だということは重々承知の上だが、やはりどこかしら気にかかるものがあるのだろう。
ソトバはちらちらと、可愛らしく微笑むボタンの横顔を盗み見るのだった。
通りを少し歩いた先に、件の店はあった。
店先に並ぶのは、犬や馬、猿、狐などの動物をかたどった飴細工だ。他にも花や毬を模したものや、少し大きなものになると龍の飴細工まで並んでいる。
「すごい……すごい、すごい!」
大喜びではしゃぎまわるボタンの手に、ソトバは花の形をした飴をそっと持たせてやった。
「ほら、ボタン様と一緒ですよ」
白く小さなボタンの手の中に、赤い色をした牡丹の花の飴。甘ったるい飴のにおいに、ソトバはうっかりのぼせそうになる。
「綺麗だ……」
息をひそめてボタンは呟いた。
「これが欲しい」
ダメか? とおねだりをするように見つめられ、ソトバは一も二もなく懐から財布を取り出していた。
「オヤジさん、これもらうよ」
声をかけるとすぐに店主が奥から出てきて、二人に「オマケだよ」と小さな飴の粒が入った巾着を手渡してくる。
「ありがとう」
そう言ってソトバは巾着を受け取る。それから彼はボタンのほうをちらりと見た。
「あ……ありがとう」
ツン、ときまり悪そうにそっぽを向くボタンに苦笑しながらも店主は二人を見送ってくれた。 飴と巾着とを大事そうに両手で掬うようにして持つボタンの姿は愛らしくてならない。
のんびりとした足取りで街を歩きながら二人は、街の様子を楽しんだ。
途中、美味い月餅を出すと評判の店に立ち寄り、少しだけ足を休めた。
それからソトバは、ボタンを皇居の近くまで送っていった。
本当はボタンが門の内側に入るところまでを見届けたかったが、相変わらずのお忍びだったようだから、そうもいかないだろう。
「気を付けて帰ってくださいよ、ボタン様」
いくら末っ子とは言え、第三皇子に何かあったりしたらそれこそ大変だ。ソトバの首が飛ぶぐらいの大事に発展しかねない。
「大丈夫だ。ソトバは心配性だな」
からからと笑ってボタンは皇居の裏側に広がる林のほうへと足を向ける。
「この向こうに、抜け道があるんだ」
キョロキョロとあたりを気にしながら、ボタンは囁きかけてきた。
「林の奥は私の私室に繋がっているから、この次はソトバを私の部屋に招待しよう」
そう告げるとボタンは、素早くソトバの頬に唇を押し当てる。
「約束だからな!」
くるりと踵を返すとボタンは、小走りに林の奥へと駆けていく。
いくらこの林が皇居に繋がっているとはいえ、おそらくはどこかに警護の目が光っているはずだ。ソトバのような身分の低い者が迷いこんだら最後、どんな目に遭わされるかわかったものではない。
「……まあ、ボタン様が一緒に案内してくださるのなら、考えないこともないですけどね」
力なく口の中で呟くとソトバは、のろのろとした足取りでもと来た道を戻り始めた。
(2015.2.22)
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