『甘い時間』
「エース、爪」
ソファの上で膝を抱えた膨れっ面のサンジがぶっきらぼうに呟いたその瞬間、部屋の反対側にいたエースがそそくさと爪切りを持ってやってきた。
「爪を切ればいいのか?」
穏やかな口調で尋ねられ、サンジは手を差し出す。
「両方、切って」
明後日の方を向いてぶすくれているのを気にする様子もなく、エースはサンジの両手の爪を丁寧に切っていく。切り終わったら、ヤスリをかけて爪の形を綺麗に整えた。
「はい、おしまい」
愛想良くエースが笑いかける。それでもサンジは膨れっ面のまま、エースのほうをちらとも見ようとしない。
「喉が渇いた」
不機嫌丸出しのサンジは、横暴極まりない。それをエースは、ニコニコと愛想良く聞き入れている。もうかれこれ半日になろうとしているが、サンジはまだ不機嫌なままだし、エースはエースでサンジにかしずいて離れようとしない。
レモンの輪切りを浮かべたミネラルウォーターをエースがキッチンから持ってくると、サンジはそこで初めてエースにちらりと視線を馳せた。もしかしたら今日、初めてかもしれない。
「……腰が怠い」
怒ったようにサンジが告げる。
「怠くて、痛くて、思うように体が動かねぇ」
ギロリと剣呑な眼差しでサンジはエースを見つめた。
「あ……ええと……」
もごもごと口の中で呟くエースの顔は、微かに引きつっていた。
夕べは、確かに無茶をしたかもしれない。
二人で一緒に風呂に入った。昨日の朝のうちに夜は一緒に風呂に入ろうとサンジが宣言していたものだから、てっきり性的なものも含んだ意味でのことだと思っていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。
自分の間違いに気付かなかったエースは風呂に入って散々サンジのいいところを突き上げ、喘がせ、息も絶え絶えの状態にしてしまった。その後、体の熱がどうにも鎮まらず、ベッドでうとうととしていたサンジをエースは強引に抱いてしまった。
まるで十代の若造のようだった。
そのことをサンジは、今朝から怒っているのだ。
謝っても謝りきれないから、朝からエースはサンジにかしずいている。
部屋の片隅で忠犬よろしくちんまりと座り込んで、サンジの要望に応えるため、じっと朝から待機している。
「つまんねぇ……」
ぽそりとサンジが呟くと、エースは慌ててサンジの側に寄っていく。
「寄るな、変態」
冷たく言い捨てて、サンジはぷい、と顔を背ける。
「寝てる人間にいきなり突っ込んでガツガツ揺さぶるようなヤツは、俺の知り合いには一人としていなかった」
相変わらずサンジはソファの上で膝を抱えている。口にくわえた煙草は、朝から何本目のものだろうか。
「……ごめんなさい」
謝った途端に、いつもよりはるかに威力の落ちたサンジの蹴りが、エースの腹にヒットした。
「力が出ねぇ……」
今にも泣き出しそうな顔をして、サンジが弱々しく呟いた。
ソファの上でサンジがうつらうつらしていると、口にくわえたままの煙草をエースの手がそっと取り上げた。
薄目を開いたサンジは、ちらりとエースを見上げる。
「ベッドで休むか?」
尋ねられた口調の優しさに、サンジは慌てて不機嫌な表情を作った。
「動きたくねぇ」
そんなサンジの我が儘に、エースは小さく笑った。
「夕べはごめんな」
そう言って、サンジの髪に口づけを落とす。柔らかな髪からは甘酸っぱい柚子のにおいがしている。そのにおいを吸い込むかのようにエースは鼻先を、サンジの髪の中に突っ込んだ。
「深く深く反省しました。もう二度と、あんなことはしません」
ぼそぼそと口の中で呟いていると、サンジの腕がそっとエースの首にしがみついてきた。
「バーカ。こういうのも駆け引きのうちなんだよ」
チュ、と、サンジのほうからエースにキスをする。
「それぐらい、わかるようになれよ」
そう言ってサンジは、エースの口内に舌を潜り込ませていく。
おずおずとエースが舌で応えると、サンジの舌が激しく絡みついてくる。チュ、と湿った音を立てて、キスをした。
サンジの腕がゆっくりと、エースの背に回された。
覆い被さるようにエースが身を動かそうとして…──不意にバタン、と、ドアの開く音がした。
突然の出来事に、二人の動きがピタリと止まった。まるで人形のようにじっとその場に固まって、動くことすらできないでいる。
「真っ昼間っからいい度胸だな」
背後に現れたゼフの気配は、今までに見たことがないほど殺気立っていた。声が震えているのは、怒りのためだろうか。
カツン、とゼフの義足が床を蹴りつける。
「チビナス。今日のようなことは二度はないと思っとけ。二人とも、明日は死ぬほどこき使ってやる」
それだけ言い残すと、二人が固まっている間にバタン、とドアを閉めてゼフは去っていった。あまりの素早さに、これまた二人とも動くことが出来ないでいた。
ゼフの足音は高く、神経質そうで、怒りの気配は部屋から遠ざかってもしばらく残っていた。
「クソ驚かしやがって……」
足音が聞こえなくなってしばらくしてからぽつりと、何でもないことのようにサンジが呟く。
サンジに覆い被さろうとした体勢のまま固まってしまったエースはというと、こめかみに青筋を立て、引きつった笑いを浮かべていた。
クスクスと笑いながら、サンジはエースの体を引き寄せた。
「ジジィの言うことなんざ、気にするなって」
和らいだ表情でエースにキスをするサンジは、どこか楽しそうだった。エースの前髪をくい、と引っ張ると、近付いてくる唇にチュ、と唇を合わせていく。片手はすでに、エースのボトムを脱がしにかかっていた。
「……鍵、かけてきたほうがいいよな?」
自分に言い聞かせるようにエースは呟いて、サンジから離れようとした。
朝、サンジが体調不良で動けないことをゼフに報告に行ったきり、施錠するのをすっかり忘れていた。今し方の出来事に、エースは動揺を隠すことができないでいる。
そもそも、部屋に戻ってきた時に鍵をかけていればこんなことにはならなかったはずだ。
自分の迂闊さを心の中で罵りながら、エースはサンジから体を離そうした。
「いいさ、鍵なんて」
気怠そうにサンジは、エースの腕をぐい、と引き寄せる。
「見たいヤツには、見せつけてやればいい」
ちらりとエースを流し見たサンジは、そう言って今日一番の艶やかな笑みを浮かべたのだった。
END
(H20.1.6)
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