『好き同士3』



  明け方の風で、目が覚めた。
  仲間達の眠る男部屋では、皆、よく眠り込んでいる。
  誰一人として起きそうにないのを見て取ると、サンジは部屋を抜け出し、キッチンへと向かった。
  甲板に出ると、灰色の空にオレンジ、ピンク、紺色の入り混じったような部分から、ほんのりと白い筋がさしていた。
  ああ、もうすぐ夜が明けるのだなと思いながら、サンジは煙草に火をつける。
  波の音と、少し肌寒い潮風があたりを包み込んでいた。時折、魚の跳ねる音がして、波の間から銀色の鱗が見え隠れしている。
  船縁にもたれてぼんやりとしていると、ふと物寂しくなった。
  あの男は今、どうしているのだろう──そんなことを、思ってしまった。
  携帯のアッシュトレーにまだ吸い始めたばかりの煙草をにじりつけ、サンジはほう、と溜息を吐く。
  叶うならば、あの男に会いたいと思う。
  この広い海では、一目その姿を見ることすらなかなかままならない。それでも、合間を見つけては互いに逢瀬を重ねてきた、相手。
  敵同士、好きになったからにはそうそう会えることもできない。そんなことは最初から分かり切っていたことだが、それでも、会いたいものは会いたいのだ。
  もうひとつ、押し殺したような溜息を吐いてからサンジは、キッチンへと足を向けた。



  いつもそうとは限らなかったが、ごくたまに、恋人に会いたいと思うことがあった。
  会いたい。
  会って、声を聞きたい。抱き締めたい。キスを、したい。
  キッチンの椅子に腰を下ろしたサンジは、またしても煙草を取り出した。火はつけずに口にくわえると、頬杖をついてぼんやりと煙草のケースを眺める。
  恋人に会えない時間を悶々と過ごすのは、禁煙中の苦しみにも似ている。
  なければ何とかなるものだ。だが、いつまでもないままで過ごすということはできない。
  煙草も、恋人も、もしかしたらサンジにとってはどちらも精神安定剤のような役割を果たしているのかもしれない。
  テーブルに突っ伏してほう、と盛大な溜息を吐くと、前髪がゆらりと揺れた。



  時計を見て、時間を知る。
  そろそろ朝食の支度を始める頃合いだ。
  のろのろと椅子から立ち上がり、サンジはふとキッチンの入り口へと目を馳せた。
  人の……よく知っている男の気配が、していた。
  ドアはさっき、サンジが出入りをするのに使っただけだ。ちゃんと閉まっている。
  怪訝そうな顔つきで、戸口に向かった。
  自分はもしかしたら夢を見ているのだろうか。サンジは恐る恐る手を伸ばした。ドアに指をかけたところで、甲板でカタン、と物音がした。
  静かにドアを開けると、男が目の前に立っていた。
  にこやかな笑みを浮かべ、彼はサンジをじっと見つめた。
「エース……」
  掠れた声でサンジが名前を呼ぶと、男は嬉しそうにサンジの額にキスをした。



「急ぐから、今日は顔を見るだけな」
  そう言ってエースは、そのままサンジに背を向けた。
「おい、それだけかよ」
  やっと会えた恋人同士の逢瀬が、こんなに呆気ないものでいいのだろうか。
  サンジは口にくわえたままになっていた煙草をくしゃりと握りつぶし、エースの背中に投げつけた。
「何かもっと、こう……他に言うことはないのか、ああ?」
  会えたら言おうと思っていた甘い言葉はどこへやら、サンジは刺々しい声色でエースを非難した。せっかく会えたというのに、額にキスだけで満足できるはずがない。
  背を向けたままのエースの腕を掴むと、サンジは背後からエースにしがみついた。
  潮のかおりと汗のにおいの入り混じったエースのにおいに、自然とサンジの口元が綻ぶ。
「……じゃあ、メシを食わせてくれ。それから、海に戻る」
  ぽそりとエースが告げた。
  サンジは、エースの背に額を押し付けたまま、首を縦に振った。



  仲間が起きてくる前にと、エースのために軽い食事を用意した。
「まるで新婚みたいだな」
  焼き飯と海草のスープを目の前に出されたエースがにこやかに言った。
「なっ……」
  そう、思わないでもなかったのだ。サンジだって、こういう二人だけの穏やかな時間を望んでいないわけではないのだ。ただ、二人を取り巻く環境を考えると、世間一般でいうところの恋人同士の甘い時間などとはあまり縁がないように思われて、自分からそういうことは望まないようにしていたというだけのことで。
  絶句したサンジの頬が、ほんのりと赤く染まっていくのを見て、エースはまた笑った。
「この次は、ゆっくり会おう」
  そう告げるエースの目は真摯な眼差しで、サンジは思わず頷いていた。
  目覚めた時の物寂しさが吹き飛んだ瞬間だった。





END
(H19.12.4)



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