気が付くと、季節は夏になっていた。
セミの声は耳にうるさく、その頃までにはゾロはいっそう無口になっていた。気が向けば何人かの友達と遊ぶこともあったが、たいていは一人でうんていにぶら下がったり、裏庭の樫木に登っては一人の時間を楽しんでいた。同じ年頃の子どもの中で遊ぶのが苦手な、腕白小僧のできあがりだ。
もっとも、例の一件以来ゾロは、サンジと二人で行動を共にするようにもなっていた。剣道が大好きで負けん気の強い子どもだったゾロだが、何故かサンジとは気が合ったようだ。
母親譲りの優しげな顔立ちのサンジだったが、なかなかのやんちゃっぷりにはさしもの先生方も舌を巻かざるを得なかった。そもそもサンジは、ゾロと互角に喧嘩をすることができる数少ない子どもだった。そんなサンジがおとなしいわけがなかった。
その日は、幼稚園で初めての水遊びの日だった。
それまでジョウロやホースの水で遊ぶことはあったものの、小学校の幼児用プールに少しだけ張った水に浸かるというのは、ほとんどの子どもたちが初めてのことだった。連絡通路を通って、園児たちは小学校の敷地内にあるプールにやってきていた。
水着に着替えて、プールサイドに集められたつばめ組の子どもたちは好奇心でいっぱいの眼差しで先生と、プールに視線を集中させていた。
子どもたちがまっさらの水着を身につけている中、ゾロだけは去年の水着を身につけていた。去年は父に連れられて、一夏中、海のそばで過ごした。その間に魚を釣ること、泳ぐことをゾロは覚えた。もともと運動神経はいいほうだったから、そう時間はかからなかった。
皆が、よれていないまっさらの水着でおっかなびっくり水に足をつけている中で、ゾロは物足りなさを感じていた。幼児用のプールで、水もほとんど張っていない状態では、泳ぐことすらできないのだ。
不機嫌そうにクラスの子どもたちから少し離れた場所でゾロは、園庭のほうへと視線を向けた。フェンスの向こう、木々の生い茂る隙間から、園庭の様子を見ることができる。
園庭では、あひる組の子どもたちが一輪車やフラフープでの遊びに興じていた。サンジは、エースと二人で追いかけっこをしているようだ。口を大きく開けて、サンジが楽しそうに笑っている。
笑っているサンジを見てゾロは、胸のあたりがモヤモヤとするのを感じていた。
二人きりで遊んでいる時には感じたことのない、妙な気持ちだった。
あんなやつ、だいきらいだ──そう思ったものの、すぐにまたサンジのことが気にかかって、フェンスの隙間から園庭を覗いてしまう。
自分とサンジが別々のクラスにいることが、悲しく感じられた。
一緒にいたい。二人で遊んだり、サンジの話をいつまでも聞いていたいと思った。
その感情が何なのか、幼稚園児のゾロにはまだ、何もわからなかった。
ただ、二人で一緒にいたいという思いだけが強くて、深く深く、ゾロの胸の底に焼き付いた。
大きくなっても一緒にいたい。
そう思った途端、ゾロはその気持ちを抑えておくことができなくなった。連絡通路の近くに駆けてきたサンジに向かって、フェンス越しに名前を呼んでいた。
「サンジ!」
エースばかりと一緒にいるのではなく、自分を見てほしい。自分のほうを向いて、笑ってほしい。そう、ゾロは思った。
「あっ、マリモ!」
しばらくは園庭でキョロキョロとしていたサンジだったが、ゾロの視線に気付いたのか、嬉しそうにサンジは連絡通路へと寄ってきた。幼稚園と小学校とを遮るフェンスにしがみついて、大きく手を振るサンジは嬉しそうだった。
「なにしてるんだ?」
手を振って、サンジが尋ねる。
「みずがなくて、およげねえ」
唇を尖らせてゾロが言うと、サンジはケラケラと声を立てて笑った。
そんなサンジを見て、ゾロは嬉しくなった。なんだかよくわからなかったが、サンジが笑っていると、自分もつられて嬉しくなるということに、ゾロは気付いた。
「かえってから、あそぼう」
フェンス越しにサンジが言う。
「おう」
満面の笑みを浮かべてゾロが返した瞬間、先生にポン、と頭を叩かれた。
「プール遊びの時は、危ないからちゃんと先生の話を聞いていなさい」
注意を受けてゾロは、小さく舌打ちをした。こんなに水が少ないのだから、話なんて聞いていなくても大丈夫だと言い返したかったが、何か言ったらサンジに笑われるのではないかと、ゾロは黙って先生の後をついて皆のほうへと戻っていく。
しばらくしてちらりとフェンスのほうへ視線をやると、要領のいいサンジはいつの間にか、園庭のほうに戻って遊んでいた。
太陽の照り返しが眩しくて、ゾロは目を細める。
セミの声がひときわ大きく聞こえる、夏の日のことだった。