木の枠で固定された土の階段を駆け登る。背中のリュックが上下に跳び跳ね、ぐんぐん近づく目的地に息切れとは別に心臓が高鳴る。
サンジは最後の一段を飛び越えて、奥のほうへ走った。後ろにいたはずのゾロがいつの間にか隣にいて、二人でダイブをするように芝生へ上半身からスライディングをした。それから顔を見合わせてゲラゲラ笑う。柔らかな感触に頬をつけると、青臭い匂いが鼻腔を満たした。汗ばんだ額にはりついた前髪をぬぐってから、サンジははっとして慌ててリュックをおろした。
「やべえ!べんとう!」
ゾロが寝転がりながら眺めてくるのをよそに、急いでナプキンに包まれた弁当箱を取り出した。たくさんの恐竜が描かれている布がゾロのほうだ。曲がった結び目をほどき、透明のプラスチックの蓋から中身を確認する。親友が歩伏前進で横から覗こうとするのを足で押しやり、すぐに元通りにした。
「どうせ見んじゃん」
「うるせーなあ、いいの、後のおたのしみ!」
後の、とは言ったがこの丘で風見鶏を見ながらお弁当を食べるのが目的なのだから、どちらかと言えばすぐ、だ。立ち上がって服に付いた草を払う。
寝心地が気に入ったのか起き上がらないゾロの腕を引っ張り上げる。なかなか動かない少年に足を踏んばると、掴んだ腕に力が込もって急に軽くなった。よろめいたサンジを背後に回ったゾロの腕が支える。同じくらいの背丈の二人がくっつくとちょうど目の前に相手の顔がくる。おでこを合わせると短くて軟らかい毛の感触がくすぐったい。薄茶色に少しだけ緑がかった瞳に自分が映っているのを見て、サンジは嬉しくなった。
「あっちのがかざみどりよく見えんだぜ」
「行くか」
「おう」
ゾロに手をとられ走り出す。足裏には芝生の感触。握り返して、二人で引っ張りあいながら街を見下ろせる場所へと来た。
鉄製の風見鶏がゆっくりと回っている。心地よい微風に、隣の幼なじみが欠伸をする。メインイベントの前に寝られては敵わないと、ゾロに持ってこさせたビニールシートを広げさせた。互いの靴を四隅に置いて飛ばされないようにすると、先ほど直したばかりの恐竜柄の包みをゾロへ渡した。それから自分用のあひるの包みを取り出す。ゾロは肩にかけていた水筒をおろし、オニオンスープの入った中身を蓋に注ぐ。
「開けんぞ」
「うん」
ドキドキしながらゾロによって広げられる弁当を見つめる。固く縛ってしまったナプキンに苦戦しながらも、余韻も持たずにさっさと開けてしまう手つきにハラハラする。
留め具を外し蓋を開いた幼なじみは無言で中身を見つめた。あまりに無反応で、何か変なものでも入れただろうかと慌てて自分の分も広げた。甘めのだし巻き卵に鶏の唐揚げ、ミニトマトと椎茸のオリーブオイルの炒めもの、茹でたブロッコリーにあまり形を崩していないポテトサラダ、それからおかかと昆布のおにぎりを一つずつ。
今朝、早起きして母親に手伝ってもらって料理した。いま自分にできる精一杯だ。良く考えると少し脂っこいかもしれない。そういえば、ゾロの家にお泊まりに行ったときは、切り干し大根だとかひじきの煮物だとかそういった類いのものがたくさん出てきていた。
(なんだ、ぜんぜんダメじゃんおれ…)
せっかく張り切ったのに、好きなものが入ってないなんて。サンジは下を向いた。悔しいし、なんだか悲しい。おたのしみと言ったのに、まったく楽しみにならない。
俯いてしまったサンジを知ってか知らずか、ゾロが卵に箸をつけた。黄色くて滑らかな表面はつまむとふんわりとしている。ぽいっと口へ放るように食べたゾロは、しばらく租借して飲み込んだ。
「おれ、これ好きだ」
「え」
顔をあげたサンジは正面の幼なじみを見て、それから彼の弁当箱に視線を落とした。だし巻き卵がなくなっている。もう一度ゾロを見る。相変わらず無愛想でふてくされたような表情はちょっとだけ照れているようにも思える。
さっきまでの落ち込みが嘘みたいに晴れて笑顔になった。フォークで自分の卵焼きをさすと、幼なじみの口へ持っていく。迷いも遠慮もなく食いついたゾロにますます嬉しくなった。口いっぱいに頬張りるゾロに幸せになる。ほっぺたについたご飯つぶを取ってやると、サンジの手を取ってぺろりと舐めた。
「くすぐってー!」
けらけら笑うとゾロも笑った。
一大イベントが終わり弁当箱をしまってビニールシートも畳んだ。街のほうへ足を投げ出して座る。ひだまりが眠気を誘う。隣に並んだゾロが仰向けに倒れたのを真似して寝転んだ。
真っ青に晴れ渡る空には雲ひとつない。暖かな風が子守唄のように頬をなでる。眠りに入ろうとしたサンジの意識を止めたのは、彼以上に寝ぼすけなゾロだった。
うとうとしていたサンジの鼻を指ではじき、そのピリッとした痛みで瞼を押し上げた。痛みの元凶は隣からうつ伏せで顎をついて、覗き込んでくる。サンジの意識がはっきりしないうちに、ゾロは良いことを考えたと話しだした。
「でっかくなったらヨメにもらってやる」
その言葉に一気に覚醒した。幼なじみを押し退け起き上がると、頬を膨らませて彼と相対した。
「はあー?!なんでヨメなんだよー」
小さな頃から女の子のようで可愛いと言われ続けてきたサンジにとっては聞き捨てならない台詞だった。自分は立派な男だ。ヨメは貰っても貰われるつもりはこれっぽっちもない。憤り、くるりと巻いた眉毛を吊り上げる様をゾロは訳が分からないと眺める。
「おれは男だ!」
「知ってる」
「じゃあなんでヨメなんだよ!」
「料理できっから」
目を瞬かせて、それだけ?と問うと、そうだと返す。どうやら自分を女の子扱いしたわけではないと分かった。なら、考えてやらなくもない。なんせ今日の弁当は結果的に良しとしても多くの課題を残したからだ。リベンジをしたいしするつもりだったサンジはその提案に乗った。
「いいぜ、ヨメになってやる」
「やくそくな」
頷いて、サンジは風見鶏を指差した。優雅に回るそれは尖った屋根の先にまるで教会の十字架のように佇んでいる。ゾロが理解したように小指を出して、それに己の指を絡ませた。指切りだ。日に焼けた幼なじみの手はやわらかく、熱が伝わってくる。嘘ついたら針千本飲ます、と大して意味も考えずに歌う。そこでふと、今よりもっと幼かった頃を思い出した。
確か自分達は前も指切りをした。大きくなってもずっと一緒だと誓った。そうか、あれはこういう事だったのだと妙に納得した。ずっと一緒にいるにはやはり結婚するべきだと、自分の両親を思い浮かべる。
「おれたち、けっこんすんだな」
「おう…しあわせにすっから」
「うん、おれも!」
仲良く手を繋いだまま、その場に座った。しばらく風見鶏を眺めていると、後ろに引かれて転がった。見ればゾロがすっかり寝入っている。いつもむすっとした顔が、眠りについたせいで僅かばかり眉が下がっている。それを不思議そうに見つめ、彼の軟らかなグリーンの毛を撫でた。すると口が何事か呟いて微かに笑った。つられてくすくすと笑い、サンジはその柔らかそうなほっぺたにそっとキスをした。
それは小学校二年生になったばかりの春、二人で誓った二度目の約束だった。