夕方、道場から帰宅したゾロは、家の中が真っ暗なことに気付いた。
いつもと違う空気を感じ取って、家の前でゾロは立ち止まる。
何かが、違う。
それに今日は、鍵を持っていない日だ。
鍵のかかったドアをじっと見つめて、ゾロは途方に暮れた。
そもそもゾロが帰宅する時にはいつも母が家にいた。そうでない時には、学校に出かける前に母が鍵を持たせてくれる。さっき学校から帰宅した時には、母は家にいた。昼間、父から電話があったらしく、夕方になったら駅まで父を迎えに行くのだと、やけにはしゃいでいたのを覚えている。いい歳してはしゃぐなよと言うと、コツンと軽く拳骨で頭を叩く真似をして母は怒ったふりをしていた。
つい、何時間か前のことだ。
真っ暗な家は、どことなく張り詰めたような、奇妙な空気が漂っているような感じがしてならない。
どうしようかと思っていると、ゾロのすぐ後ろで車が止まった。このあたりではあまり見ないナンバーのタクシーだった。
こんな住宅街でスピードを出していたら、通行人が危なくて歩けやしねえと胸の中ぼやいていると、後ろの座席から人が転げ落ちるようにして飛び出してきた。
叔父だった。
「叔父さん……」
何故、ここにいるのだろうかとぼんやり思っていると、叔父に力一杯抱きしめられた。
「ゾロ!」
急いで来たのだろうか、叔父の声は震えている。
何か、あったのだろうか?
声をかけようと口を開いたところで、叔父が低く呻いた。
「叔父さん?」
どうしたのだと言いかけて、叔父が泣いていることにゾロは気付いた。
従姉のくいなが亡くなった時には他人に涙を見せることのなかったあの叔父が、泣いている。
「どうしたんだよ? 何かあったのか?」
震えていると思ったのは、泣いていたからだ──ゾロは、思った。
「姉さんと、義兄さんが……」
叔父の声は、くぐもって聞き取りにくかった。
「え?」
聞き返そうにも、叔父はむせび泣いており、それどころではない様子だ。
「何て言った、今。なあ、叔父さん。今、何て?」
叔父の手を掴んでゾロがしつこく問いただす。叔父はしゃくりあげながら、震える声で囁くように告げた。
「姉さんと義兄さんが、事故に遭った。すぐに病院に運ばれたんだけど、ついさっき、二人とも亡くなったと病院から…──」
叔父の言葉を聞きながら、ゾロは、頭の中がすーっと冴えていくような感覚を感じていた。
叔父の様子も、言葉も、頭の中に素直に入ってくる。まるで剣道の試合で相手の品定めをしている時のようで、頭の中がクリーンな状態になっていると、ゾロは思う。
「俺、は……今から、病院に行ってもいいのか?」
ゾロが尋ねると、叔父は自分の口元を片手で覆った。くいなが亡くなった時にはあんなに冷静に見えた叔父が、今は、なりふり構わずに泣いている。
「もちろんだとも。一緒に行ってくれるね、ゾロ」
言いながら叔父は、いっそう激しく泣き出した。
ゾロは叔父の手を引いて、タクシーに乗り込んだ。竹刀と胴衣は、少し考えてから一緒にシートに引きずり込んだ。タクシーの運転手はいい顔をしなかったが、構うもんかとゾロは思った。
「病院までお願いします」
自分の声は、思ったよりしっかりと耳に届いた。
病院に行って、確かめてからでなければ信じられない。いくら大好きな叔父の言葉だからといって、おいそれと信じていいような内容ではない。
だいたい両親は、明日の自分の誕生日のために買い物に出かけたはずなのだ。
明日、ゾロは十一歳になる。誕生日のケーキを、サンジが焼いてくれると言った。両親には、新しい胴衣が欲しいと数日前からねだっていた。練習練習で明け暮れていたら、いつの間にかすり切れていたのだ。夕方、両親が駅で待ち合わせをしてゾロのプレゼントを買いに出かけたのは、明らかだ。
自分のせいだと、ゾロは思った。
自分が、誕生日に新しい胴衣が欲しいなどと言ったばかりに、両親は二人で揃って買い物に出かけようとしたのだ。
自分が、誕生日のプレゼントをねだりさえしなかったら……。
タクシーの中でゾロは、ぎゅっと拳を握りしめていた。
顔を合わす暇もないままに亡くなったくいなのことが思い出された。その少し前に会った時には、互いに笑って手を振って別れたというのに。次にくいなの部屋に足を踏み入れたのは、お通夜の時だった。あの日、別れてからくいなが亡くなる日までの間の時間が急に失われてしまったような感じがして、ゾロの心にはぽっかりと虚ろな穴が開いた。葬儀の後、心に開いた穴を修復するためにゾロは、一心不乱に道場に通った。好きなものに打ち込むことで、くいなとの思い出を埋めようとしたのだ。
最近になってようやく、くいなのことを思い出しても笑うことができるようになった。
自分なりにケジメをつけて、くいなの死を納得できるようになったのだと思っていたところだった。
「嘘だろ……嘘、だよな?」
掠れた声で、ゾロは呟く。
隣に座る叔父は、いい歳をした大人だというのにまだ泣き続けている。
ゾロの声が聞こえていないのか、肩を震わせ、唇を震わせている。
タクシーの運転手がミラー越しにちらりとゾロを見て、それから叔父のほうへと視線を向けるのが見えた。
「もうすぐ病院ですから」
静かに、運転手が言った。