中学校へ入学してから初めての夏休みになった。つい先日に梅雨が明けたばかりの空は見渡すかぎり晴れて、午前中だというのに日光がじりじりと照りつける。
サンジは制服姿で、数人前はある弁当と蜂蜜に漬けたレモンを持ってホームに滑り込む電車を待った。シャツのボタンを一つ開け、前後に動かして空気を送る。生温い風も汗が浮かぶ素肌には気持ちいい。ネクタイをしないだけでもずいぶん違う。
腕時計を確認すると十時十分前だ。サッカー部の試合が確か十時ちょうどだから少し遅れるだろう。親友のエース─名前通りまさに部のエース─に弁当を持って応援に来てくれとせがまれ、今朝早起きをして腕を奮った。大食いの幼なじみのために結構な量になる。重箱の弁当は大荷物なので朝のラッシュを外すことにした。
遠くから近づいてくる銀色の車両を仰ぐと、汗が背中を流れる。停車し、目の前で開いたドアから乗り込んだ。
見つけたのはすぐだ。乗ったほうとは反対側のドアに凭れかかるようにして、彼はいた。
「ゾロ……!」
呼ばれた男が緩慢に振り向いた。それからあの不思議な色の瞳を開かせた。懐かしい緑色の短髪はちっとも変わっていない。立ち止まっていたサンジは後ろからの乗客に押され、ゾロの側へ行った。
「すげえ!久しぶりだなゾロ!」
胸から沸き上がる感情に少しだけ泣きそうになる。昔のように飛びついて抱きしめたいのを我慢する。一度、深呼吸をすると心が落ち着いて、自然と笑顔になった。
満面の笑みのサンジとは対照的に、彼はすぐに目を逸らしてしまった。無愛想なところも変わっていないなと嬉しくなる。
ゾロがいなくなってしまってから、サンジは毎日あの丘へ通っていた。ただ会いたい一心で、いくら待っても来ない幼なじみを待ち続けていた。最初のころの泣きたい感情はだんだんとなりを潜め、悲しくやるせない気持ちだけが残った。絶対に泣くものかと歯を食いしばって涙をこらえた日々がつい昨日のようだ。
サンジがゾロを待っているのと同じように、家族や友人も自分が立ち直るのを待ってくれていると知ったとき、サンジはこの名も分からない感情を手放した。きっと前に進めば、いつか会えるかもしれない。
それからは風見鶏の見える丘へは行かなくなった。もう一度ゾロと会えたら一緒に行こうと、一人心に誓った。
「おまえ連絡くらいしろよ、すっげえ心配しただろ!」
「…わり」
「なに、これから学校?部活?」
「…補講」
「どこの中学行ってんの?この辺?」
興奮して、つい質問ばかりしてしまう。数年ぶりの再会が我を忘れさせる。言葉数の少ないゾロの分まで喋る。身長は変わらないが逞しくなっている。以前は自分とそう大差のない体つきであったのに、知らぬまにどんどん成長している。抱きしめなくて良かったと安堵した。そうするにはお互い精神的にも少しだけ大人になってしまって、無邪気に触れあえた頃が羨ましく思える。
電車の速度が落ちて、停車の準備をはじめた。流れる景色がネジの切れたオルゴールのようにぱたりと止まる。独特の開閉音が鳴り、一拍遅れて扉が左右に開かれた。
ゾロがじゃあなと素っ気なく降りていった。サンジは反射的に追いかけて、階段を下りはじめた彼の二の腕をとった。手のひらに汗がにじむ。
「またいなくなんのか」
何を聞いているんだろう。あれはゾロのせいではない。幼なじみが眉を寄せている。それがどういう意味か、いまのサンジには分からない。
「連絡先くらい教えろよ」
後ろでベルが鳴り、ドアの締まることを知らせる。動きだした電車がやがて騒音とともにいなくなった。
「俺、またおまえと仲良くしたい」
「………」
「また弁当持って、風見鶏の丘に行きたい…前みたいに!」
最後のほうは懇願だった。ずっと待っていた幼なじみに出会えたことを、これきりにしたくない。あの大事なものを無くしてしまった感覚はもう嫌だ。
「なあ、ゾロ」
「…それ弁当か?」
「え、ああ、今日試合の応援だから」
ゾロの動いた視線がサンジの荷物にとまった。エースが楽しみにしているだろう。食いたかったら負けんなよと条件をつけたら、絶対勝つからと当たり前のように笑った。立ち止まってゾロを待ち続けていたサンジに彼は根気よく付き合ってくれた。彼がいたから立ち直れた。
でも前に進んだつもりでいたけれど、ゾロを目の前にするとそれは違ったのだと思い知らされた。ただ、目を背けただけだった。感情に蓋をして、無理やりに踏み出していた。
「また食いてえ、おまえの弁当」
ゾロの仏頂面が照れ隠しなのだと、なんとなく分かった。ほんのりと耳を赤くする不器用な幼なじみにサンジは破顔した。
「いつでも食わせてやる!」
それから連絡先を聞いて、補講の後は剣道の稽古だというゾロに蜂蜜に漬けたレモンのタッパーを押しつけ、ホームへと階段を駆けのぼった。ますます気温が高くなり汗が流れおちる。荷物を抱えなおして、階段下を振り向く。こちらを見上げるゾロにじゃあなと手をふると、無言で小さく手を上げ返した。サンジは笑って、今度こそ、閉まりかけたドアめがけて電車へ飛び乗った。