夏休みの真っ最中、うだるような熱気に陽炎がゆらめく。熱い微風が全身を舐めるように絡みつき、汗をためる。貼りつく前髪が鬱陶しくて首をふった。
サンジはエースと連れだってグランド体育館を目指している。駅をおりてアスファルトから立ち上る熱に、料理のつまった重箱を持ち直した。あと五分でもこの場にいたらたちまち傷んでしまいそうなほどの暑さだ。
「エース、急げ!」
「えー…暑くて無理だって。サンちゃ~ん、はちみつレモンちょっと食べたいなあ」
「だーめ!だいたいおまえ夏に強いだろ」
けち、とふくれる親友の腕を引っ張る。よけい暑いよと文句をたれつつ、足を速めてくれる彼に口角があがる。
しかし確かに暑すぎる。蒸し器にでも放り込まれたようだ。サンジは荷物を持ち直した。三人分の弁当を入れた袋がやけに重い。半分エースに任せたいが、それでは弁当の行く末が見てとれる。目を離したすきに広げていくらもしないうちに平らげてしまうだろう。
つむじが太陽の直射にたえられずに火傷しそうだ。蜂蜜色の髪の毛が焦げても不思議ではない。揺らめく景色に先ほどまで流れていた汗がすっかり引いていることには気づかなかった。
サンジは浅い呼吸を必死に繰り返した。どうやら立ち止まっていたようで、エースの真っ黒な瞳が覗きこんでくる。それはすぐにしかめられ、彼が怒ったのだと伝えてくるが、それが何故かは分からない。
「ちょっとこっち」
手をひかれ、されるがまま付いていく。激しい頭痛に朦朧とする。木陰に連れていかれ、地べたに座らされたと思ったらエースが弁当の袋を漁りだした。
「やめろエース」
止める手もお構いなしに彼が取り出したのは弁当用のアイスノンだった。エースはそれをタオルでくるみ、サンジの首にあてた。驚いていると、今度はミネラルウォーターのペットボトルを渡される。
「それ飲んで。脱水症状になりかかってる。熱中症になるぞ」
言われた通りにする。喉が渇きすぎたせいか、いくら飲んでもひりひりした痛みが取れない。数分呆けて、ふと、腕時計を見た。試合はとっくに始まっている。慌てて立ち上がろうとすれば、どうせ勝ち進んでるから一回くらい観なくても問題ないと、再び地面へ戻された。
不満げなサンジに笑う兄のような幼なじみのお許しが出たのは、それからしばらくしてだった。
会場に着いたのはゾロの二回戦目の最中だった。台形を逆さにした底辺の広い長方形のスペースに何組もの試合が行われている。観客席はそこを見下ろすように高い位置から三百六十度囲っている。席は学校ごとに陣取られ、空いている席は少ない。入った瞬間、試合の熱気が伝わるように肌がビリビリとした。重かった荷物の重量も忘れ、サンジは一番前の手摺のある場所まで階段を駆け下りた。
溢れる熱をよそに一ヶ所だけ、静寂な空気をまとっていた。向き合う二人の選手が互いに間合いをはかる。その片方、静かな闘気を発しているのがゾロだ。
防具をつけていても一目でわかるのは、それだけ見てきたからだ。構える姿は間違いようもない。
勝負は一瞬だった。竹刀が一閃し、小気味良い音が響いた。その残像を目で追っていたサンジは礼をしたゾロが端へ寄り防具を脱いで目が合うまで見入っていた。片手をあげて挨拶しようとしたが、彼はすぐに顧問らしき男性に呼ばれて向こうをむいてしまった。
(気のせいか?)
こちらに気づいたように思えたが、周りを見れば人だらけだ。いくら一番前にいるからといえども、この中で偶然でも自分の居場所を見つけるのは至難の技だ。その証拠に、幼なじみがサンジを見ることはもうなかった。
「サンジ、そろそろ戻ってくるよ」
急に話しかけられ意識をもどす。どうやら呆けている間に昼休みになったようだ。会場を見渡しゾロの中学校の応援席を探すと、隣のエースがサンジの頭に腕をかけ対角線上を指差した。
「あの頭、便利だよな」
笑うエースにサンジも頬をゆるめた。
ゾロの学校は剣道の強豪校ではない。この大会まで登り詰めたのも彼だけだ。部員数も多いわけでもないそこで、彼だけが異質分子のようだ。周りの反応は様々だが、尊敬や羨望、それから嫉妬やせっかくの夏休みに付き合わされる面倒や苛立ちが見てとれた。
ゾロはそんな周囲に慣れているのだろう。なにせ去年の夏の大会で、中学一年生ながら先輩を押し退け全国優勝したときからおそらくこういう状況なのだ。
サンジはそこから早く幼なじみを連れ出したくて、だけれど彼の部活仲間からすれば自分たちをおいてまったく見ず知らずの人間たちといなくなってしまえば、さらにゾロが浮くのではないかと戸惑った。
それを知ってか知らずか、エースがさっさと呼んで、連れてきてしまった。唖然とする部員たちを背に、サンジはエースに促されてそこを後にした。横でゾロがホッとしたような息をついた気がした。
エースはいつだってそうだった。強引で気まぐれで我が儘ばかり言っているようで、その実、欲しいものを欲しいときにくれる。サンジはそれに何度も助けられてきた。同じようにゾロもそうなのだ。
まさに今がそうだった。決して真似できないところでエースはゾロを助けている。さりげなく、そうとは気取られない範囲で。
ゾロがエースに惹かれるのは当然だとおもった。
「あ、」
ゾロの声で我に返った。何かと見ればエースが彼の紙皿にのっていた卵焼きを口に放りこんだところだった。それはたぶん、最後に食べようと取っておいたものだろう。昔から変わらないその行動が、たとえ仏頂面でも可愛い。エースをたしなめ、サンジは自分の皿にあった卵焼きをゾロのそれへ置いた。それを見たエースがずるいだのえこ贔屓だの文句を並べ立てる。
「うるせえな、ったく…ほら」
「あーん」
重箱から唐揚げを摘まむと、口をあけた雛鳥に食べさせた。口一杯に食べ物をつめて幸せそうだ。これもこれも!とねだられるままにかぼちゃの煮物ときんぴらごぼうも口まで持っていってやる。美味そうに咀嚼する姿に自然とサンジも笑顔になる。
ふと視線を感じると、ゾロがじっと見ていた。睨むような眼差しにドキリとした。すぐに皿へと意識を向けたゾロから、しばらく目を外せなかった。
そうだ、ゾロはエースに惹かれているのだ。その彼の前で、いまの行為はさぞかし面白くなかったことだろう。サンジは咄嗟に立ち上がった。
「俺、お茶買ってくる」
まだある、と二人が見上げてくる。財布を掴んで、悟られないように深呼吸してから笑顔を貼りつけ、サンジは肩をすくめた。
「また来るときみたいになると面倒だから」
俺コーラね!とエースの声に後ろ向きで手をふる。走らず、あくまでダルそうに歩く。ざわめきを抜け、会場の外へと続く階段を下りた。日陰になった隅へ腰をおろす。
「分かってたはずだろ」
そんなことを自分に言い聞かせても虚しいだけだ。だいたい三人とも男だ。まだ恋なのかもはっきりしないし、一番の親友を取られてしまったような子供じみた執着だけの可能性だってある。
それでもサンジにとっては初めての気持ちだった。ゾロにしたってそうだ。ずっと隣で、彼があんな反応を示すのは見たことがなかった。
「なんて不毛なんだろな、俺たち」
乾いた笑いがもれ、顔を膝に埋める。馬鹿だと思った。ゾロは幼稚園からの親友だ。ずっと一緒にいるなんてのは幼い頃の口約束だ。そんなことを宛にしていられるほど子供ではなかった。
そろそろ戻らなければ、心配したエースが探しに来てしまう。そんな彼を思い浮かべ、今度は諦めにも似た笑いがこぼれた。自分がゾロだって彼に惹かれるだろう。
重い腰をあげた。たった十分ほどの間にわずかにずれた太陽が瞳を射した。サンジは館内へと戻るために、眩しさに滲んだ涙を拭いた。