入学式にはうってつけの日和だった。
春の日だまりで暖まった風がうなじを擽り、ロータリーの真ん中にある桜の樹を揺らして花びらを降らせる。晴れた空はゆるやかに雲を浮かべ、新入生を歓迎する吹奏楽部の演奏が静かな校舎まで響く。
サンジは前日の料理部で置き忘れたエプロンを家庭科室まで取りに来ていた。春休み最後の日に部活など、部員に悪いことをしてしまったが、みんな楽しそうだったので良かった。もともと休みに活動しない部活なのだが、エースの所属するサッカー部の練習試合で差し入れをすることになった。
言い出したのはエースで、それもサンジへ個人的に頼みにきたのだが、女の子に人気のある彼だけに、それを聞いていた女子部員たちが手伝いを買ってでてくれた。サッカー部は大人数だからサンジとしても有り難い申し出だった。
今日は始業式で午前中にホームルームも終わった。このあとはエースと遊ぶ約束をしている。
一階の渡り廊下でサンジはふと立ち止まった。薄紅の花びらがひらひらと舞っている。満開が過ぎ、散りはじめる数日間が一番好きだ。
片方を中庭、もう片方をロータリーに挟まれたそこは左右に季節ごとの彩りを見せる。ロータリーの大きな桜の樹はこの高校のパンフレットも飾っていた。受験のときに取り寄せたそれを思い出し、苦笑する。
期待していた。ゾロも同じ高校を受けると、馬鹿みたいに信じていた。約束したわけではなかったし、どこを受験するなんて話をしたこともなかった。そんな必要はない、選ぶところは一緒なのだと、疑ってすらいなかった。
中学の頃はただ会って、くだらない話をして、またなと別れて、そんな日々か楽しすぎた。『今』が大事で先のことなど考えている余裕もなかった。転校で、毎朝一駅分だけ共有していた時間をなくしてしまうのは嫌だったけれど、そこまで心配していなかったのも事実だ。毎朝ゾロと会えなくなることは心残りだが、それもわずかの辛抱だ。高校は風見鶏の丘のあるこの地区へ戻ると決めていたからだ。
引っ越しの日、会う約束をした。風見鶏の丘で弁当を食べようと誘った。いくら待っても来なかった幼なじみとはその日から音信不通になった。
約束を破られたのは酷くショックだったし恨みもした。気軽にかけていた電話もできなくて、真相を知りたくてもこちらから連絡を取ってやるものかと意地をはった。
でも、彼がそんな男ではないと思い出した。なにか理由があるはずだ。それを知りたいと思えた頃には、なんの連絡手段もなくなっていた。電話に出た彼の叔母の困ったような悲しげな様子に深く聞くことは躊躇われた。
なんてことだろう。また彼を見失った。二度とあんな思いは嫌だったのに。
だからサンジは賭けていた、ゾロもこの高校に来ると。藁にもすがる思いなんて大袈裟かもしれないけれど、それしか残された手段はなかった。そして、確実だと信じていた。
一年前の今日、新入生の中にその姿を見つけられなくてどれほど落胆しただろう。勝手なことに、裏切られたとすら感じた。自分だけの思い込みに愕然とし、よけいに悲しくなった。
そしてまざまざとゾロに対する想いと向き合うはめになった。誤魔化して、目を逸らしてきた気持ちを無視できなくなった。幼なじみや親友など関係なく、ゾロを好きなのだ。気づいたときには遅かったなんて、まるでベタなドラマだ。
この恋は報われないだろう。一度離ればなれになって再会できたのが奇跡だった。二度目を期待した現実がこれだ。
それに、ゾロは多分、エースに想いを寄せていた。
だけど、もしまた会えたら、その時は想いを告げてみたい。きっと彼は驚くだろう。それから少し困ったそぶりを見せるかもしれない。でも、変わらずにいてくれる。気持ちは通じなくたって、親友として笑っていられるだろう。
ふたたびその位置に収まるには、胸のうちをぐるぐると燻る靄を吐き出す必要があった。
制服のポケットにある携帯電話がふるえた。真っ黒でシャープなボディを開くと、もう一人の親友の名が表示された。通話ボタンを押し耳にあてる。
相変わらず、大樹は薄紅色を降らせている。始まりの季節だというのにどこか哀愁を漂わせるその光景にサンジは目を奪われた。日中のやわらかな陽に儚く散るのがどうしても不条理に思えてしまう。
息を飲む気配を感じて、桜から視線を移した。そこには、どんなときも頭を占め続ける若草色が花びらをまとわせ、呆然と立ちすくんでいた。
春の色彩だと、どうでもいいことが浮かぶ。新品のブレザーに身を包み、新入生を表す濃紺に深緑の細いストライプが斜めにはいるネクタイを首もとでゆるく絞めている。ゾロだった。
会いたくて、声を聞きたくて、でも叶わなかった。一瞬だって忘れられなかった。エースの声が遠く耳を流れていく。
「よう、ひさしぶり」
サンジは自然と滑り出た声にそっと息をついた。胸の内側からせっつくように心臓が暴れる。鼓動がうるさくて、ゾロが返事をしたのかどうかも分からない。
急に鼻の奥がつんとした。会えて嬉しい。だけど笑えない。嬉しいはずなのに泣きそうだ。ぐっとこらえる、女の子じゃないのだから涙を見せたくない。
サンジは強がり、なんでもない顔をした。耳へあてていた携帯電話を無意識にぎゅっと握る。エースが返事をしないせいか何度も呼びかけてくるが、脳が拒否したように頭へ入らない。
「なーんで新入生なんだよ」
わざと間延びして問いかける。胡散臭そうな顔はちゃんと笑えていたはずだ。突如現れた幼なじみに思考が混線する。ぐちゃぐちゃな回路が露見しないよう皮膜をかぶせ、取り繕うのに必死だ。だからゾロが一瞬だけ見せた辛そうな眼差しには気づかないふりをした。
二度の奇跡はきっと必然なのだ。手放すなと、サンジは自分に言い聞かせた。