ゾロと二度目の再会を果たしてから半年以上とうに過ぎた。桜はもちろん散ってしまって、入学式の幻想的な雰囲気は夢だったようにすら思えた。朝夕はずいぶん冷えるようになり、季節につられて、サンジの心にも冷たい空気が吹くようになった。
あれからゾロとの仲はあまり進展せず、昔のような、四六時中一緒にいて互いの考えが分かる程には到底戻れていなかった。子供のころとは違うと頭で理解しようとするが、感情が追いつかない。
自分は以前の関係に戻るよう必死ですらあるのに、ゾロはむしろ距離を置こうとする。けれど言葉ではっきりと突きつけられた訳でもないから、サンジとしても諦めるつもりはなかった。
ゾロは変わってしまった。そう決めつけるには多少の語弊はあるが、似たようなものだ。
自分たちはまだまだ成長段階だ。それに思春期でもあるから変わるのはおかしくないし、どちらかと言えば当然だ。いまくらいの年頃では価値観や考えはどんどん変化する。それが別の家庭で育った赤の他人なら尚更違いが顕著になっても不思議ではない。
ただ、ゾロとはそうならないと、どこかで信じていた。
あんなに分かり合えていた幼い頃が嘘のように、ゾロの知らないことばかりが増えていく。
あの叔父夫婦のところにいないのなら、何処に住んでいるのか。独り暮らしなのか違うのか。どうして剣道を辞めたのか。それから、以前彼を迎えに来た女性は誰なのか。知っていることの方が少ないのではないのか。
部活のないサンジは、帰宅部であるゾロと帰ろうと急いでいた。彼はホームルームが終わるとすぐに帰ってしまうし、わざわざサンジを待つこともしない。
エースへ適当に声をかけ通学バッグを掴んで教室を出た。下駄箱でナイキをひっかけロータリーへ行く。後ろ姿ですぐにわかるグリーンの頭が校門をすぎるのが見え、走って後を追った。
それほど速くない歩調のゾロに声をかけようとしたときだった。後ろからサンジを横切った濃紺のシボレーが、クラクションを鳴らしてスピードを落とした。気づいたゾロが運転手だろう人物に首をふって歩き出す。すると停車して、中から黒いロングヘアの女性が降りてくる。サンジは咄嗟に物陰に身を隠した。
「病院まで送るわ」
「いらねえよ」
「ここからだと遠いわ。いいからお乗りなさい」
そんな歩きじゃすぐに暗くなってしまうと促され、渋々といった様子で車に乗り込んだ。ゾロを乗せたシボレーは薄暗くなった闇に吸い込まれ、瞬く間に見えなくなってしまった。呆然と見送ったまま、しばらく立ち尽くしていた。
あの女性を見るのは祖父であるゼフのレストランにゾロが食事に来て以来、二度目だ。年はずいぶん上のようだが、一体どんな接点があり知り合ったのだろう。それから病院とは何のことだ。
あの会話からすると、彼女は前もってゾロが病院へ行くのを知っていたことになる。病気か怪我でもしたのだろうか。けれど今日も普通に登校していたし昼食をしたときも変わった様子がなかった。ということは以前から通院していた可能性がある。
サンジにはひとつ心当たりがあった。同い年の彼が一学年下の理由だ。ゾロから話してくれることを期待したまま、未だに知らないでいる。もし病気やら怪我なら、彼が隠している可能性もある。おそらく知られたくないのだ。
それを思うと、ゾロの心が本当に離れてしまったようで悲しくなる。もうなんでも話せる、秘密を共有しあう仲ではないのだ。
それでもサンジは諦められない。戻れるはずもない幼き頃を願ってしまう。
「サーンジ」
はっと我に返った。部活のはずのエースが横に立って、こんなところでどうした?と覗いてくる。彼は制服を着てバッグを肩にかけている。するとおもむろに伸ばされた手がサンジの眉間をぐりぐりと押す。頭をひいてよけ、そこを撫でながら痛いと軽い膝蹴りとともに抗議すると、エースは苦笑した。
「シワよってる」
驚いて、もう一度自分で撫でた。ばつが悪いような照れくさいような気まずさに、サンジは理不尽だと分かりながらも、再び彼を蹴った。
「おまえ、部活は?」
「ハラ減った、なんか食い行こうぜ」
「てめ、聞けよ!」
肩を組まれ強引に連れられる。表面では文句をこぼしながらも、サンジは感謝していた。彼のこういうところに昔から救われてきた。
人の気持ちを推し量ることに長けている友人は兄のような存在で、彼はいつもその胸でサンジを受け止めてくれた。幼い頃からそうだ。ゾロがいなくなってしまった時も、そばにいてくれたのはエースだった。
駅前のファーストフード店のコーナー席を陣取る。サンジがチーズバーガーのセットをテーブルに置くと、すこし遅れてエースが大量のバーガーとポテトとコーラのLサイズを載せたトレイを並べた。それでも家に帰ったら夕飯も通常どおり食べるのだろう。彼のうちは弟もよく食べるし、食費が半端なく家計を圧迫しているのじゃないかと心配になってくる。
エースが無心になって食べているのを見て、ちょっとだけ元気になった。これも毎度のことだ。もしかするとそれを狙っているのかと思いもする。強引なのもサンジに気を使わせないためだ。そして、そんな彼にはなんでも話してしまいたくなる。
「女々しいのかなあ、俺って」
口にハンバーガーとポテトを詰めこんで喋れないエースが、何が?と首を傾げる。サンジは紙ナプキンで口の周りについたソースを拭ってやり、セットのジンジャーエールを飲んだ。
「ゾロと昔みたいになりたいって。あいつさ、知らない間に色んなことがあったと思うんだ。留年してるし。そういうの全部知りてえけど、ゾロは話したくないんだろうな」
一気に言ってしまうと、ちいさな胸のしこりが取れた気がした。まだほんの欠片だけれど、それでも気持ちが楽になった。
「分かってるよ。ガキの頃とは違うし、こういうのが重いんだってのも。弁当なんて理由つけて昼メシ一緒にすんのだって俺の自己満だ」
そう、分かっている。上辺だけ取り繕ったところで、心までは近づけない。それでもサンジが動かなければ接点すら消えてしまう。それが嫌だから一方通行の関係でも続けているが、挫けそうなのも事実だ。再会してから進展しない自分たち。打ち解ける素振りを見せないゾロ。袋小路に追いこまれて、必死にもがいている。
「あーあ、何してんだろ。…もう構わねえほうがいいのかな」
氷の溶けた薄いジンジャーエールを啜るとひどく味気ない。愚痴っただけ食欲もなくなり、残ったバーガーとポテトをエースにやった。彼は新しく買ったコーラをトレイの隙間に置いた。
「あいつ見捨てないでやってよ」
そう言ったエースが困ったように微笑んでいる。サンジが戸惑っていると、親指で眉間を押された。
「しわ」
「うっせ、それよりどういう意味だよ」
彼の手を払い、続きを催促した。けれど何故だか焦燥感が募り、その先を聞いてしまうのをためらう気持ちもあった。
「不器用なんだよ」
そんなことはエースに言われるまでもなく知っている。自分が一番ゾロを分かっているという自負がサンジにはある。それを何故いまさら彼に言われなければならないのか。知らないところで、ふたりが思いの外、繋がっていたのだろうか。
「サンジが離れちゃったら、ゾロ寂しがるぜ」
「ねえよ、そんなの。むしろ清々すんじゃねえの」
エースがいるなら自分は必要ないじゃないかと投げやりになる。サンジの心情を察したのかどうか、諦めたようにエースが話し出した。
「あいつが留年したのって事故ったせいなんだよ」
「は?なに、事故って?」
「胸に大怪我負ってさ」
こんな感じに、と彼は左肩から対角線を引くように自分の胸をなぞった。そこでふと、子供の頃に見た夢が思い出された。成長したゾロが胸から血を流して、あっという間に血の海に飲み込まれていった。
あれは事故を予見していたのだろうか。不吉な夢は口にすると現実になりそうで、サンジは誰にも話さなかった。けれどゾロに打ち明けていれば、或いは回避する可能性があったかもしれない。回避はできなくとも、重傷を免れたんじゃないだろうか。
サンジはゾロが隠していたその事実を呆然と聞くだけだった。通りすがりの女性を助けたなんて、普段なら良くやったと誉めてやるのだが、とてもそんな気になれない。その怪我で留年し、剣道もしていないのかと思うと、やるせないし悔やまれて仕方ない。
彼の勇姿を知っている。凛とした佇まいは辺りを静寂にし、閃光を放つように竹刀を振るう。まるで俗世の汚れを払い清める神聖な儀式のようで、すごく好きだった。
自分の知らぬ間にそんな大事故に遭っていたなんて。そしてそれをエースから聞かされている状況さえ悔しくて、悲しかった。
自分はいつからゾロの一番でなくなったのだろう。彼が大変な目にあったというのに、そういうことを気にする己に嫌気がさした。
「言っとくけど、ゾロから話してきたんじゃない。たまたま病院で会って聞きだしたんだよ」
サンジは笑いそうになり、俯いて、手のひらに額を押しあてた。こみ上げる涙を深呼吸へと慎重に変える。何度か繰り返し、必死に落ち着こうと自身を宥めた。
敵わないと思った。一生エースには勝てない。サンジが自分のことに手一杯で周りを気遣う余裕もないのに、彼はゾロのことはもちろんサンジにも心を配っている。
太刀打ちなんて最初から無理だった。勝っているところといえばゾロと共有した時間の長さだろうか。今ではそれも怪しい。
エースは無理やり聞き出したと言うが、ゾロが彼を信頼してなければ話さなかっただろう。エースを特別視しているのは明らかだ。エースはどうなのだろう。今日の発言だけでもゾロを大事に想っているのがわかる。
(なんだ、失恋確実じゃん)
胸がぎゅっと締めつけられるが、その痛みを甘受すべきだ。いまの自分ではゾロの重荷になるだけだ。きっとエースなら彼を笑顔にさせられる。
「エースって好きなやついんの?」
「まあね、見込みなさそうなんだけどさ」
急に話題が変わったことに苦笑しながら、彼は成就はゼロパーセントの確率だと肩をすくめた。エースはきっと勘違いをしている。男同士だからと諦めている。サンジから見れば二人は両想いだ。
「サンジは?」
「俺もいるよ、すっげえ好きなやつ。ガキの頃からずっと好きだった」
「サンジが好きなら相手だって好きだよ。賭けてもいい、絶対そうだから」
誰かも聞かずに確信している親友に首をふる。相手がゾロだと知ったら一体どんな反応をするだろう。彼のことだから、あっけらかんと、じゃあライバルだな、なんて笑いそうだ。
「告白してみろよ」
絶対に大丈夫だと、想いを打ち明けるのをすすめてくる。それはエースのほうだと、サンジは思う。彼はサッカー部のホープであるし、明るく目立つ存在だ。それに優しいし、適度にユーモアもある。
ただ、もし彼がゾロに告白してお互い同じ気持ちだと知ったら、サンジの想いは行き場を失くしてしまう。好きだと告げることも叶わなくなる。
「…してみよっかな」
「安心しろ、俺が保証する!」
胸を張るエースに苦笑する。ちゃんとフラれたら、気持ちに区切りがつく。ゾロとエースを応援してやれる。こうやって悶々と不毛に悩むより、よっぽど健全だ。
「フラれたらお前に協力してやる」
「まあ期待しないで待ってるよ」
気持ちが変わらないうちにと、サンジは翌日の放課後、帰るゾロを捕まえた。裏庭にひっぱり、息つくまもなく告白した。勢いのあるうちにと、そうでなければゾロの眼差しにたじろいでしまう。
好きだと告げた。前のように仲良くしたいとも言った。結果は半ば予想どおりで、はっきりと引導を渡されはしなかったが、曖昧な言葉で終わった。
日が落ちてすっかり暗くなった道を走り、風見鶏の見える丘まで来た。全力疾走したせいで息が切れて、額に汗が滲む。真冬の冷たい風が一瞬で体を冷やしていった。
風見鶏は風に吹かれ、忙しなく向きを変えている。眼下には灯りの点った窓が蝋燭のように浮かぶ。
「明日、普通にできっかな」
一人ごちたら、涙がこぼれた。泣くのは久しぶりだとぼんやり思った。エースに、お前の恋を応援してやるとメールしてサンジは携帯電話の電源を落とした。