冬だというのに、その日は朝から暖かかった。午前中の授業をサボったゾロは学校の屋上にいた。
ここにいれば、クラスの連中と顔を合わせる必要はない。自分よりもひとつ下だからというわけではないだろうが、今のクラスはどうもゾロには馴染みにくかった。唯一うち解けることができたのは、長鼻のウソップだけだ。他の連中となると、名前どころか顔すら覚えていない有様だ。
サンジやエースのいる学年なら馴染めそうな気がするのは、いまだに未練があるからだろうか。
本当ならば自分は、高校二年生。サンジと同級生だったはずだ。今も心のどこかでそんなふうに思っているから、なかなか今の学年に馴染むことができないのだろうか?
空を見上げて目を閉じると、そのままうとうとと寝入ってしまいそうになる。
屋上のフェンスの向こうに見える風見鶏は、相変わらず目つきが悪い。特に今日は片目でじっとゾロを睨み付けているような気がしてならないのは何故だろう。
「俺ぁ、何も悪いことはしてねーぞ」
ぎっと風見鶏を睨み返して、ゾロは呟く。
バツが悪いような気がしてならないのは、昨日、サンジを困らせてしまったからだ。
いいや、考えると昔からずっとゾロは、サンジを困らせ続けているような気がする。悔しかったが、自分ではエースのようにうまく立ち回ることができない。何かあってもうまくサンジを安心させてやることができないのだ。
こんな不器用な自分よりも、サンジはきっとエースのほうが好きなはずだ。
ずっと、そう思っていた。
そのサンジが昨日の放課後、ゾロに好きだと言ってきた。昔のような関係に戻りたいと、そう言ってきたのだ。
その場で即答することができなかったことが悔やまれる。
しかし、ならばあの場で何と返せばよかったのだろう。
自分には、サンジに好いてもらう資格はまだあるのだろうか? あれだけ約束を破ってきた自分だから、それは許されないことのように思われた。昔のように何でも分かり合える関係に戻るには、自分には足りないものが多すぎる。
無理だと言うかわりに、サンジが口にした言葉の意味がわからないフリをしてしまった。
好きでもなく、嫌いでもなく。昔のような関係に戻れるものならば戻りたいが、それは無理な相談だときっぱり言い切ることのできない自分が、なんだかとても卑怯でいやらしい人間になったような気がする。
「俺が悪いわけじゃねえ」
ポソリと呟くと、風見鶏が重々しく体の向きを変えた。まるで風見鶏に怒られているような気がして、ゾロは眉間の皺を深くした。
今の自分には、サンジを受け止めてやれるだけの自信がないだけだ。エースのようにサンジを笑顔にしてやれるだけの自信が、今のゾロには足りないのだ。
「悪いわけじゃねえが、足んねーんだ」
それだけだと、ゾロは呟く。
どうしたらいいのだろう。このままではいつか必ず、サンジを失ってしまう。自信がないくせにサンジを諦めることのできない自分が、胸の奥底で小さな抵抗を繰り返している。
今ならまだ間に合う、サンジに想いを告げてしまえと、胸の底で騒いでいる。
目を覆うように片腕を額に乗せるとゾロは、きつく目を閉じた。
痛くもないのに胸の傷が疼いているような気がして、ゾロは息を詰まらせた。もう、とっくに怪我は治っている。後は本人の気の持ちようだと先日の検診では医者に言われた。
気の持ちようというのは、いったいどういうことなのだろう。
自分の後ろ向きな部分がダメだということなのだろうか。こんなふうに後ろ向きでいることが、ゾロ自身に常からマイナスの影響を及ぼしているということなのだろうか。
「わかんねえ……」
呟いて、のそりと体を起こした。
もう五分もしないうちに昼休みのチャイムが鳴るはずだが、腹が減ったのと考えすぎて頭の中が飽和状態になってしまったのとで、どうしていいのかすらわからない。
以前のゾロなら、煮詰まってくると竹刀を振るえば良かった。道場のピンと張り詰めた空気の中で無我夢中で竹刀を振っていると、それだけでいつの間にか心が落ち着いたものだ。
煮詰まった頭のままゾロは、屋上を後にした。
授業中の校舎は静かで、廊下の向こうから板書の音や教師の声、机や椅子がリノリウムの床をわずかに引きずられるような音が聞こえてくる。それから、生徒たちのボソボソと喋る声が。
屋上を後にしたゾロは、そっと足音を忍ばせて校舎内を移動していく。
物音に敏感になってしまうのは、どこかやましい気持ちがあるからだろうか。昨日の今日でサンジとは顔を合わせ辛い。屋上に上がったもののこっそりと帰るつもりだったが、タイミングを見計らっているうちにうっかりうたた寝をしてしまっていた。大失態だ。
おまけに、昇降口へ辿り着く前にチャイムが鳴ってしまった。鞄を取りに行くついでに自分の教室に寄らなければならないことはわかっていたが、教室の前でエースが待ち伏せているとは予想だにしていなかった。
「よ!」
ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべたエースが、目だけは笑わずにじっとゾロを見つめていた。今、いちばん会いたくないと思っていた人間が、目の前にいた。
「なんの用だよ」
眉間に皺を寄せたゾロの後をついて、エースは教室までズカズカと入り込んでくる。この男はなんでこんなにも図々しいのだろうか。入院中の時だってそうだ。この男はいつもいつも、自分がみっともない状態の時に現れては、弱みを握っていく。
「昨日、サンジに何て言った?」
エースが尋ねるのに、間髪入れずに返してやった。
「さあな」
何故、この男にそんなことをいちいち報告しなければならないのだ。ムッとしながらもゾロは、鞄に荷物を詰め込んでいく。ぺちゃんこの鞄に入れるものは少なく、帰り支度のできたゾロは立ち塞がるエースの体を肩でぐい、と押して教室を出た。
「待てよ、ゾロ。逃げんのか?」
追い討ちをかけるかのように、エースの声が背後からかかる。
この男は苦手だ。ガキの頃からずっとゾロは、エースが苦手だった。自分にはないものを持っていて、するりと自然にサンジの隣に立とうとするこの男が、本当は嫌いだった。サンジが仲良くしているから、今までずっと黙っていた。この男が一緒にいるとサンジが笑うから、何も言わず、ゾロはただ黙って彼の存在を受け入れていた。
だけどもう、限界だ。
「お前には関係ねえ」
拒むように背を向けると、ゾロは昇降口へと向かって歩き出す。
引きつるような胸の痛みは、これは気が高ぶっているからだろうか。
「関係ねーってこと、ないんだよね」
そう言ったエースの手が、ぐい、とゾロの肩をひっ掴んだ。体を捻ってゾロはエースの手を二の腕で弾こうとする。肩をあげ、勢いをつけて後方へ流せばすぐにエースの手は離れるだろうと思ってのことだ。その腕を寸前で鷲掴みにしたエースの目は、珍しく怒っていた。
「サンジに何言ったんだ、お前」
本気でエースは怒っていた。いちどは物珍しげに周囲に集まってきた級友たちだったが、エースの怒声に怯えたよう首を竦めたりその場をこそこそと逃げ出したりしている。ピリピリとした空気が伝わったのだろうか、その場に留まって二人の様子を眺めていた連中もいつの間にかシンと静まりかえっている。
「──なにも」
諦めたようにゾロは、ボソボソと呟いた。
おそらくこの男は、なにか勘違いしているのではないだろうか。サンジに対して優しい男だから、きっとそうだ。自分がサンジにちょっかいを出したのが、怒るほど気に入らなかったのだ。
「安心しろ。何も言ってねえよ」
もう、自分には何も残っていないのだ。
そう思うと、自然と口元に笑みが広がった。
結局、ゾロの苛立ちはどうにも収まりきらないところまできていたらしい。
振り払っても振り払ってもしつこく後をついてくるエースがあまりにも鬱陶しくて、教室を出てすぐの廊下で取っ組み合いの喧嘩を繰り広げてしまった。窓ガラスは割れるし、止めに入ったウソップは巻き添えになりカウンターパンチを食らって脳震盪を起こすし、生活指導の教師に拳骨を食らうしで、散々だった。いいことなど何一つない。
胸の傷が痛んだのでその日の残りは保健室で不貞寝をして過ごし、放課後は早々に帰宅した。その頃には最初にエースに殴られた右目の上が紫色に腫れあがっていた。
マンションの部屋に戻ったゾロは、洗面所で顔を洗いながら怪我をひとつひとつ確かめた。
右側の目の上と、顎の痣が特に目立つ。他はたいしたことはなかった。エースのほうは、左頬と鳩尾に大きな痣を作っているはずだ。見た目はともかく、エースのほうがダメージは大きかったはずだと、ゾロは自慢げにほくそ笑む。
久しぶりに暴れることができて、スカッとした。竹刀を触らなくなって以来、こんなふうに体を動かすこともなくなっていた。その点だけはエースに感謝しなければとゾロは思う。
濡らした手ぬぐいで目の上を押さえながら洗面所を出たところで、ロビンと鉢合わせした。
「あ──?」
この時間、いつもならロビンはまだ仕事中のはずだ。
「あら、いたの」
青い顔をしたロビンはそう言うと、怠そうにソファに腰を下ろした。疲れているのか、荷物は足下に投げ出したままだ。
「具合でも悪いのか?」
尋ねると、片手を振ってロビンは違うと言った。
「ちょっと貧血気味なだけよ」
そんな話は今までいちども聞いたことがない。怪訝そうにゾロが眉をひそめると、ロビンは微かに笑った。
「それよりも、相談したいことがあるのだけれど──」