春とはいえ夕方は肌寒い。そこかしこに満ちていた甘い香りは太陽が落ちるにつれ、花々が眠りに就いて薄くなっていく。それでも少し前に比べ格段に日がのびて、空はまだ明るさを保っている。
サンジは座ったまま不機嫌な幼なじみを見上げた。まさに仁王立ちして半眼で睨みつけてくる姿に、とっさに彼の背後にある階段へ繋がる鉄のドアを確認した。隙間があいて半開きになっている。いざとなったら逃げられるだろうか。
そんなサンジの望みを諦めさせるように、近づいてきたゾロに視界を占領されて、逃げ道を遮断された。立ち上がらせるように二の腕を引っ張られ、痛みに顔をしかめる。それに気づいたゾロが手を離したすきに、尻餅をついたまま後ずさった。
「何やってた」
ムスッとした彼に、まさか「見ての通りだ!」と逆ギレで誤魔化すわけにもいかない。かといって、正直に言うのも得策ではない。だいたい不意をつかれた結果であり、されると分かっていたなら抵抗していた。
そもそも相談にのってくれていたエース本人が問題を増やしてどうする。これは完全に自分の責任ではないから、問い詰められても困る。サンジはそう結論づけた。
「何って俺が聞きてえよ。相談料とか訳わかんねえ」
後ろめたい気持ちはあるが、ここで下手に出るとずるずる責められると判断し、サンジは強気にいった。それは功を奏すると思ってのことだったが、むしろ機嫌の悪い幼なじみに油を注いだようだった。普段ならあまり食い下がらない彼にしては珍しい。それも一番つっこんで欲しくないところに容赦なく踏み込んできた。
「相談料?相談て何だ」
「やべ、そうじゃなくて…あー…」
「悩みなら俺に言えばいいだろ」
おまえの相談なのに本人に言えるかバカ、とサンジは内心毒づいた。しかも内容が本当にキスしたのか錯覚なのか、なんて恥ずかしくて絶対に知られたくない。そのうえエースからの不意打ち。ゾロに話せるものは一つとしてない。
どう切り抜けよう。ここは顔色を窺って、状況を悪化させないよう振舞うのがいい。そう判断して、サンジはそっと彼を見上げた。ところがゾロの目を見て、あれ?と引っかかった。
彼は何を考えているか分からないと思われがちだが、それは誤解だ。目は口ほどにものを言う。言葉にしないかわりに、その鳶色の瞳は酷く雄弁だ。けれどもそれはきちんと向かい合わなければ分からない。
昔に戻りたいと切実に願いながらも彼の真意を見抜けなかったのは、拒絶が怖くて、無意識に彼との対話を避けていたからかもしれない。だから何を考えているのか掴めず、ひとり嘆き戸惑い、悲劇のヒロインになった気でいたのだ。
いま、しっかり向かい合うと、饒舌な瞳が語りかけてくる。口下手な彼のコミュニケーション方法だ。それをどうして忘れていたのか。自分の気持ちに捕らわれすぎていた。目の前のゾロはこんなにも感情に素直だ。
「おまえ、もしかして…」
俺のこと好きなのか?と続くはずの言葉は寸でのところで飲み込んだ。そのかわり心臓が音を立てて血液を流し、それとともに頬がほんのり色づいた。
確信ではないけれど希望が見えた。怒るのは脈があるから。でなかったら、他人にあまり関心を示さないゾロが、エースとのキスでこれほどつっかかるなんてないように思う。
思わず顔が綻んでしまって、「なに笑ってんだ」とこづかれる。ゾロは呆れたようにため息をつき、隣に腰を下ろしてきた。どうやら先程のことは不問いにしたらしい。
「おまえに言っとくことがある」
急に真剣味を帯びた声に隣を窺うと、ゾロの横顔は苦悶したような、後悔を滲ませていた。サンジはにやけた顔を引っ込め、息をつめた。
淡々と語られる話は一見、感情の起伏が薄い。けれど決してそうではない。この告白に彼がどんな決意をしたのか想像に難くない。それだけにやるせなかった。
ゾロはまず、中学三年の転校前日にした約束を守れなかったことを謝罪してきた。それから、そうでもしないと決心が鈍ってしまうとでもいうように、一息に事故の話をした。エースから聞いていたが、どうしようもなく胸が痛くなった。なぜなら、それは懺悔だった。
「ごめん」
ゾロが謝る必要などこれっぽっちもない。ゾロのせいなんて何一つない。すべて不可抗力だった。
それなのに彼は約束を破ってしまったとずっと気に病んでいたのだ。あれほど大変な目に遭ってなお約束を気にかける彼も、エース同様、優しすぎるのだ。
あの約束など、ゾロの身に起こったことに比べれば取るに足らないものだ。たしかに中学三年のサンジは酷くショックを受けた。でもそれだけだ。時間は空いたが再会を果たし、ゾロのように大怪我も負ってない。その怪我が原因で留年して、大好きな剣道も止めてしまった彼に比べれば、なんて甘ったれていたのだ。
彼はいまでも、あの日、風見鶏の見える丘に来られなかったことを後悔しているようだった。
サンジはゾロの頭をなでた。優しく安心させるように、贖罪する愛しい幼なじみに、もういいんだと教えるように包み込んだ。
こうしていると幼少の頃が思い出される。初めて出会ったのは入園式だった。部屋で飼っているマリモとそっくりのゾロの頭を触りたくてしょうがなかった。最初はそれが原因で喧嘩になった。仲直りして触らせてもらえるようになってからは、ずいぶんとなでたものだ。それもゾロが小学校を転校してからすっかりなくなり、あのマリモもいまは離れて暮らす両親のもとにある。
久しぶりに触れた髪の毛は見た目よりも軟らかい。大人しくされるままの彼が幼い頃の無防備な姿に重なった。
春を色付かせていた桜は数日たてばあっという間に盛りをすぎ、薄紅を降らせはじめる。バラティエにも、離れた丘から花びらが舞い降りる。まるでこれから来る春本番を歓迎するように演出している。レストランの風見鶏も楽しそうに回る。
店内の庭に面したガラス張りの扉はすべて開かれている。厨房を抜け出したサンジはそこに背を預け、いままさに庭で式を挙げている男女を眺めていた。
庭は青々と繁る木にぐるりと囲まれ、蜆花や小手毬が零れるように咲き乱れている。ちいさな十字架が掲げられる、こぢんまりとした教会だ。その下で愛を誓い、神父の祝福をうける二人。
花嫁は肩の出た、シンプルで真っ白なドレスを身に纏い、結い上げた艶のある黒髪を春風になびかせている。体にぴたりと巻きつくシルクは膝から下が長い尾を引く鳥のようにあでやかだ。オリエンタルな美しい顔立ちの彼女は幸せに目を細め、風に吹かれて額に落ちた新郎の髪の毛を手袋をはめたほっそりとした手で直した。
空は雲ひとつない快晴で、この日のためにあつらえたような気候は空気から肌へ直接、幸せを塗り込めるような温もりを伝える。
参列する一番後ろの席で、ゾロが一度ふり向いた。彼はサンジと目が合うとフッと微笑んでから、新郎新婦に視線を戻した。サンジは見惚れた。春が彼の心をすみからすみまで溶かしたような穏やかな笑顔だった。ドキンと鼓動がひとつ高鳴り、彼から目が離せなくなる。ゾロは急に大人びてしまった。陽をきらきらと纏っていて眩しい。
屋上で後悔に身を包んでいた彼はもういない。つい先日、まるで身寄りのない子供の面影を滲ませた幼なじみに寄り添ったのが嘘のようだ。あれから二日後の日曜日、今日のゾロはすっかりいつも通りだ。あんなに弱々しく頼りなげで、本心をみせた姿が衝撃だった。
一人じゃない。彼の周りには彼を愛する人がいる。叔父夫婦やエース、新婦の女性、それから自分だっている。
サンジがずっと見つめていると、視線を感じ取ったのか、ゾロがまた振り返った。彼はそっと列を抜けると、近づいてくる。
「なにしてんだ、戻れよ」
「俺ひとりいなくたって大丈夫だ、気づかねえだろ」
「そういう問題じゃねえ」
赤くなる頬を隠すようにサンジは俯いた。金髪が額にこぼれ、視界をさえぎる。いつもの制服ではない、スーツ姿のゾロに鼓動が速くなる。きちんと体に合った細身のスーツは彼の整った体型をさらに上等にみせる。
下をむいていると、大きな手に前髪をかき上げられた。顔をあらわにさせられ、嫌でもゾロと視線が合う。
「な、んだよ」
「べつに」
きっと真っ赤になっている。こんなに間近で微笑まれては目をそらすこともできない。髪に差し込まれた手が愛おしそうに額をなでる。
サンジは何か言おうと口を開けるも、うまく言葉がだせない。いつもなら、いらない事までぺらぺらとまわる口が肝心な時に役立たずた。ゾロの手が頬をすべり、唇に下りてくる。乾いた親指がうっすら開かれたそれをいじる。
「ゾロ…っ、」
たまらず名前を呼ぶと、「なんだ」と目を細める。緊張しすぎて呼吸が浅くなる。その証拠に彼の指もサンジの唇も湿り気を帯びてきた。
「人が…みんな来るから、式…おわったから」
だから離れろと口にする前にゾロに腕をひかれて、ゲストたちが店内に戻る流れに逆らい庭に連れ出された。主役がお色直しのために控え室に消え、招待客は皆、披露宴が始まるまで中で雑談をしている。ざわめきを背に、庭にはゾロとふたりだけになった。サンジは後ろを振り返り、ほっと息を吐いた。彼が十字架の後ろに立ったおかげで緑にさえぎられ、店内からはちょうど死角になる。
意を決して幼なじみと向き合うと、鳶色の瞳は彼のかわりに気持ちを伝えてくる。それで、あれほど強張っていた緊張がふっと解けた。いつも言葉の足りない男にどれだけ振り回されたか。苦笑して、サンジはゾロの左胸に右手を置いた。規則的に打つ鼓動に心が落ち着いてくる。彼は今度こそ満点をくれるだろうか。
「ロロノア・ゾロ」
「おう」
ひどく優しく響くその声にサンジは目尻をゆるめる。
「ロロノア・ゾロ、どんな時も、たとえばまた離れ離れになっちまっても、俺はずーっと、おまえが大好きだ」
いくらポーカーフェイスの得意な彼でも、今回ばかりは難しかったようだ。よほど驚いたのか固まっている。いたずらが成功したように、してやったりとサンジは笑った。
「これで満点だろ?」
目を見開くゾロにおどけるように首を傾げた。厨房のほうで自分を探す声がする。そろそろ戻らねばならない。いまだ静止状態の幼なじみを置いていこうと踵を返すと、引き止められた。振り返ればあまりの近さに今度はサンジがびっくりした。動きを取り戻したゾロにあっさり主導権を持っていかれたようだ。
「答え、聞かねえのか?」
嬉しそうに目を細める幼なじみに、それを聞かなくてもサンジには十分伝わった。そしてそれが外れていないというように、強い風が一吹きした。すると、どこからか、ひらひらと舞う薄く色づいた桜の花びらが落ちてくる。ふわりと金髪に着地したそれに手を伸ばしてくるゾロのネクタイを引く。バランスを崩す彼にひとつ笑いをこぼして、サンジはそっと唇を近づけた。頭上ではカラカラと祝福の音を奏でる風見鶏が風に吹かれて踊っていた。