終わりのチャイムが鳴ると同時に、生徒たちは我先にと教室から飛び出していく。新学期が始まったからだろうか、皆、どことなくそわそわとして浮き足立っている。
そんなはしゃいだ様子の級友たちを尻目に、ゾロはのんびりと帰り支度をしている。
自分が留年していることは、二年に進級した今、気にもならなくなった。級友たちとも少しずつ打ち解けだしたゾロにとって彼らは、相変わらず異星人のような存在ではあったのだが。
登校後まもなくして飛んできた携帯メールには、サンジとエースが同じクラスになったことが書かれてあった。結局この二人は、高校生活の三年間を同じクラスで過ごすことになるらしい。小さく舌打ちをしてからゾロは、席を立った。エースは油断がならないやつだ。なんでエースと三年間も同じクラスなんだと、わけもなくサンジを問いつめたい気分だった。
薄ぺらな鞄を手に、ゾロは三年生の教室が並ぶ三階へと上がっていく。
教室の前まで来ると、廊下側の窓に人影が映って見えた。サンジと……それから、あの人影はエースだ。
ボソボソと喋る声が聞こえてくる。
何を話しているのだろうかとゾロは、すぐそばの柱にもたれて耳を澄ませた。
「……だからぁ、それってどーなんだよ」
苛々とサンジが声をあげる。どうせまたくだらない相談をしているのだろうと、ゾロは渋面を作る。
「いいね、いいね。それって愛されちゃってるってことだろ、サンちゃん」
ふざけたようなエースの声に、ゾロの眉間の皺がますます深くなる。馴れ馴れしすぎるのだ、エースは。おおかたサンジの肩に手でもかけて、顔を近づけて言っているのではないだろうか。考えただけでも頭に血が上りそうだ。あまり過剰なスキンシップをするようなら、一度とっちめてやったほうがいいかもしれないと、そんなことを思いもする。
「でも……だったら、なんで……」
もごもごと口の中でサンジが何やら喋っている。
いったいこの二人は何の話をしているのだと、ゾロは息を潜めてもう少しだけ窓際に近付く。
喋りにくいことなのだろうかとゾロはさらに聞き耳を立てた。
「それだけ大切にしてもらってる、ってことだろ? だいたい、好きだから即エッチ、ってのも短絡的だと思わね?」
俺はそれでも構わねーけどと言うとエースは、げらげらと笑う。
こういう、脳みそと下半身が直結した輩はやはり早々にサンジから引き離しておいたほうがいいかもしれない。ゾロは苛々と奥歯を噛み締めた。
それにしても、だ。よりにもよってエースに一昨日のことを喋るなんて。
こっそりその場を離れると、何食わぬ顔をしてゾロは教室のドアをガラリと開けた。
「よ、色男」
目が合った途端、ニヤニヤと笑いながらエースが手を振る。
大股に二人に近付くとゾロは、サンジの頭をコツンと小突いた。
「お前……つまんねーことベラベラ喋ってんなよ」
少し前に自分との関係に悩んだサンジは、こともあろうかエースに相談を持ちかけた。その時のことがふと、ゾロの脳裏に蘇ってくる。
「つっ……つまんねーこと、って……俺にとったら……」
語尾が尻切れトンボなのは、恥ずかしくてたまらないからだ。頬だけでなく、首筋まで真っ赤にしてサンジは、恨めしそうにゾロを見上げている。
深い溜息をひとつ、ゾロは零した。
一昨日の晩は結局、最後までしなかった。
本当は触れたくて仕方がなかったが、同時にゾロは、サンジのことを傷付けたくもなかった。
今まで散々すれ違ったのだから、少しぐらい先延ばしにしたところで今さらかわりはない。それに、こういうことは勢いがなければなかなか踏ん切りがつかないものだ。特にサンジはそのあたりの押しが弱い。ただ漠然と体を繋げたいと思っているだけの間は、何度体を重ねたとしても最後まですることは無理なように思われた。
「で、実際のトコ、どーなのよ」
と、不意に真面目な顔をしてエースが尋ねる。
「余計なお世話だ」
そう言ってゾロは、エースを睨み付けた。
サンジはおろおろとするばかりだ。この男は妙なところで鈍いから、少し前までエースとゾロが自分を取り合っていたなどということには微塵も気付いていないはずだ。
「その歳で枯れたとか言うなよ……や、そのほうがいいか。もし枯れちまったのなら、俺が……」
言いかけたエースの顔面を狙って、ゾロは拳を突き出した。
「るせーよ」
凄んでみても、エースには効果がないことは承知の上だ。ヘラヘラと笑ってエースはゾロの拳を余裕で避けると、ひらりと身をかわした。
「さて。寂しい一人者は部活にでも行きますかね」
わざとらしく呟いたエースは、教室を出ていこうとする。
「部活、頑張れよ!」
サンジが声をかけると、ドアのところでエースは振り返ってニヤリと口の端を歪めた。
「お前らは、あんま頑張りすぎんなよ」
そう告げるとエースは、中指を突き立てて卑猥な仕草をしてみせた。
二人が呆気にとられているうちに、エースはバタバタと廊下を走って行ってしまった。
家庭科室の椅子に腰かけたゾロは、ぼんやりとサンジを眺めている。
さすがに始業式だけあって料理部は休みだったが、部員の特権でサンジは家庭科室に入り込んでいた。
手慣れた様子でサンジは出汁巻き卵を作っていく。
おにぎりは少し大きめに握って、海苔を巻いてずらりと並べてある。具は、シャケ、おかか、昆布と定番のものばかりだが、見ているだけで口の中に唾液が沸いてくる。
「それ、どーすんだ?」
出汁巻きの優しげなにおいに、ゾロは目を細めて尋ねる。
「サッカー部に差し入れすんだよ」
サンジは答えた。
ふぅん、と、ゾロは思う。
サッカー部には、エースがいる。エースのためにサンジは、マメに差し入れをしているらしいということにはもっと早い時期から気付いていた。しかし目の前でこういうことをされると、ムッとせずにはいられない。
「じゃあ、俺が剣道部に入部したら差し入れしてくれんのかよ」
上目遣いにゾロが尋ねる。
サンジは少し驚いたような表情をして、ゾロを見つめた。
「剣道、やんの?」
やって欲しいくせにと、ゾロは思った。
ゾロが竹刀を持つところが見たいと、いつだったかサンジは言っていた。事故のことを知った後だったから、それはそれは遠慮がちに告げたものだ。その言葉をゾロは、覚えていた。もちろん、自分自身がまた剣道をしたいと思っていたからでもある。春休み中に叔父夫婦の道場にこもっていたのは、人前で竹刀を握っても恥ずかしくない程度に体を作っておくためでもあった。
「やる。朝一番に、入部届け出してきた」
そうゾロが返すと、サンジは嬉しそうに口元を緩めたが、何気ない様子で「ふぅん」とただ返しただけだった。
サンジの目尻がすっと細くなり、一瞬、キラリと光るものが見えたような気がした。
春の風に吹かれて、風見鶏が勢いよく回っている。
迷いも躊躇いもない勢いで、クルクルと回っている。
ゾロの部屋の窓からサンジと二人して、夕暮れの空に遊ぶ風見鶏を眺めた。
風はまだ少し冷たかったが、もうすっかり春の夕空だ。うっすらと雲がかかった空はあたりを茜色に染め上げながら、ゆっくりと暮れていく。
「部活、いつから始めるんだ?」
風見鶏が風と遊ぶ様子をじっと眺めながら、サンジが尋ねた。ゾロの机の端にちょこんと尻を乗せ、手持ち無沙汰に煙草をいじっている。
「体慣らしに明日からのんびりとな」
課題のレポートを片付けながら、ゾロが返した。
「じゃあ、明日の弁当は赤飯だな」
ポツリと呟くサンジを、ゾロは不思議そうな顔をしてちらりと見上げる。
ただ部活を始めるだけだというのに、何故、赤飯なのだろう。
「復帰祝いだよ」
そう言ってサンジは、ゾロの頭に手を伸ばした。
がし、と緑色の短髪を腕の中に押し込めると、サンジはこめかみにそっと唇を寄せる。
「任せとけ。毎日でも差し入れに行ってやっから」
囁いた言葉が吐息となってゾロの皮膚を掠めていく。くすぐったさにゾロは首を竦めた。
「それより、レポートまだ終わんねーの?」
ふぅ、とサンジは溜め息をつく。煙草のにおいがゾロの鼻先まで漂ってくる。
煙いと一言、ゾロは顔をしかめて呟いた。嫌いではない。年頃らしく興味もあったが、他人の吸っている煙草はどうも臭く感じられる。
サンジはと言うと、面白がってそんなゾロにキスをした。
ガラス越しに風見鶏が見ているような気がして、ゾロは手を伸ばすとさっと窓際のカーテンを引いた。
カーテンの向こうでは、風見鶏がクルクルと、いつまでも風の中で踊っていた。