思ってもせんないことだと獄寺は、深い溜め息をつく。
今日の授業の内容なんて、朝からひとつとして頭の中に入ってくるはずがない。頭の中はすでに綱吉とのことでいっぱいいっぱいなのだから。
頭の中が飽和状態になるまでそう時間はかからないだろう。
やりきれないというふうにもう一度、獄寺は大きな溜め息をつく。
教壇に立つ教師が不愉快そうに鼻をならしたが、獄寺はいつものようにふてぶてしくひと睨みしただけだった。
それでいいと獄寺は思う。
今までどおりの自分でいるのは、ある意味、居心地がいいからだ。
無理をしてすぐにボロが出るようなことをするのは、ダメだ。自分にできること、できないことはとうの昔にわかっている。だったら、今の自分にできることで勝負するのがいちばん理にかなっている。
綱吉の気持ちが確かに自分に向いていると感じられるまでは、現状を維持するのがよりベターな方法だ。それ以上のことを望んではいけない。それ以上のつき合いや、触り合いを期待してはいけない。
諦めて綱吉と今の関係を続けるか、それとも諦めるか。
答えはわかりきっているのに、それでもつい及び腰になってしまう。
こんなにも自分は綱吉のことを好きだというのに、肝心の綱吉のほうは今ひとつ煮え切らない態度を取り続けている。狡い。自分の気持ちは隠したままで、獄寺ばかりが自分の気持ちをさらけ出しているような気がして、たまらなく恥ずかしいことをしているのではないかと思って不安になってしまう。綱吉の気持ちが定まらないのも、不安だ。
たまらなく不安で、恐くてならない。
学校ではいつもと同じように綱吉と時間を過ごし、自分の部屋には寝に帰るだけ。家にいてすることと言えば、食べて、寝て、たまに着替えてシャワーを使い、ただぼんやりと時間を過ごす。
興味のあるものは少なくはなかったが、今はどうもそんな気になれそうにない。
少し前までは自炊に燃えていた獄寺だったが、それももう飽きてしまったのか、ここのところとんとご無沙汰だ。
一日三食、嫌というほど食べていたボロネーゼも最近は食べようと考えることすらなくなった。ましてや、作ることなどとてもではないが思いつきもしない。
自分ですらこうなのだから、なし崩しに獄寺とつき合っている綱吉がそうではないと言い切ることはできない。
奥手すぎる綱吉に対して、ボロネーゼに飽きた自分のように、綱吉もまた自分に飽きたかもしれないと不安になったとしても、なんらおかしくはないだろう。
……そうだ。自分は、恐れている。綱吉に飽きられ、捨てられることに怯えている。
今すぐではなくても、そう遠くない未来に、綱吉が自分に飽きてしまえば捨てられてしまうだろう。
飽きるのは簡単だ。好きだと自覚するまでの時間はたっぷりかけなければならないが、飽きるのは一瞬で充分だと獄寺は思う。
手間暇かけてボロネーゼを作っても、それが毎日、毎食続くと飽きてしまうのと同じで、日々の積み重ねで少しずつうんざりとした気持ちが溜まりに溜まって、いつしか本当に飽きてしまう。いや飽きるぐらいならともかく、嫌いになってしまうことがないとは言えないところが人づき合いの難しさだ。 今の自分はまるで、誰かに食べてもらえるのをただじっと待つだけのボロネーゼだ。飽きられないだろうか、嫌われないだろうかと不安になりながら、じっとその瞬間を待っている。
これではいけない。このまま受け身に甘んじていてはならないのに、どうしてだか一歩を踏み出すことができない。
聞かなければ。
自分の中にある不安を解消するためにも、きちんと聞かせてもらったほうがいいに決まっている。
それに。と、獄寺は思う。何がなんでも「好き」と、言わせなければ、獄寺自身の気もすまない。
明日……そう、明日こそはと、獄寺は決意する。
必ず綱吉に、自分のことを「好き」と言わせてみせる、と。
そうしなければ、自分の中の不安は消え去らない。ずっと綱吉のことを信じられないままでいることはできないのなら、少しでも前進することができる方法を探るべきだ。ようやく獄寺は、そう思うに至ったのだ。
でなければ、綱吉に対する不安が獄寺の気持ちを引き裂いてしまうだろう。
──好き。
たった二文字の響きだが、なんて耳に心地良いのだろう。
胸があたたかいものでいっぱいに満たされていくような感じがして、その言葉を口にすると、それだけでフワフワとしたいい気分になっていく。
そうだ、明日は久しぶりにボロネーゼを作ってみようかと、獄寺は思う。
幸い明日は週末だから、綱吉を部屋に誘うのは簡単だった。
宿題を一緒にしようと声をかけようか、それとも綱吉の好きなテレビゲームを一緒にしようと声をかけようか。来てくれるだろうか、綱吉は。獄寺が差し出す提案は、綱吉の目には魅力的なものとして映るだろうか?
そうやって綱吉を自分の部屋に誘い、二人でボロネーゼを食べるのだ。
本当に恋人らしいつき合いはまだほとんど始まっていないから、獄寺はそういった二人きりの時間に憧れている。
そうだ、いっそのこと、シット・Pに相談をしてみようか。どうすれば綱吉が部屋へ来てくれて、一緒にボロネーゼを食べてくれるか。もしくは、この間の沢田家の風呂場での続きをすることができるのか、話に乗ってもらおうか?
いや、それともシット・Pの仲間のアーデルハイトに相談してみるべきだろうか。彼女なら恋人もいることだし──相手はともかくとして──、シット・Pに相談するよりもはるかにましな答えが得られるのではないだろうか。
それとも……ここはやはり、昔からのつき合いを重視してシャマルに相談すべきだろうか? 恋多き男だからこそ、彼ならば獄寺にこれぞ、というアドバイスをすることもできるのではないだろうか。
ただ単に部屋に招いて二人きりで宿題をしたり、ゲームをしたり、夕飯を食べたり……そういった何気ないことを二人でしたいだけなのだ、獄寺は。
はあ、と重苦しい溜息をつくと獄寺は、宙を仰ぐ。
いったいどうしたら、綱吉との関係を進展させることができるのだろうか。
自分はいったい、どうしたらいいのだろう。
それとも、苦しい時だけの神頼みで、神仏に祈ればいいのだろうか?
とは言うものの、UMAやツチノコなどと一緒で神頼みにしたからと言ってもそうそう叶うようなものでもなく、どこかモヤモヤとした、正体のわからない胸の支えのようなものが、獄寺の気持ちを陰鬱にさせていくのだった。
おまけに声をかけるチャンスがなかなか巡ってこないことも、獄寺を苛々とさせる一因となった。
校内で綱吉に声をかけようとすると、どこからともなく誰かしら現れて、邪魔をしに入ってくるのだ。
さっきは山本、その前は黒川花と笹川京子の二人だった。昼休みはたいてい山本と三人で屋上で昼を食べることにしているから、あまり二人だけの会話をすることができない。常識的で小市民的な綱吉が、自分たちがつき合っていることを暴露したいとはこれっぽっちも思っていないということは、獄寺も気づいている。
だから獄寺としては、二人きりになりたいのだ。
二人きりで言葉を交わして、安心したいと獄寺が思ったとしても、誰かに咎められるいわれはないはずだ。
自分たちの関係が人目を忍ぶインモラルなものだという意識は獄寺にはない。ただ、綱吉があまりいい顔をしないだろうことがわかっているから、二人の関係をそっと隠しておこうとしているだけのことだ。そうでなければ誰彼構わずに二人がつき合っていることを暴露して回っているところだ。十代目は自分の恋人だから誰も手を出すなよ、さらに言うなら俺は十代目のものなんだぞ、と。そんなふうに脅しつけ、宣言をしてもいいと思っているほどだ。
そんなことを獄寺が考えていると知ったら、綱吉は卒倒してしまいそうだ。
だから、今はまだそっとしておくほうがいいのだ。
二人の関係が不安定な今、あまり周囲に自分たちの関係を知られないほうがいいに決まっている。
どうやって声をかけようか。
ぼんやりと綱吉の後ろ姿に視線を馳せながら獄寺は、またひとつ、大きな溜息をついたのだった。
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