おそらく、考え事に夢中になっていたのだろう。
気がつくと敵に周囲を囲まれていた。
こんなに近くに敵が来るまで気づかなかった自分は、いったいなにをしていたのだろう。 何日か前から獄寺たちが潜伏しているモーテルの周辺には、敵方のマフィアたちが集まってきていた。くわえた煙草をアッシュトレーに押しつけ、獄寺はカーテンの隙間から表を覗き見る。さりげないふうを装ってはいるが、通りの向こうのベンチに腰かけているサラリーマンはおそらく敵方マフィアの刺客の一人だろう。他に配管工の車の中からこちらの様子を窺っているのが二人と、近所の住人のふりをしているのが一人。窓の外に見えるのはその四人だが、物陰に潜む気配はそれ以上だ。
慎重に周囲の気配を探りながら、まず部下を逃がすことを考える。三人の部下のうち一人は、今回、初めて実践に投入された者だ。あまり無茶はできないと獄寺は、新しい煙草を口にくわえる。火は点けない。
「おい、裏口はどうだ?」
足音を消して部屋に戻ってきた部下に、獄寺は声をかける。
「駄目ですね、裏口にも同じぐらい集まってきてます」
カーテンの影からもういちど表の様子をちらりと見て、獄寺は眼鏡を外した。そのまま部下を振り返らずに、ポツリと呟く。
「お前らならどうやって逃げる?」
そう言って振り返ると、部下たちは困ったように獄寺の顔を見つめた。
「逃げるのですか?」
逃げるのは本意ではない。攻撃こそすべてだと獄寺は思っている。ただ、部下に対する責任は自分にある。綱吉は部下が傷つくことを嫌がるだろう。それがたとえ避けては通ることのできない戦いであったとしても、彼はもう後がないというギリギリまで嫌がるはずだ。もっとも、そういう綱吉だからこそ獄寺は彼に惹かれているのだが。
「仮に、の話だ」
ギロリと部下を睨みつけ、獄寺はまたカーテンの向こうへと視線を戻す。手にしたままだった眼鏡は胸のポケットにひっかけた。
どうしたらここから出ることができるだろうか。追っ手を振りきってボンゴレのアジトまで、無事に辿り着くことができるだろうか?
「裏口のほうで動きがありました」
部下のなかでも特に目端の利く男が部屋に入ってくるなり警告した。少し焦っているようにも見える。
「放っておけ。表から出るぞ」
そう言うなり獄寺は、部屋の外に出た。
小汚いモーテルだが、主人の協力的なところが獄寺は気に入っている。フロントの受付カウンターに座る中年太りの男に目配せをすると、彼は手にした新聞でさっと顔を隠した。関わり合いにはしてくれるなということらしい。
「今のうちに安全なところへ逃げとけよ」
そう、獄寺は声をかけた。主人は慌てたように新聞をカウンターへ投げ出すと、取るものも取らずにそそくさと奥へと引っ込んだ。
受付のすぐ横に、二階へと続く階段がある。上の階は主人の居住スペースとなっているが、今はそんな細かいことにこだわっている場合ではない。
部下たちを振り返ると獄寺は、しかつめらしく声をかけた。
「お前らはここで待機だ。二階から俺がダイナマイトで仕掛けるから、一回目の爆発から十数えてから表へ出ろ」
表へ出た後のことは、神のみぞ知る、だ。
足音を忍ばせ、獄寺は二階へと続く階段をあがり始めた。
モーテルのフロントのすぐ上に、キッチンがあった。食べ散らかした後のテーブルにはコーヒーの染みが点々とついている。シンクの中には何日分かの汚れ物が溜まっており、悪臭を放ち始めている。どうやらここの主人は寂しい一人暮らしらしい。だったらなおさら都合がいいと、獄寺はニヤリと口の端を歪めて笑う。
正面の窓に近づき、胸ポケットの眼鏡をかけるとそっと表を見下ろした。
確かに四人、どれも見覚えのある顔の男が、じっとこちらの様子を窺っている。視点を変えると、見えなかったものが見えてくる。物陰に複数の刺客が潜んでいるのもここからではよくわかる。
そっと開けた窓の隙間から、獄寺はダイナマイトを投げつけた。
気づかれても構わなかった。ロケットボムなら火薬の推進力で方向転換が可能だし、連中の気を引くことができればそれで充分だった。
すぐに刺客の一人が、ダイナマイトに気づいた。ベンチに座っていたサラリーマン風の男が懐に手を入れたかと思うと、発砲してきた。鈍い銃声があたりに響き、それにあわせるかのようにどこかで犬が激しく吠え始める。
最初のロケットボムは、サラリーマン風の男の背後で爆発した。
まずは一人。獄寺は二階の窓を大きく開け放つと、ダイナマイトを次々と投げつけた。
二回目に投げたダイナマイトで、住人のふりをしたジョギング姿の男が倒れた。通りの陰から飛び出してきた男が、爆風に煽られて倒れるのも見えた。そのすぐ近くに潜んでいた刺客はたいした怪我ではなかったのか獄寺を狙って銃を放ってきた。が、銃弾を怖れて引っ込んでいる場合ではない。部下たちを逃がしたければ、ここで自分が敵の注意を引きつけなければならない。
配管工の二人組もバンの中から銃で応戦をしている。一見すると普通の車だが、ダイナマイトではビクともしないところを見ると、どうやらボディになにか仕込んでいるようだ。とは言え、この状況ではバンのほうにまで攻撃を仕掛けている余裕はない。こちらは、部下たちになんとかしてもらうしかないだろう。
不規則に続く物陰からの銃撃に、時折、気を逸らされそうになる。割れた窓ガラスがシンクや足下に散乱して、獄寺が部屋の中を移動するたびにジャリジャリと音を立てている。
ようやく、部下が眼下の駐車スペースに出てくるところが見えた。植え込みに隠れて移動しているため、敵の刺客からはまだ気づかれていないようだ。
できるだけ派手に見えるように手にしたありったけのダイナマイトを植え込みの向こう、敵の刺客へと向けて投げ放つ。それからクルリと踵を返すと獄寺は、キッチンを出て階段を駆け下りた。
素早く階下へ移動すると、ちょうど裏口から入ってきたばかりの刺客と鉢合わせをした。 「チッ」
出会い頭に一人、顔面に拳を入れて倒した。ドアの向こうにいる男の手に鉄パイプのようなものが握られているのを目の端で捉えながら獄寺は、二人目に蹴りを繰り出す。同時に飛ばしたチビボムで三人目を牽制しつつ、じりじりと表のほうのドアへと近づいていく。
「アイツら、なにやってんだ?」
小さく獄寺は毒づいた。表からはまだ銃声が聞こえてきている。部下たちはまだ銃撃戦を続けているのだろう。いつまで手間取っているのだ。
二人目の男の拳を避けた瞬間、肩のあたりをなにかが掠めた。一瞬のことだったから、獄寺は気にも留めなかった。拳を避けながら放ったチビボムが弾けて、二人目の男も床に沈んだ。
三人目は、ニヤニヤと笑っていた。手にした鉄パイプを振り回し、壁を殴り、床を叩き、モーテルのあちこちを壊している。先ほど肩のあたりを掠めていったものは、おそらくあの男が壊した壁材かなにかが飛んできたのだろう。嫌な笑みだと思いながらも獄寺は、背中のホルダーから小ぶりの銃を取り出した。銃身は短く、手の中におさまるほどコンパクトだ。
先に飛ばしたチビボムが、仕込んだ煙幕をあたりにまき散らし男の視界を遮る。獄寺の視界も悪くはなるが、そのためにわざわざジャンニーニに頼んで眼鏡にセンサーを内臓してもらったのだ。こんな時に使わずしてどうするというのだろう。
すぐにセンサーは刺客の体温に反応した。センサーが示す方向へと獄寺は銃口を向ける。 視界を遮られても尚、男は鉄パイプを振り回しているらしい。立ちこめる白煙に包まれているというのに、あちこちでものが壊れる音がしている。
安全レバーを親指でくい、と引き下げると、獄寺は素早く引き金を引く。
パン、と乾いた音が響いた。
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