雲雀が黙りこくっていると、ディーノはニヤリと笑った。
「まあ、いいや。とりあえず屋敷に戻ろうぜ。そろそろ夕食の時間だ」
ディーノが自分の腹を押さえるよりも早く、腹の虫が鳴った。
嫌そうに顔をしかめた雲雀が、ディーノを睨み付ける。
「ほら、行くぞ」
そう言ってディーノは、雲雀のほうへと手をさしのべた。
「ナニ、この手」
無表情に雲雀が問うと、ディーノはへらっと笑う。
「迷子にならないように、手、繋いでやるよ。ついて来な」
言いながらディーノは雲雀の手を引き、温室を出た。
大きな手が雲雀の手をぎゅっと掴んだ。まるで雲雀が手を引っ込めようとするのを阻止するかのように、ディーノはしっかりと手を握りしめている。
「こうしてたら、恋人同士に見えっかな?」
脳天気なディーノの笑みに、雲雀は微かな溜息を洩らした。
「……別に」
そう言うと、ふい、と横を向いてディーノと目を合わせないようにする。
恋人同士と言われてドキッとしたのは確かだが、それを認めてしまうほどの素直さは、今の雲雀にはない。
雲雀は、黙ってディーノについて歩いた。来た時は当てずっぽうに獣道を通ってきたが、帰りは人の足で踏み固められた小道だ。雲雀が歩いた獣道とは別に、やはり人間が通る道が存在していたのだ。
腹が減っているのか、大股にディーノは歩いていく。後をついていくのはそう困らなかったが、たびたびディーノがつまづくのには辟易した。なにもない平坦なところでつまずいては、派手に転んだり、咄嗟に体勢を立て直そうとして何かにぶつかったりしているのだ。
顔だけを見ていると、悪くはないと思う。そこそこの身長だし、この容姿だ。女共が放っておくわけがないだろう。なのに何故、こうまで鈍くさいのだろうかと雲雀は思った。
温室の花が綺麗だと思った。
ディーノのように、甘くて可愛くて、優しげだった。守りたいと思った。この場所で自由にのびのびとさせてやりたいと、そんなふうに雲雀は思った。
一人きりの空間でぼんやりと日がな一日過ごすのは、楽しかった。
だからだろうか、用もないのに温室へ足を運ぶのが雲雀の日課となった。
それに、ディーノは気紛れにここにやってきた。雲雀がいようがいまいが関係ないようだ。この場所が気に入っているのか、朝となく夜となく、ディーノは姿を見せた。一人きりのこともあれば、部下を連れて仕事の合間にやってくることもあった。
顔を合わせて、時間が許せば、拳を交えることもあった。
マフィアのボスとして多忙だということはわかったが、具体的になにをしているのかまでは雲雀にはわからなかった。
しかし彼なりにマフィアのボス業と、雲雀の恋人としての自分を確立して動こうとしていることは理解できた。ディーノがあちこち飛び回っていることのいくらかは自分のためらしいと思うと、嬉しい気持ちと鬱陶しい気持ちが入り交じって少しだけ苛々した。
温室の花は日々、いろんな表情を見せてくれた。
どうやら世話をする人間がいるらしく、雲雀が温室にやってきた時には水が撒かれた直後だったり、ふくよかな肥料のかおりが漂っていることがあった。
温室の奥に隠れるようにして設置された小さな人工の噴水池の手前に置かれたベンチが、現在のところ、雲雀のお気に入りの定位置となっていた。ここでうたた寝をしたり、温室の景色や天板ごしに見える空の様子を眺めたりしるのが日課となっている。
特に楽しいというわけではないが、ここにいればディーノを探す必要もなく、向こうから勝手にやって来てくれるのだから案外いいかもしれないと、そんなことを雲雀は思っている。
穏やかな日々に、体がなまりかけている。
実を言うと、ほんの少し、この退屈にも飽きてきている。
慣れてしまってはいけないと、自分の中の野生が警告を発している。
わかっているよと、雲雀は口の中で小さく呟いた。
人の気配を感じて目を開けると、至近距離にディーノの顔があった。
顔が近い。
唇をふさがれているのだと気づき、即座に手を動かそうとすると、腕を捕まれた。
唇の隙間から潜り込んだ舌の感触が、気持ち悪い。雲雀の舌に絡みつき、吸い上げ、歯の裏をねぶりとっていく。ディーノの舌は、うねうねと蠢きながら雲雀の口の中を犯した。
「んっ、ぅ……」
どうにも身動きを取ることができないと思った瞬間、雲雀はディーノの舌に噛みついていた。力いっぱい噛みついた瞬間、ガリ、と音がして、口の中に鉄の味が残る。
「いってぇ……」
慌ててディーノは雲雀から身を放した。
拳でごしごしと唇を拭いながら、雲雀はディーノを睨み付けている。まるで毛を逆立てた山猫のようだ。
「ねえ。誰の断りを得て、僕に触れたの?」
尋ねる雲雀の眼差しは、剣呑な光をちらつかせている。
「誰の断りも必要ねえな」
穏やかにディーノは言った。
「俺が触れたかったから、触れた。それだけだ」
雲雀はムッとした表情のまま、ディーノのすぐそばを通り抜けていった。
ディーノは動かなかった。
温室のドアがパタンと閉まり、雲雀の足音が遠く森の中へと消えていく──
苛々するのは、そこかしこでディーノの気配がしているからだ。
今は姿を見せなくても、同じ屋敷にいるのだから、きっとどこかでばったり鉢合わせすることもあるだろう。そもそもこの屋敷はディーノの屋敷なのだから、彼の知らない部屋はないはずだ。彼がそうと望めば、すぐにでも雲雀の部屋にまで押しかけてくることができるはずだ。
彼のあの人なつっこい雰囲気がそのまま屋敷の空気に滲み出ているような感じがして、どことなく居心地が悪い。
苛々と雲雀は、親指の爪を噛んだ。
自分はあの男のことが嫌いなのだろうか。
一緒にいて不快だとは思わないということは、どういうことなのだろうか。
好き……では、ない。しかし嫌いというわけでもない。心を許しているわけではないが、一緒にいることも時には許せるようになった。
しかしこの胸のモヤモヤとした感じは、いったいなんだろう。
どう説明したらいいのだろうかと、雲雀はもういちど爪を噛み締める。
がしがしと爪を噛んでいると、ディーノが部屋に入ってきた。
「こんなところにいたのか、キョウヤ」
にへらっと愛想良く笑うこの男に、心底ムッとする。雲雀はカシ、と強く爪を噛んだ。
不機嫌丸出しの顔でディーノのほうへと視線を向けると、腕を掴まれた。
「爪がガタガタになるからやめとけよ」
そう言ってディーノは、指を滑らして雲雀の手を取る。逃げようとしないのに気をよくしたのか、自分よりも一回り小さな手を雲雀の目線あたりまで持ち上げたかと思うと、不意に唇を押し当てた。図々しい男だと、雲雀はこめかみのあたりをヒクヒクとさせる。
「なにやってるの?」
感情のない声で尋ねると、目線だけを雲雀に合わせたディーノは、ニヤリと笑った。
「キョーヤの手、冷たいな」
温めてやるよと、ディーノの唇が我が物顔で雲雀の手を這っていく。
苦虫を噛み潰したような表情をしながらも、その実、内心では悪い気はしていない。この男の意識が自分のほうへ向いているのだと感じられれば、それだけで満足してしまいそうな自分がいる。
平和ボケしているなと、雲雀は胸の内で思った。
温室の花を眺めては、一人考え事に没頭する日々が続いている。
もう少ししたらディーノがやってくるはずだ。
このところあの男は、昼の時間に合わせて部下たちにランチの用意を持たせてここへやってくるようになった。
一緒に昼を食べるのが楽しいとディーノは言っていたが、雲雀には今ひとつその心境が理解できない。
それでも雲雀は、温室へやってくる。
ここにいればディーノが部下をぞろぞろと引き連れてやってくることがわかっていてなお、来てしまう。
本当に自分は、あの男のことをどう思っているのだろう。
やたら自分に触れてくるところは好きではないが、耐えられないほどのものでもない。要は互いに折り合いをつけてさえいれば、問題はないはずだ。
ベンチにゴロンと横になると、雲雀は目を閉じる。
あの男が来るまでは、まだ少し時間がある。このままうたた寝をするのもいいだろう。
開け放した天窓から入り込んでくる風が頬に心地よく、雲雀は目を閉じたまま、うっすらと微笑んだ。
どこか遠いところで鳥の声が聞こえている。
目を閉じると途端に嗅覚が鋭くなる。土の香り、緑の香り、花の香り。人工池の水のにおいまでもが、嗅覚に触れてくる。
そのうちに、人の声と足音が耳に入ってきた。
ディーノだ。
雲雀の心臓がドキンと、大きく脈打つ。
わざと素知らぬ顔をして、雲雀は狸寝入りを決め込む。
温室のドアが開くと同時に、ディーノの声がした。
「キョーヤ、メシ持ってきたぞ!」
そう言って、雲雀の名を何度も呼ぶ。
雲雀は閉じた目にぎゅっと力を入れて、寝返りを打つふりをした。
温室に吹き込んでくる風はほんの少し肌寒かったが、爽やかだった。
END
(2009.10.31)
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