「ダメっすよ、十代目。今夜は寝かせませんからね」
そう言われて、密かに綱吉の心臓は跳ねあがりそうになる。
ドキドキしながら獄寺の顔を盗み見ると、彼はどことなく楽しそうだ。今にも鼻歌を歌い出しそうな様子の獄寺は、いつも以上に落ち着きがないようにも見える。
「何かいいことあった?」
尋ねても、核心に近付くことはなかなかできない。
「十代目と一緒の部屋に泊まれるなんて、幸せです」
そう言うだけでなかなか手の内を見せてはくれない獄寺に、綱吉は焦らされるばかりだ。
「学生の頃を思い出しますね」
しみじみと呟く獄寺は、ちらりと綱吉のほうへ視線を馳せた。
「うん、そうだね。学生の頃みたいだよね」
そう言って線引きをしているのは、自分のほうなのに。
わざと獄寺が自分に近づきすぎないように、牽制している。
好きすぎてどうにかなってしまいそうなこの気持ちを隠しながら、常に彼との距離を保ってきている。
その理性も、そろそろ崩れてしまいそうな気がしてならない。いつか、どこかで自分の気持ちだけが暴走してしまうのではないかと不安になる時が、ある。
今回の綱吉の訪問に対してディーノの用意したゲストルームは、二人部屋だった。綱吉一人の時には使ったことのない部屋だ。
今日、ここに来てこぢんまりとした間取りを見せられた時にはホッと安堵の溜息をついてしまったほどだ。
「いい部屋だよね」
綱吉が言うと、獄寺は笑って頷いた。
並んだベッドを少しだけ動かして、隙間を埋めた。
「久しぶりに、夜中語り明かしませんか?」
学生の頃のように。無邪気に笑っていた中学生の頃のように。そう言外に含ませて、獄寺が言う。
「うん。そうだね」
そう言ったものの、ドキドキしてたまらない。
心臓の音が獄寺に聞こえてしまうのではないだろうかと、綱吉の心臓は先ほどから大きく鳴り響いている。近くに誰かが来たらきっと、この鼓動は聞こえてしまうのではないだろうか。
ここに滞在するのは、休暇を兼ねている。このところ忙しくしていた綱吉が少しでも休めるようにと、ディーノがボス同士の会談に見せかけて招いてくれた。
ベッドに潜り込んだ綱吉は、同じようにベッドに横になった獄寺をちらりと見た。照明を落とした暗がりの中でも楽しそうにしているのが、見えるような気がする。
「電気、消そうか?」
尋ねると、甲斐甲斐しく起きあがって獄寺が灯りを消した。
しばらくの間、懐かしい話を語り合った。そのうち、どこに置いてあったのか、獄寺がビスケットを出してきた。食べろ食べろと勧められ、ちょうど頃合いもよく小腹がすいてきた綱吉は、ビスケットを一枚、手にした。
ほんのりと香るのは、オレンジの香りだ。
「おいしいね、このビスケット」
ベッドの中でこっそりとビスケットを食べる行為が、学生時代の記憶を呼び起こす。
学生の頃の無邪気だった自分たちは、こうして布団に潜り込んでスナック菓子を食べながら語り明かすこともあった。将来のことや、その時々でかわっていく悩みを打ち明け合ったり、昼間のことを思い出しては面白おかしく聞かせ合ったりした。
あんな時間は、もう二度とやってこないのではないかと思っていた。
「懐かしいな」
呟いて、綱吉はビスケットを囓る。
隣で獄寺も、ビスケットを囓った。
明け方、目が覚めた。
獄寺はぐっすりと眠っている。
綱吉はベッドに置きっぱなしになっていたビスケットを片付け、洗面台で顔を洗った。
ベッドに戻ると、獄寺は寒そうに縮こまっていた。ケットをかけ直してやる。ついでに、規則正しく寝息を立てる男の顔を覗き込み、鼻先に唇で触れてみた。
ビスケットの、オレンジのにおいが微かにしている。
「なんか、かわいい」
小さく呟いて、指先で唇に触れてみた。
こんなことは、この男が眠っている時でなければできなかった。
そっと指の腹で下唇をなぞり、ついで上唇をなぞる。唇を合わせることができるなら、こんなことはしなくてもすむのに。自分と獄寺の関係は、マフィアのボスとその右腕の関係でしかない。だから、彼が眠っている時でなければ、好きに触れることもできやしない。
唇を噛み締め、綱吉は名残惜しそうに指を離した。
ふっくらとした下唇が、うっすらと開いて何かを待っているような素振りを見せている。
「こんなに好きなんだけどな」
いつ、君は気がついてくれるんだろう──口の中で呟くと、綱吉はベッドに潜り直した。
朝になるまで、もう一眠りできるはずだ。
口の中に残る微かなオレンジの香りのせいだろうか、潜り直したベッドの中で、綱吉は夢を見た。
ずっと、獄寺にキスしたいと思っていた。
ずっと、獄寺にキスされたことを記憶の片隅で覚えていた。
夢の中の綱吉は、中学生だった。
夕日の差し込む列車の中で、キスをされる夢だった。
「ずっと好きでした、十代目」
そう言われたような気が、した。
待ち望んだ言葉だったのに、夢の中の自分は意気地がなくて、獄寺の言葉に応えることすらできなかった。
ただじっと列車のシートに座って、眠ったふりを続けていた。
俺も好きだよと、そう返したくて、だけど返すこともできない恥ずかしがり屋の自分がいる。ああ、自分はやっぱりダメツナなのだと、改めて綱吉は思った。
ガタゴトと響く列車の音と振動に合わせて、体が揺れる。
狸寝入りをしていることが獄寺にばれないだろうかと、そんなことばかり心配している。
そんな自分を情けないと思うと同時に、このまま、獄寺がずっとそばにいてくれたらと思うことしかできない不甲斐ない自分に嫌気が差す。
自分も好きなのだと返さなければと思いながら、獄寺の声で目が、覚めた。
「おはようございます、十代目。よく眠れましたか?」
尋ねかける獄寺は、どことなく機嫌がいい。
「ああ、うん、おはよう」
そう返して綱吉は、ベッドに起きあがった。
「結局、途中で眠っちゃったね」
弱々しく綱吉が告げると、獄寺は嬉しそうに笑った。
「ビスケット囓りかけたまま寝ちゃってましたね、十代目」
そうだっただろうかと、綱吉は昨夜の記憶を辿ってみる。
ベッドに入って喋っていたのに、いつの間にか獄寺がビスケットを出してきていたところまでは覚えている。一枚、口にして、オレンジの味が懐かしいと思った。学生時代を思い出して、ポツリポツリと獄寺と言葉を交わしたことも覚えている。しかし、ビスケットを口にしたまま眠ってしまっていたのだろうか、自分は?
「え、本当に?」
尋ねると、獄寺は真面目な顔をして言った。
「本当ですよ。話してて、ふと静かになったなと思ったら、ビスケット口に突っ込んだまま爆睡してましたよ」
「ええっ、嘘だろ?」
反射的に口元を押さえて、綱吉は言う。今さら口元を押さえたとしても、見られてしまったものは今さらどうしようもない。それに、そんなことをしても夕べのことをなかったことにすることはできないのだ。
「食べかけのビスケットは、俺が責任を持って始末しましたよ」
獄寺が満面に笑みを浮かべて告げた。
「あは……ありがとう」
始末してくれたんだと、綱吉は弱々しく口元に笑みを浮かべる。
「オレンジの味でしたね」
そう言った獄寺の顔がどことなく照れ臭そうだったことに、綱吉は気付かなかった。
END
(2009.5.18)
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