唇を合わせると、足下の列車の振動がいっそう強く感じられた。
頭の中が、振動に合わせてドンドンいっているような気がして、獄寺は強く目を閉じる。
ぎゅっと口を閉じていると、綱吉の舌先が獄寺の唇をペロリと舐めた。
「ん……」
生暖かい感触に、鼻にかかった声が洩れる。
ガタゴトと音を立てて走る列車に、アナウンスが響く。
いいところだったのにと、ぼんやりとした頭で獄寺は思う。
チュ、と音を立てて下唇を吸い上げてから、綱吉の唇は離れていった。
「濡れてる」
唇を離した綱吉が、からかうように笑って言う。
「え?」
尋ね返すと、指先でツン、と唇をつつかれた。
「ココ。唾液で濡れて、光ってる」
そう言われた瞬間、獄寺は大きく後ずさった。勢いで背中が乗降口の脇に取り付けられた手摺りにぶつかる。
手の甲でごしごしと唇を擦りながら獄寺は、綱吉から視線を外すことができないでいた。
「あの時は、獄寺君のほうからキス、してきたんだよね」
綱吉の声は、少しだけ掠れている。
そうだ。獄寺は思った。自分は、綱吉がうたた寝をしているのをいいことに、キスをしたのだ。十四歳の獄寺は、そうでもしなければ自分の想いを抑えておくことができなかったのだ。
「俺も、本当はずっとこうしたかったんだ」
列車の速度が落ち始める。駅が近いのだと、獄寺は思った。
「ずっと、獄寺君にキスしたいと……──」
キ、キキ……と甲高い軋みをあげながら、列車がホームに滑り込んでいく。
窓から入り込んでくる夕日のせいで、獄寺のいる場所からは、綱吉の表情はよく見えなかった。
列車を降りて、ゆっくりとした足取りでアジトへ戻りだしたのは、オレンジ色に染まる夕暮れの空に紺碧の色が混じりだした時分になってからだ。
足取りが遅いのは、二人きりの時間を引き延ばしたいからだ。
「お腹、空いたね」
窺うようにちらりと、綱吉は獄寺の顔を覗き込んだ。
「アジトに戻る前に、どこかで軽く食べていきますか?」
そう獄寺が尋ねるのに、綱吉は首を横に振った。
「いや、アジトに戻ろう。それから、戻ったら少しだけ、獄寺くんの時間を僕にくれる?」
お互い忙しい身だ。そうそう時間がとれないこともわかっている。
詳細を報告したら獄寺はまた、日本を離れる予定になっている。おそらくは、そういったことを踏まえて、綱吉は獄寺の時間が欲しいと言っているのだろう。
「……はい」
頷いた獄寺の目元が、ほんのりと赤らんでいるように見えたのは気のせいだろうか。
人通りの少ない暗がりを並んで歩きながら綱吉は、そっと獄寺に手を伸ばした。
指先が微かにぶつかりあって、どちらからともなく手を繋いでいた。
アジトに戻った獄寺は、先に報告書を作成した。
その間に綱吉は別室で、いつの間にか積み上がっていた彼の用事を片付けているはずだ。
食事の用意ができたと連絡があるまでそうやって二人とも、それぞれのことに没頭した。
先ほどの約束を先延ばしにしているような感じもして、キーボードを叩く手を止めた獄寺は、苦々しい笑みを口元に浮かべた。
自分の時間を少しだけ欲しいと、言われた。
それが何を意味しているのかがわからないほど、子どもではない。朝から何度かキスをして、過去のことを確かめたからには、もう後戻りはできない。
中学生時代の友人同士だった二人に戻ることはできないのだと、獄寺は人差し指に軽く前歯を当てる。
自分の気持ちを知られてしまったことに対するやましさが、胸の隅っこでじわじわと広がっていくような気がして、知らず知らずのうちに歯形がつくまで指を強く噛んでいた。
綱吉は、自分のことをどう思っているのだろう。
キスしたかったと言うからには、そういった性的な意味での対象として自分を見ていたと思って間違いないはずだ。しかし、中学生時代の自分と同じ気持ちでこの十年間、綱吉は何を考え、獄寺のことをどう思っていたのだろうか。
相手の気持ちが見えないことが、不意にひどく不安なことのように思われて、獄寺の背筋を冷たいものが伝い落ちていくような感じがした。
どう接したらいいのだろう。
どんな表情をして綱吉と顔を合わせたらいいのだろうと、獄寺は思った。
デスクの電話が鳴った。
受話器を取ると、綱吉からだった。
「こっちの執務室で食事にするから、一区切りついたら来てくれる?」
いつもと同じ調子の綱吉の声に、やや拍子抜けしたように獄寺は言葉を返した。
「すぐに行きます」
報告は、明日の朝でいいと言われている。完成した報告書のデータを保存して、獄寺は部屋を出た。
足早に綱吉のいる部屋に向かうと、ちょうど雲雀が目的の部屋から出てきたところだった。珍しいこともあるものだと思っていると、獄寺に気付いた雲雀が顔を上げ、声をかけてきた。
「聞いたよ。妙な時間に日本に到着したかと思ったら、沢田綱吉と二人でホテルにしけ込んでいたんだって?」
たいして大きくもない雲雀の声が、廊下に響いた。
「おおかた夕べはお楽しみだったんだろう、って、跳ね馬が言っていた」
意味深な笑みを浮かべて、雲雀が言う。
確かに、日本に到着した時間は妙な時間だった。しかしその後、ホテルに移動したのは、綱吉が獄寺の話を聞きたがったからだし、やましいことはなかったはずだ。もっとも、全くなかったとは言い切れないところが痛いところだが。
「そんなわけあるかよ。あんまり眠かったから、休ませてもらっただけだ」
そう言った獄寺の目を覗き込んで、雲雀は笑った。
「そう。さぞかしゆっくり休めたんだろうね」
からかうでもなく、真面目な口調でそう言われて、獄寺は返す言葉を失ってしまった。ここで何かチクリと言われたなら、言い返してやるつもりでいたのが、肩透かしを食らったような感じになってしまった。
「報告は明日の朝一に頼むよ」
そう言うと雲雀は、獄寺に背を向けて歩きだしていた。
綱吉の部屋に入ると、すでに届けられていた食事が机の上にずらりと並んでいた。
「お疲れさま、獄寺君」
そう言って綱吉は、獄寺を迎えてくれる。
穏やかな笑みを浮かべた綱吉は、まっすぐに獄寺を見つめてくる。
「さあ、座って。食べよう」
いつもとかわらない綱吉の横顔に、獄寺は少しだけドキリとした。
あの唇が、自分の唇に触れたのだ。ずっと、キスしたいと思っていたと告げてくれもした。
自分の、十年来の邪な想いを正しく理解してくれたのだと思いたい。獄寺は綱吉の正面に腰を下ろすと、食事に手をつけ始めた。
視界に入ってくる綱吉の手が、肉を切り分ける。唇。肉を口に入れる。唇が動く。咀嚼して、飲み込む。喉が動く。グラスから水を飲む。喋る。また、唇が動く。
「どうかした? 疲れた?」
尋ねる声。ソースのついた唇。
この唇に、キスされたのだ。夕暮れの陽の射す列車の中で、この人は悪戯っぽく、だけどどこか困ったように、微かに笑った。
「獄寺くん?」
心配そうな、綱吉の表情。
「なんでもありません。少し、疲れただけです」
そう言って獄寺は笑った。
目の前の唇が、安心したのか、ホッと緩んだ。
END
(2009.5.23)
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