早朝、まだ夜も明けきっていない時間に獄寺は目を覚ました。
隣では、綱吉がよく眠っている。
いつのまにか手を繋いで眠っていたらしい。握られた手があたたかで、獄寺は口許に微かな笑みを浮かべた。
こんなにも強く幸せを感じたのは、二十四年間生きてきて、初めてのことだ。
一昨日、久しぶりに日本に戻ってきてから、獄寺にとっては夢のような時間が続いていた。
綱吉に自分の胸の内を打ち明け、互いの気持ちが同じだということを認識した。キスもした。体を繋げることはなかったものの、綱吉に抱いてもらった。
昨夜のことを考えると、それだけで照れ臭いような、何とも言えない恥ずかしさがこみあげてくる。
そっと手をほどくと、静かに獄寺は身を起こした。
物音を立てないように素早く身支度を整え、まだ眠る綱吉の顔を覗きこんだ。
微かに唇をあけた綱吉は、少しぐらいの物音では目を覚ましそうにないぐらい、ぐっすりと眠っている。
「行ってきます、十代目」
低く声をかけると、眠る綱吉を起こさないように、掠めるようにして頬にキスをした。
出かける前に、雲雀の執務室を訪ねた。昨日、雲雀に言われていた報告書を提出するためだ。 革貼りのソファが獄寺を出迎えてくれる。
こんな早朝だというのに、雲雀は既に起きていた。
獄寺が持ってきた報告書を受け取ると、雲雀は難しい顔で書面を読み進めていく。
革貼りのソファは座り心地が悪く、獄寺はどことなく落ち着かない気分を感じた。
横目でちらちらと雲雀の様子を見ながら、待たされた。あまりいい気分がしないのは、相手が雲雀だからだろうか。
膝の上で握りしめた手を握ったり開いたりしながらじっとしていると、草壁がコーヒーを用意してくれた。
「どうぞ」
香ばしい豆のにおいに、獄寺はホッと息を吐き出す。
油断した隙をつくようにして、雲雀が声をかけてきた。
「──…夕べは、君、部屋にいなかったみたいだね」
さらりと尋ねられ、獄寺は飲みかけたコーヒーにむせた。
咳き込み、手にしたコーヒーカップの中身がテーブルに零れた。
「これしきのことで動揺するんだ」
意地の悪い笑みを浮かべて、雲雀は呟いた。
「大丈夫ですか?」
心配そうに声をかけるのは草壁だ。
「ほうっておけ。夕べこそ本当にお楽しみだったみたいだからね。少しは自重してもらわないと、部下たちに示がつかない」
書類の頁をめくりながら、冷たく雲雀は言う。最後にトン、トン、と書類を整えて、ようやく端正な顔をあげる。
「この書類は、沢田には、もう?」
尋ねられ、獄寺は首を横に振った。咳き込んだ後だからだろうか、まだ少し、頬が熱い。
「口頭で説明しただけで、書面ではまだだ。ここに来る前に執務室に届けてきたから、朝一番に確認してもらえるだろう」
その言葉に、雲雀は満足そうに頷いた。
「では、引き続き任務に戻るように」
厳しい声色に、獄寺の背筋がピンと伸びる。
ソファから腰をあげると、獄寺は黙って部屋を出ていこうとする。
「お気を付けて」
背後でドアが閉まるのに合わせて、草壁が声をかけた。
獄寺は、何も言わずに手だけを振って返した。
空港へ向かう車の中で獄寺は、体の奥の疼きを感じた。
昨夜、どうして綱吉は自分のことを最後まで抱いてくれないのだろうかと、シャワールームの中で獄寺はひとしきり泣いた。
自分の何が悪かったのか、綱吉の部屋に入ってからの自分を必死になって振り返ったが、思い当たることはなにひとつとして出てこなかった。
ことが終わってすぐに、シャワーを浴びろと言われ、ひどく傷ついたのだ。そんなにも自分の姿を見たくないのかと尋ねようとしたが、こわくて何も言葉が出てこなかった。
やはり男の自分では駄目なのだろうかと思わずにはいられなかった。
だから、部屋に戻った獄寺に、綱吉がかけた言葉はまさに魔法の言葉のようだった。
今度の任務が終わったら、ちゃんと抱いてくれると綱吉は言った。
綱吉の言葉がその場しのぎの適当な言葉ではないことは、獄寺がいちばんよく理解していた。 獄寺の気持ちを綱吉は、正しく理解してくれている。
男である獄寺を、欲してくれている。
何かの間違いではないのかと思ったが、そうではなかった。
綱吉は、獄寺を求めている。
自分の勘違いではなかったのだと、獄寺は思った。
周囲のざわめきが耳にうるさい。朝のこの時間だというのに、空港はすでに人でいっぱいだった。
比較的、人気の少ない場所を探すと獄寺はフロアの壁際に荷物を置き、電話をかけた。
綱吉のプライベートな携帯の番号を押しながら、指が震えるのを感じる。
ひとつひとつ丁寧に、番号を押した。
今までだってかけたことのある番号だから、こんなに緊張するほうがどうかしていると、獄寺は自分に言い聞かせる。
携帯のボタンを押す手が汗ばんで、みっともないことこの上ない。
ワンコールで、すぐに受話器の向こうから優しい声が聞こえてきた。
「もしもし、獄寺君?」
「はい……おはようございます、十代目」
面と向かって言葉を交わすのが恥ずかしかったから、黙って部屋を出てきた。後になって、一人取り残された綱吉が怒ることは目に見えていた。
「おはよう。今、もしかして空港?」
受話器の向こうの綱吉は、いつもと同じに優しい。
「出かける時に、起こしてくれればよかったのに」
拗ねたような綱吉の声に、獄寺は言葉を詰まらせた。
「すっ、すみません、十代目。あの、その……」
昨夜のことを思い出すだけで赤面してしまう獄寺に、綱吉を起こすことは、できなかった。今だってそうだ。携帯越しだからこそ、なんとか平静を装って言葉を交わしていられるが、これが面と向かってだとしたら、会話にもならないのではないだろうか。
「あの……」
どもる獄寺に、綱吉は小さく笑った。
「怒ってないから、気にしないでいいよ」
それに、こうして獄寺君のほうから電話をかけてきてくれたから、と、綱吉は続けた。
「出発前に、お声を聞かせていただきたいと思いました」
落ち着いた声で獄寺が告げると、綱吉は、受話器の向こうで頷いた。
「うん。俺も、獄寺君の声が聞けて嬉しいよ」
綱吉の声に重なるようにして、空港のアナウンスが流れ出した。
「そろそろ、電話切ろうか?」
綱吉の声が、アナウンスのせいで遠くに聞こえる。
「まだ、大丈夫です」
獄寺の言葉に、受話器の向こうの綱吉はおそらく苦笑していることだろう。
「駄目だよ。乗り遅れたらどうするんだよ」
責めるわけではない、優しい声に、獄寺はホッとする。
「夕べの、十代目の言葉ですけど……」
どう告げたものかと獄寺が逡巡していると、すぐに気付いてくれたのか、綱吉は続きの言葉を引き取ってくれた。
「俺、獄寺君が帰ってくるまでちゃんと待ってるから」
待っているが何を意味しているのか、獄寺にはすぐにピンときた。昨日の今日だ。理解できないほど獄寺も、子どもではない。
「だから獄寺君も、無事に帰ってくること」
綱吉の柔らかな笑みが、獄寺の目に浮かんでくる。
こういう時、綱吉の笑みはひどく優しい。優しくて、あたたかで、獄寺はその笑顔にいつも、癒されていた。
「──…はい」
言葉を、返す。
幸せだと、獄寺は思う。
「そろそろ切るね、獄寺君。それから……俺、絶対に待ってるからね」
少し子どもっぽい言い回しで綱吉はそう言うと、獄寺が言葉を返す前にさっと受話器を置いた。
「あ……」
嬉しいような、残念なような、どこかもどかしい気持ちのまま、獄寺は携帯の電源を落とす。 空港のアナウンスは、獄寺が乗る予定の飛行機の案内を繰り返している。
床に置いていた荷物を提げ直すと、搭乗ゲートへと向かって獄寺は足早に歩き始めた。
END
(2009.6.6)
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