『漂流蜜月』



  目を閉じると、波の音だけが耳に入ってきた。
  見当識失調を起こしそうなほどの揺れを感じているというわけでもないのに、ひどく気分が悪く、頭が痛かった。
  うっすらと目を開けると、すぐ近くに見知った顔があった。
「大丈夫か?」
  尋ねられてサンジは、微かに頷く。
「そんなとこにいないで、肩にでももたれるか?」
  エースの問いに、サンジは面倒臭そうに再び目を開けた。
「──…いや、いい」
  不機嫌そうに返すと、すぐに目を閉じる。
  目を開けていたほうが不快な感じは少なかった。それを知っていてもサンジは、目を閉じていたかった。ほとんど陰のない炎天下で、ほんのわずかな水だけでどうしたらこの状況から抜け出すことが出来るのだろうか。
  小舟の縁から身を乗り出し、腕を海面に出すと、水中に指先をひたす。生ぬるい海水に、サンジの口元がわずかに歪んだ。
  ぼんやりとしていると幼い頃の記憶が蘇ってくる。クソジジィと二人きりで辿り着いたあの島の記憶が、サンジの頭の中いっぱいにグルグルと回りはじめ、気分が悪くなってくる。
  別のことを考えなければと、サンジは唇をきりりと噛み締めた。



  小舟は、メリー号よりもはるかに小さな二人乗りの帆船だった。どうにか雨風をしのぐことは出来たが、二人で下の部屋に入ってしまうと、熱気と潮を含んだ湿気であっというまに汗だくになった。だから二人は部屋にはおりず、狭い甲板で照りつける太陽に耐えていた。
  エースとサンジが小舟で海を漂流するようになってから三日が過ぎている。
  かろうじて釣り上げた小魚を、エースが焼き魚にしてくれた。それを、二人で分け合った。ひとくち、ふたくちでおしまいになるのはわかっていたが、食べなければならなかった。
  水は幸い、樽の中に備蓄分が少しだけ残っていた。しかしその水にしても、雨水を溜めたもので既に生臭くにおいはじめている。
  エースは文句ひとつ口にすることなく、サンジと小魚を分け合い、生臭い水を飲んだ。
  最初は、すぐに何とかなると思っていたのだ、二人とも。
  ちょっとした好奇心から小舟に乗ったものの、しかし小舟は陸とは反対の方角へと流されてしまった。気付いた時には、助けを呼ぶことも出来ず、陸から遠く離れた海を漂流していた。
  照りつける日差しを少しでも遮ることが出来ればと、サンジは恨めしそうに空を見上げた。
  雲ひとつない空はギラギラと太陽の光を降り注いでいる。
  ジリジリと肌が焦がされていくその感覚に、サンジは眉をひそめる。
「せっかく、二人っきりになれた、ってのに……」
  ポツリと呟くと、エースの手がサンジの髪をくしゃりと撫でた。
  目を閉じて、サンジはその手の穏やかな感触に集中しようとする。
  こんな時だというのに、唇から、思いもしなかったような甘い吐息が洩れた。



  いつの間にかサンジは、エースの胸の中に引き込まれていた。
  密着すると、汗のにおいと体臭とが鼻をついた。この三日間、二人とも着の身着のままで、風呂にも入っていない。
「やっぱり、ちょっと臭うな」
  へへ、と小さく笑って、サンジが呟く。
「気にしない」
と、サンジの髪に唇を押し付けながら、エースが返す。顔をしかめたサンジは鼻を鳴らした。
  背後のエースはさらにしっかりと腕の中の体を抱き締めると、サンジの耳朶に舌を這わせ、軽く甘噛みした。
「いいさ。どうせもっと汗くさくなるんだから」
  耳元でそう囁いたエースは、サンジのシャツの隙間に手を差し込んだ。暑さで火照ったサンジの体は、汗をかいていた。じっとりと湿った肌の感触を楽しみながらも、エースの手は確実にサンジの体を這い上がっていく。
  まるで炎が肌をじりじりと焼き焦がしていくかのような感触に、サンジは深い溜息を吐く。
「よせよ、こんなところで……」
  ようやく絞り出したサンジの声はしかし、掠れて上擦っていた。
「大丈夫だって。この三日間、俺たちの他に誰にも会っていないだろ?」
  チュウ、と首筋を吸い上げられ、サンジはピクンと体を震わせた。痛いような、むず痒いようなその部分が、エースの唇を感じてさらに火照りだす。
「ん……」
  反撃とばかりにシャツの上から、中に潜り込んだエースの手を捕らえると、その手はやんわりとサンジの乳首をつねり上げた。
「あっ、あ……」
  ピリピリと痺れるような感覚がして、サンジは目を閉じた。



  陽の光の眩しさと、エースの手の動きとに翻弄されて、サンジは眩暈を感じていた。
  汗で湿ったシャツが肌にまとわりつく不快感に、サンジは顔をしかめた。エースの体温の高さに、サンジの体もカッと熱を放ち始めだした。シャツの裾を引きずりだし、カチャカチャと音を立てるバックルの音がやけに大きく耳についた。
「や…め……」
  するりとエースの手が、下着の中に潜り込んできた。
  触れられるだけで、サンジの体は大きく震え、その先を期待してしまう。
「エース。今は、したくねえ」
  掠れた声でそう告げると、首筋に熱い吐息を吹きかけられた。
「そんなことないだろ」
  きゅっ、とエースの手が、サンジの硬くなりはじめた竿を握り締めた。
「……ほら、な?」
  言葉を発するたびにエースの唇は、サンジの首筋を掠めていく。それすらも心地よく、サンジは小さく身を震わせた。
「んっ……」
  弱々しく首を横に振ると、立ち上ってくる快感にサンジの体が痙攣したように大きく震えだす。むず痒いようなくすぐったいような感覚に、頭の芯がボーッとなり、思わず腰を前へ突き出し、声をあげていた。
「イキそう?」
  からかうような甘いエースの声に、サンジは目尻を濡らして頷いた。
「中に、欲し……」
  乞われるままに、エースはサンジの中にペニスを押し込んだ。
  二人とも、これが最後かもしれないとその時は思っていた。どこかの船に出会うこともなく、陸地に近付くことさえもできなければ、このまま二人で死んでいくことになる。ならば、動けるうちに今できることをしておこうと、そんなふうに思っていたのだ。



  硬質の太い竿がずぶずぶと潜り込んでくる感覚に、サンジは喘いだ。酸素を求めて口をあけると、あられもない嬌声があたりに響き渡る。
  エースは、サンジの耳元に口を寄せて囁いた。
「しーっ。声が聞こえたらどうするんだ?」
  ここ数日、船が通りかかることもなく、人の姿は一度として見ていないというのに、エースのその言葉でサンジはふと我に返った。慌てて唇を噛み締め、声を洩らすまいとぐっと堪えている姿はある種エロティックでもある。
「んっ、ん……」
  鼻にかかった甘い声をあげて、サンジは自ら腰を揺さぶった。
「動けよ、エース……」
  後ろ手にエースの腕に掴まり、ゆっくりと腰を動かすとヌチュヌチュと湿った音がする。
「あ……あ……」
  口の端からたらりと涎が溢れ出て、顎を伝い落ちていく。
  白い肌の上に浮き上がった汗の滴をエースは舌で舐め取り、きつく吸い上げる。唇をはなすとその部分には朱色の刻印が鮮やかに残されていた。
「ごめん。跡、つけちまった」
  そんな言葉もサンジの耳には聞こえていないのか、規則的なリズムを刻んで体が揺れている。
「ぅあ……んんっ!」
  後ろに背を反り返らせて、サンジの体がエースのほうへと傾いてくる。
「おっと」
  ぐい、と細い体を引き寄せたエースは腰を押し付けると、サンジの奥深くへと精液を叩きつけた。ビクン、とサンジの体も大きくひきつり、エースの手の中に白濁した精を放った。
  しばらくしてサンジは剣呑そうに目を開けた。相変わらず空は青く、雲ひとつない。しかし、空の向こうにカモメの姿が見えている。
「あ…──」
  言いかけた言葉を、エースが引き取った。
「陸が近いな」
  助かったのだと思うと同時に、着衣を正さなければとサンジはぼんやりと思った。のろのろとエースから離れると、サンジは服を着直した。お気に入りのシャツもスーツもよれよれだった。精液のにおいが残っているのは、今は諦めるしかない。陸に上がったらすぐに汚れを落とさなければと、サンジは心に留めた。
「二人きりってのも、結構クるもんだな……」
  ぽつりと呟き、サンジは水平線の向こうの陸地に視線を馳せた。
  どこからともなくカモメが集まってきて、頭上で喚いている。
  ホッとして顔を見合わせた途端、二人の腹の虫が同時にうるさく騒ぎだした。
  二人は顔を見合わせると、心から安堵したような笑みを浮かべた。





END
(H20.3.16)



AS ROOM