『夢の続きは』



  その知らせを聞いた時、サンジの中ではエースの死は、まだ現実のものとして感じることができなかった。
  真っ先に頭の中に浮かんだのは、ルフィのことだ。仲間として、自分が身を預ける船の船長の心配をするのが一番だった。海賊ならそれが当たり前だろう。
  常に危険と隣り合わせの海賊稼業だ。いつ何時、海軍に捕まるかもわからないということはサンジ自身、よく理解しているつもりだった。だからエースの死よりも、白髭の死よりも、その場所で起こったどんなことよりも、真っ先にルフィのことを心配した。
  ルフィの消息がわかるまでの間、サンジは仲間たちのことを気にかけながらもまだ、呑気に自分のことを考えていた。
  仲間たちと再会した時のことばかりに思いを馳せ、自分が本当にしなければならないことには一つとして気付いていなかったのだ。
  なんと自分は、馬鹿だったのだろうか。
  なんと自分は、非力なのだろうか。
  目の前で兄を失ったルフィのことにばかり、気持ちは向いてしまう。
  自分には何ができるだろう。ルフィのために、どうすればいいのだろう。強くならなければ、ルフィを支えるために。そんなことばかりが頭の中をグルグルと回っていた。
  今、ルフィのために駆け付けて力を貸すこともできない自分と同じように、ロビンやナミ、それに他の連中も、自分の非力さを痛感しているだろうか。
  エースのために、涙を流しているだろうか?



  アラバスタで初めてエースと出会い、彼と恋仲になった。
  一言、二言、言葉を交わしただけだったというのに、いつの間にか気持ちを持っていかれていた。
  もしかしたらあれが、一目惚れというやつなのかもしれない。
  これまで出会ったレディに対して感じた気持ちとは少し異なる、不思議な感じがした。
  何か食べさせてくれと言ってじっとサンジの手元を見つめる男の瞳は、穏やかで優しかった。
  海賊らしからぬ眼差しだと思い、戸惑いを感じた。
  そう言えばルフィも同じ眼差しをしている。もっともルフィの場合は、海賊らしからぬ、明け透けで大らか、よく言えば無垢で世間知らずな眼差しをしていたのだが。
「もうすぐだからな、待ってろ」
  くわえ煙草のサンジは、くぐもった声でそう告げた。
  嬉しそうに細められたエースのまなじりは愛嬌があった。頬に飛び散るそばかすも、大きな口も、人好きのする笑顔すら、サンジの心を密かにざわめかせた。
  見られていることをあんなにも意識したのは、エースが最初で最後だ。他の誰に見られていても、手元が危うくなることなどなかった。全身がカッと熱くなり、口の中がカラカラになっていったことを昨日のようにはっきりと覚えている。
「気になるんだろ?」
  ゆっくりと、エースは尋ねた。
  身じろぎ、サンジは口元を真一文字に引き結んだ。フライパンを持つ手が、微かに震えている。
「ほら、できたぜ」
  さりげなく言いながらも、声が掠れていることにサンジは気付いていた。



  好きだったのだ。エースのことが。
  想いは結局、二度目にエースと会った時に白状させられた。仲間たちは知らないはずだ。
  初対面で相手のことを意識して、二度目でセックスをした。
  仲間たちから離れて一人で港町を散策していた時に、偶然エースと出会ったのだ。サンジは食糧の補給のため、エースは情報収集のため、その港町にやってきていた。
  再会したことで勢いづいてしまったのか、酒場でひとしきり世間話をして飲んだくれた後に、二階の部屋に二人して転がり込んだ。その酒場がそういった宿を二階に併せ持っているということに、サンジは後から気付いた。そしてもっとずっと後になってわかったことだが、エースは最初からそれと知っていてサンジを誘ったと言っていた。
  それほどまでに互いに、相手のことを意識していたらしい。
  木賃宿の色褪せたベッドの上で、初めて男に抱かれた。これまで守ってきた倫理観だとか貞操感だとか、そういったものは呆気なく引きはがされてしまった。
  男は嫌いだ、男など相手にするものかと言いながらも、エースの大きな手に頭の上で両腕を一纏めにされるとまるで早鐘を打つかのような鼓動の音が聞こえてきた。
「気になるんだろう? 俺も、アンタも、互いに意識している。それに気付いているか?」
  尋ねられて、サンジは弱々しく首を横に振った。
  そんなこと考えたくもなかった。レディにするようなことを、この男は同じ男の自分にしようとしているのだ。信じられないと、小さく呻くと唇を奪われた。
  唇を合わせ、吸い上げられ、サンジははあ、と苦しげな息を吐き出した。
  溺れてしまいそうだと思ったのは、何に対してだろうか?
  無理強いをするわけでもなく、エースは笑っていた。
  だったらこの腕の戒めを外してくれと口にしたら、また笑われた。互いに相手のことが気にかかってしょうがないってのに、どうしてだ、と。
  男だからだとサンジが返すと、エースは楽しそうにシシシと笑った。笑った時の口元を見て、ルフィの口元を思い出した。さすがに兄弟だけあって似ているのだなと、その時は索漠と思っていた。
  そのままその場でエースに抱かれたことを思い出すと、今でもサンジの体はじわりと熱くなる。あの時は、体の中に穿たれたエースの性器に焼き尽くされるかと思った。硬くて質感のあるあの、性器。てらてらと黒光りするあれがサンジの体の中に突き立てられ、グチュグチュと湿った音を立てながら抜き差しされるのをサンジは唇を噛み締めて耐えた。痺れるような痛みと、汗と血と精液のにおいと……それから、少しの快感と。
  痛みからではない声をあげると、エースは喉を鳴らして口付けてきた。
  やんわりと唇を吸い、サンジはそれに応えた。
  エースは、穏やかな眼差しでサンジを見つめていた。



  ルフィの消息を知ってしばらくして、サンジの元へと届けられたものがある。
  あのオカマだらけの島国へ、単身で乗り込んできた男がいたのだ。白髭海賊団の一番隊隊長だとその男は言った。
  エースから預かったものを届けに来たのだと、彼は告げた。
  会うつもりはなかったが、当時、サンジが世話になっていたイワンコフに散々脅しつけられ、仕方がなく会ったのだ。サンジの意思ではなかった。
  白髭海賊団の一番隊隊長。パイナップルの葉のような奇妙な髪型の男は、古びれた革の小さな袋をサンジに手渡した。
「なんだ、これ」
  憮然としてサンジは尋ねた。
  マルコのことは、名前こそ知ってはいたが面識はなかった。エースは仲間のことをほとんど語らなかった。二人が交わした言葉は、もっと他愛のない、どうでもいいようなことばかりだった。
「エースから預かってたんだよい」
  男は言った。
  もしも自分の身に何かあった時には、麦藁海賊団にいるサンジに渡して欲しいと──そう、エースが言っていたとマルコは告げた。
「開けてもいいか?」
  サンジがちらりとマルコを見遣ると、彼は微かに頷いた。手渡された小さな袋の口紐を、サンジは恐る恐る解いていく。指先だけでなく、手全体が震えているのは、何故だろう。



  ゆっくりと革袋の口を開けると、中から赤いガラス玉が転がり出てきた。
  いつもエースの首に飾られていた、あの赤い玉だ。
  てのひらの上で、頼りなくユラユラと不安定に揺れている。
「お前に持っていて欲しいって言ってたぜ。アイツの気持ち、汲んでやれよい」
  何を言われているのか、サンジにはわからなかった。頭の中でグルグルと何かが渦巻き、エースへの想いを幾層もの深い靄の中に隠してしまおうとしているかのようだった。
「まだ……」
  ポツリとサンジは呟いた。
「あ?」
  眉間に皺を寄せてサンジは、はっきりと告げた。
「俺はまだ、エースの墓を見ていない」
  だからエースの死を、受け入れなくてもいいのだとサンジは思った。
  確かに先日、ルフィは復興中のマリンフォードで騒ぎを起こしたばかりだ。しかしルフィのケジメの付け方と自分のケジメの付け方は違う。ルフィは彼なりに兄の死を受け入れたのだろうが、サンジにはそう簡単に受け入れることができそうになかった。
「これは……エースと再会した時に、アイツに直接返すことにするよ」
  そう言ってサンジは、マルコに背を向けた。
  それでいいだろう? そう、サンジは胸の内で自分自身に問いかける。エースとは、またどこかで会えそうな気がした。
  この広い海のどこかで、いつか、きっと──




END
(H23.1.31)



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