『似て非なるもの』



  似ているから困るのだと、サンジは小さく呟く。
  食事の時のルフィの豪快な食べっぷりや、シシシ、と笑う時の前歯だけでなく歯茎まで剥き出しにした笑い方、それから何気ない拍子に見せる仕草が、少しずつエースに似てきたような気がしてならない。
  二年前、二十歳で死んだエースにルフィは二歳、近付いた。
  少しずつ兄だったエースに似てくるルフィ。血の繋がりはなかったと言うが、それでも、二人が似ていると思うのは、ルフィが惚れた男と杯を交わした兄弟だからだろうか。
  辛くはない。エースとルフィが似ていることは別に気にはならなかったが、似ているところを数えだすと、エースのことを思い出してしまう。
  今はもういない男のことを考えて体が疼くのは、耐えられない。
  だから困るのだと、サンジは眉間に皺を寄せる。
  高ぶりを感じた体は、今は慰める術を持たない。自分の手だけでは、この体はおそらく納得してくれないだろう。
  はあぁ、と溜息をつくとサンジは、胸の内ポケットから煙草を取り出す。
  無造作に一本取り出すと、口にくわえて火を点けた。



  二年ぶりに再会したルフィは随分と小便臭さが抜け、見違えるほどの男前になっていた。
  他の仲間たちも皆、二年間の経験を経た顔つきになっていて、懐かしく思うと同時にサンジは、頼もしくも思った。
  だけど、エースだけがいない。
  たとえエースが生きていたとしても、彼とサンジとでは歩む道が異なっている。そう頻繁に顔を合わすことはないだろうが、それでも、この広い空の下に愛しい男が生きているのだと思えば、こうも空虚で寂しい思いをすることはなかっただろう。
  エースに会いたいと、サンジは思う。
  あの男に会って、抱きしめられたい、体温や体臭を感じたいと思う。
  甲板でルフィが騒がしくしている声が聞こえてくる。今ここに、エースがいたら何と思うだろう。ルフィのあの男前な様子を、S・S号やこの胸のクルーの様子を目にして、何と言ってくれるだろうか。
  きっと──と、サンジは思う。
  エースは目を細めて、ニヤリと笑うだろう。「男前になったな」と、そう一言、口にするかもしれない。
  紫煙と一緒に溜息を吐き出すと、サンジは小さく呻いた。
  エースに会いたくて、たまらない。体の中の熱が、腹の底を焼き焦がしていくような感じがする。
  自分で自分を慰めたとしても、きっとサンジの心が満たされることはないだろう。
  それでも、じっと我慢をするよりはマシだろうか。
  もうひとつ、こっそりと溜息を吐き出すとサンジは、人目を避けるようにしてキッチンへと足を向けた。



  まだ日の高いうちから厨房の奥、人目につかないところでマスターベーションをした。
  いい歳をして自分は、いったい何をしているのだろうか。
  軽い自己嫌悪を感じながらも、こうしなければ収まりのつかなかった自分の体にサンジは溜息を零す。
  まだ、あの男のことを想っている。
  二年が過ぎて、なかなか納得しなかった自分の中にもその事実は浸透したと思っていた。まだ未練はたっぷりあったが、頭の中ではあの男の死を理解していたはずだ。
  それなのに体は、エースを求めている。
  浅ましいほどに男を求め、グズグズと熱くなっていく自分の体にサンジは、恐怖を感じた。もしかしたら自分は、この先ずっと、エースの死を事実として受け止めることができないかもしれない、と。
  それではいけないということはわかっている。
  どうにか折り合いをつけて、納得すべきだろうとわかっているものの、体は、ここには存在しない男の熱を求めている。
  どうしたらいいのだろうか。
  どうしたら自分は、エースの死を理解し、納得することができるのだろうか。
  このままではいけない。体だけでなく心まであの男を求めるようになってしまったら、それこそ自分はどうしたらいいのだろうか。
  二年経った今でもまだ、覚えている。
  節くれ立った体温の高い手が、肌の上を這い回る時の感触を。キスした時の唇の熱さや、絡められた舌のざらつき。つんと立ち上がった乳首を前歯でいじられたら、電流が走ったように体が震えたこと。体の中に突き立てられた性器の硬さと、質感。
  それら全てを思い出しながら、サンジは自分の股間を必死になってまさぐる。
  エースの掠れた声が耳元に聞こえるような気がする。
  勃起したものの先端から溢れる雫は白濁して、ドロリと熱い。
  指の腹で先走りを塗り込めるようにして、割れ目を何度もなぞる。腹筋がヒクヒクとなるまで割れ目をいじり、先走りを溢れさせた。
「ん、く……」
  声をこらえようとして、失敗した。
  誰かに見付かったら、こんなところで一人で何をしているのだと問い質されてしまいそうだ。
  見付かってもいいさと、半ば自棄になりながら竿を握りしめた。
  手を上下に動かすと、尻の奥がヒクヒクとなる。自分が何を求めているのかはわかっている。
「あ……」
  名前を呼ぼうとして、彼がもうこの世には存在しないことを思い出してしまった。
  なんでこんな時にとサンジは唇を噛み締め、手の動きに神経を集中させる。尻の奥がムズムズとするような感じがする。物足りなさに、さらにいっそう手の動きを早めた。
  目の前が真っ白になっていく。耳の奥で、ドクン、ドクンと心臓が騒がしく鳴っている。
  ──欲しい!
  口走った言葉は、嘘偽りのないサンジの真実の言葉だった。



  激しく波打っていた呼吸がしだいに落ち着いてくると、改めて甲板からの声が聞こえてくる。
  どうやら年少組の連中が上で騒いでいるようだ。
  はあ、と呼吸を吐き出してからサンジは、手早く身繕いをすませた。
  まだ体が熱い。中も、外も、熱くてたまらない。あの男がいないからだと、サンジは思う。体温の高い手で、触れて欲しい。肌も、それから襞の奥の隠れた場所にも。鼻孔いっぱいに男のにおいを吸い込んだままで、体の隅々まで貪り食われたい。
  シンクの前に立って水を飲んだ。
  冷たい水を、ゴクゴクと喉を鳴らしてサンジは飲む。またしても高まってきた体の熱を鎮めるために。
  あの男はいないのに、体はこんなふうに高ぶってしまう。
「……ダメだな」
  呟いて、煙草を取り出す。
  行き詰まりを感じると、煙草に手が伸びる。サンジが煙草を吸うことに対してエースは何も言わなかったが、もしかしたら彼は煙草が嫌いだったのかもしれない。サンジが煙草を吸おうとすると、さっと横から煙草を取り上げてキスをしかけてくることがあった。あれは、エースなりの非難の仕方だったのかもしれない。
  そんなことを思い出して笑おうとしたサンジは、鼻の奥にツンとした刺激を感じた。
  笑いたいのではない。
  自分は、今、泣きたいのだ。
  恐る恐る息を吐き出すと、サンジは煙草をくわえ直した。
  キッチンを出ると、甲板には太陽が燦々と照りつけていた。



「サンジ、メシ!」
  甲板の向こうから、ルフィが声をかけてくる。
「さっき食っただろ」
  すげなく言い捨てると、あからさまにガッカリとした顔でルフィは声をあげる。
「いいじゃん、別に」
  腹が減ったとしきりとルフィはぼやいている。腹の虫も同じように、やかましく騒いでいるようだ。
「しょうのねえヤツだな、まったく」
  煙草をくわえたままでサンジは呟く。
  エースに似た男の世話をすることが、今のサンジには苦痛であり、楽しみでもある。
  今出てきたばかりのキッチンに足早に戻ると、腹持ちのしそうなものを何品か、手早く用意する。
「ほら、食え」
  大皿に盛ったパエリアとパスタ、それに女性陣にちょっとしたスイーツを用意して、サンジは甲板に戻る。
  取り分けた皿を受け取ったルフィは、ガツガツと皿ごとパエリアに食らいつこうとする。
「落ち着け、落ち着いて食え」
  呆れたように声をかけると、ちらりと目だけをサンジのほうへと向けてルフィはニヤリと笑う。
  その一瞬、ルフィの眼差しが記憶の中のエースの眼差しに重なった。
「……困った」
  小さく呟くと、その声が聞こえたのか、ロビンとナミの二人がちらりとサンジへと視線を向ける。
「どうかしたの?」
  尋ねられ、エースは慌ててかぶりを振った。
「いいえ。レディたちが気にするようなことじゃありません」
  紳士的にそう返すと、サンジはさっと二人に背を向けた。
  困ったのは、ルフィの眼差しにエースを重ねてしまったからだ。
  ルフィは、彼ではない。エースではないのに。それなのに、自分は無意識のうちにルフィにエースの面影を探そうとしているのだろうか。
  そう。確かにルフィとエースは似ているけれど、二人は血の繋がりなどない、盃の兄弟だ。
  それでも困るのだ。こんなふうに、ふとした拍子に二人の繋がりを思い出してしまうことが、今はただただ怖くてたまらない。
  ──エースに会いたい。
  胸の奥底で小さく呟くと、サンジは視線を足下へと向けた。
  昼間の太陽が、足下に小さな影を作っている。
  ルフィは、エースではない。確かに二人は兄弟だったが、エースではない。似て非なるものなのだと、サンジは自分に言い聞かせた。




END
(H23.2.20)



AS ROOM