whereon

  目の前の男を愛しく思いながらも、なかなかサンジは手を出すことができないでいる。
  二年の歳月を経て逞しくなった筋肉質な男の体に、どうしようもないくらい目が釘付けになる。彼の体に触れたくて仕方がないのに、どうしても手を出すことが出来ない。
  いったい、どうしてしまったのだろうか、自分は。こんなにも奥手だったことがいまだかつてあっただろうか?
  甲板で釣り具の整備をしている男にちらりと視線を馳せたものの、肩から二の腕にかけてついた筋肉が隆起するのを目にした途端、ズクン、と胸の隅が痛んだ。
  シャツの上から胸のあたりをぎゅっと握りしめて、眉間に皺を寄せる。
  綺麗で可愛らしいレディに対してときめくならともかく、どうしてあんな男に対して自分がときめかなければならないのだとサンジは、鼻息も荒くフン、と息を吐き出し、キッチンへと足を向ける。
  単調で穏やかな波を渡る航海の間は比較的のんびりと過ごすことができるとは言え、今の自分にはやらなければならないことが山とあった。
  小腹が減ったと騒がしい船長のために腹持ちのするおやつとドリンクを用意したら、晩飯の仕込みもそろそろ始めたい頃だ。
  声をかけたら、あの男は手伝ってくれるだろうか?
  二年前のように、素直にジャガイモやニンジンの皮を剥いてくれるだろうか?
  声をかけようかどうしようかと迷っているうちに、下の船倉から顔を覗かせたフランキーがウソップに声をかけていた。しまった、出遅れたとサンジは口の中で軽く舌打ちをする。
「わかった、こっちが片付いたらすぐに手伝うよ」
  気のいい返事をしながらウソップは、楽しそうだ。
  フランキーとは歳の離れた兄弟のように仲がいい。発明好きな二人のことだから、気が合うのだろう。
  自分が躊躇しなければ、もしかしたらこちらを手伝ってくれていたかもしれない。そう思うと、少し悔しいような気がする。
  はあ、と溜息をつくとサンジは、胸ポケットに入っていた煙草を取り出して、口に銜えた。



  おやつの時間は、特に何もなかった。
  レディ二人は甲板に出したパラソルの下で、口当たりのいいスイーツに舌鼓を打っている。
  おやつだぞと声をかけると、いつもと同じように男共がわらわらと集まってくる。二年間の空白なんてなかったように、皆、当たり前のようにやっている。サンジだけが、その空気にうまく溶け込めていないような気がしてならない。
  どうしても、戸惑ってしまう。
  目の前にいる男の成長に、自分だけが馴染むことができないでいる。
  なんだ。案外、心の狭い男だったんだな、俺は。そう思うと余計に苛々してくる。手を伸ばせば届く距離だというのに、触れることもできないのが苦しくて、辛くて、たまらない。
  このままだと、欲求不満になってしまいそうだ。
  物陰に隠れたサンジはギリ、と唇を噛み締めて、それからほぅ、深呼吸をする。
  どうして自分だけがこんなふうに悩まなければならないのだ。アイツは……ウソップは、どうして平気でいられるのだろう。二年が過ぎて久々に見る恋人の姿に、ドキドキしたり浮ついたりはしないのだろうか。
  放っておけば勝手にどんどんささくれていきそうな気持ちを静めるため、もう一本と煙草をジャケットの内ポケットら取り出す。
  口にくわえ、火をつけようとしたところで目端の利くチョッパーがやってきた。
「サンジ、煙草の吸い過ぎは体に毒だぞ?」
  脳天気に笑いかけられ、ドキッとした。
  あの無邪気な眼差しが、心の奥底まで見透かされているのではないかという猜疑心にかわる寸前で、ふっとサンジから離れていく。
「それ、キッチンに戻しとけばいいんだろ? 手伝うから、一緒におやつ食べようぜ」
  どうやら、いつまで経っても皆のところに戻ってこないサンジを気にかけて、チョッパーは来てくれたらしい。それなのに、あの鼻のヤツは……と思いながら甲板の向こうへと視線を向けると、ウソップがどこかしら心配そうにこちらを見つめている。
  一瞬、二人の視線が絡み合った。
  あっと思った時にはサンジのほうから視線を逸らし、チョッパーのトレードマークである帽子をやんわりと叩いていた。
「いいって。そっちこそ、先に行って食ってろよ」



  そそくさとキッチンに飛び込むと、サンジは堪えていた息をはあ、と吐き出した。
  胸が痛い。ドキドキと鳴り響いて、うるさくて仕方がない。
  シンクの縁に手をついて、もうひとつだけ溜息を零す。
  真っ直ぐに見つめられた。あの視線を、咄嗟にサンジは怖いと思った。二年も過ぎて、自分は二十一になった。あの男よりも年上であることが、気になって仕方がない。
  この二年の間で自分は随分と成長した。しかしあの男に比べると、たいしたことはないのではないか? いったいどれほどのものを自分は、誇れることができるのだろうか。そう考えると、顔を見るのも恥ずかしいような気がしてくる。
  蛇口を捻って顔を近付け、水道管に口をつけて直接、ゴクゴクと水を飲んだ。
  顔も、耳も、首筋も熱くてたまらない。
「あちぃ……」
  呟いて、耳たぶに手をやる。
  熱が、体の中を駆け巡っている。
  今にも沸騰しそうなぐらいの高温の血が、サンジの体の中をものすごい速さで巡っているような気がする。
  気まずいのは、アイツが悪いのだとサンジは思った。
  たかだか二年でアイツは、成長した。
  見た目も中身も、随分と大人になった。
  悔しくもあるが、嬉しくもある。これが自分の好いた男なのだぞと、誰彼構わず言って回りたいような気持ちにも、なる。
  だが……自分の成長の度合いはどうだろう。あの男より勝っているだろうか? ちゃんと、成長できているだろうか? もしかしたらもっともっと、成長することができたのではないだろうか?
  何か、足りないものがあったのではないだろうか……?
  そんなことを考えているうちに、カタン、とキッチンのすぐ外で音がした。
「あ?」
  顔を上げて入り口のほうへと視線を向けると、ウソップがいた。
  愛しい男が、大人びた仕草でドアを開けて中へと入ってくるところだった。



「なあ、サンジ。水、くれよ。喉が渇いた」
  いつもと同じように愛想のよい笑みを浮かべて、ウソップがカウンターのスツールに腰をおろす。二年前も二年後の今も、かわらない人懐こい笑みだ。
  なのに、何気ない仕草ひとつを取っても、大人びたと思わずにはいられない。
  なるべく視界に入れないように気を付けていても、背中に感じる気配だけで、体がもぞもぞとしてくる。居心地の悪さを感じているのか、それとも気持ちが昂揚しているのか。
  カウンターごしに男を見遣ると、ウソップは穏やかな眼差しでじっとこちらを見つめていた。
  ドキッととして、サンジはわざと顔をしかめる。照れ臭いのを誤魔化そうとしていることに、気付かれてしまっただろうか?
「ほら、水」
  ぶっきらぼうな態度で、水を入れたグラスを目の前に置いてやる。
  恥ずかしいような気がして、真っ直ぐに相手の目を見ることができない。うつむき加減にちらりと様子をうかがうと、ウソップのほうは気にした様子もなく、ゴクゴクと水を飲んでいる。
「何かつまんでくか?」
  おやつの残りが確かあったはずだと背を向けようとすると、それよりも早くぐい、と肩を引かれた。
「サンジ」
  耳たぶを掠めるように囁かれた声は、やけに大人びている。たかが二年だが、この男には随分と有意義な二年だったらしい。
「……ん、だよっ」
  気まずさを紛らすように、振り返り、男を睨み付けてやる。
  胸の鼓動がドキドキと騒がしい。
  顔を見るのが恥ずかしくて、目を伏せた。伏せた視線を追いかけるようにして、ウソップの指がサンジの唇にやんわりと触れてくる。
「やっぱ、照れるな」
  ポソリとウソップが呟くのに、サンジは驚いて顔を上げた。視線が合うよりも先に、ほんのりと顔を赤らめるウソップに気付く。気恥ずかしさが勝って、どう接したらいいのかわからなかったのは自分だけではなかったのだとサンジはその時になってようやく気付いた。



  それでも、照れ臭かろうが気恥ずかしかろうが、二年越しの再会が嬉しくないはずがない。
  ままよ、と愛しい男の首の後ろをぐい、と引き寄せ、唇に噛みつくようなキスをした。
  クチュリ、と湿った音を立てて強引に唇を割り開き、相手の口の中へと舌をねじ込む。
  奪うような激しいキスをして、相手の口の中を舌で掻き混ぜる。湿った淫靡な音を立てながら舌ごと唾液を吸い上げて、耳元で「もっと」と強請ってみせる。
「や、ここじゃちょっと……」
  誰が来るかもわからないからと言い募る気弱な男のトレードマークでもある鼻をぐい、と一捻りすると、サンジはするりと身を翻し、カウンターから出てくる。大股でフロアを突っ切るとキッチンのドアに鍵をかけ、ニヤリとほくそ笑んでウソップを振り返った。
「これで、誰も邪魔できねぇ」
  悪戯っぽく笑う恋人の顔に、ウソップは低く喉の奥で呻き声をあげたのだった。



(H24.3.19)



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