『ここからはじめよう 1』
Z×S ver.




  まだ、肌を合わせたことがない。
  キスは……できる。
  指先に、こめかみに、うなじに、耳たぶ。気紛れに唇にすることもあったが、ゾロ自身こういったことには長けていないようで、いつもサンジは取り残された気分を持て余していた。
  キスは、できる。
  だけどその先は…──



  今日はゾロの誕生日だ。
  サンジがそのことを知ったのは、前回、ゴーイング・メリー号が港に着いた時にナミがそんなことを仄めかしていたからだ。
  日頃、ゾロから守銭奴呼ばわれされているナミだったが、仲間思いの彼女が誕生日のプレゼントをそろそろ考えておかなければと言っていたのをサンジはぼんやりと覚えている。その時は特に意識もせず聞き流していた。だいいち男の自分が、男相手にプレゼントを渡すなんて虫酸が走る。それにどうしてもプレゼントをしなければならないというのなら、食事の時にでもちょいと豪勢なものを作ってやれば充分だろうとサンジは思っていた──あのクソマリモは好き嫌いのない野郎だから、とりあえずは腕によりをかけた料理だな。それから上等の酒とツマミを。
  酒は、この前立ち寄った港で既に上物を仕入れている。それだけ揃っていれば何も問題はない。
  事実、夕飯時には常より豪勢な食事をずらりとテーブルに並べた。
  その上でゾロの前にだけホイップクリームとチョコレートで飾り付けをしたケーキを置いて、ちょっとしたお祝いを皆でした。
  本人は別に必要ないと言い張ったが、サンジとしてはそれでは面白くない。こっそりと準備をした皆の苦労をねぎらってもらいたかったし、今日のこのちょっとしたイベントをゾロ自身に喜んでもらいたいと思っていたのだ。
  普段と変わらずむすっとした顔のままテーブルの上の料理に手をつけていくゾロを、食事の時間中ずっとサンジは睨み付けていた。



「クソ面白くもねぇ……」
  甲板の縁に背を預け、サンジはぽつりと呟いた。
  いつの間にかジャケットの内ポケットから取り出した煙草を燻らせて、ぼんやりと夜空を見上げている。
  あの時…──ケーキを目にした瞬間のゾロの顔は、困ったような、それでいてどこか嬉しそうな笑みを含んでいたように思える。多分、きっとそうだろう。たとえそれが一瞬のことであろうと、そんな表情のゾロがいたように思う。腹立たしいのは、その表情をゆっくりと見ることができなかったということ。皆のざわめきで我に返ったゾロは、すぐにいつもの無愛想な顔に戻り、その後は黙々と食事を食べはじめた。あの表情が本当だったのかどうかを確かめたい。自分への感謝の言葉が聞きたいのではない。祝ってくれる皆に対して、ただ嬉しそうな笑顔を向けてくれさえすれば、縁の下の力持ちをかって出たサンジとしては満足なのだから。
  もっとも、欲を言うならば、あの、困ったようなどこか嬉しそうな複雑なゾロの顔を、できることならサンジはもっと見ていたかったのだが。
  煙草の煙が肺の底に深くゆったりと満ちていくのを感じながら、サンジは唇の端を噛み締めた。手にした煙草がじりじりと燃えていく。
「クソ」
  再び小さく呟くと、フィルターぎりぎりまで吸い尽くした煙草をサンジは海面へと放り投げた。赤い小さな火が放物線を描いて暗い水の中へと落ちていく。溜息と共に息を吐き出し、船倉へと続く階段を降りていった。ラウンジではまだ仲間たちが楽しげな笑い声をあげ、食事を食べている。
  何故だか、サンジは無性に一人になりたかった。



  船倉から甲板へと戻ると、ラウンジを出たすぐ近くの暗がりにゾロがいた。
「あ? 何やってんだ?」
  声をかけると、ちらりとゾロはサンジのほうを見遣った。
「風にあたってんだよ」
  と、ゾロはニヤリと口の端をつり上げて笑う。
「それより、てめぇこそ何やってんだよ。食わねぇのか?」
  そう言われた瞬間、何故だかサンジはムッとなった。だいたい、自分がラウンジを出たのはこの男のせいだというのに。この男がムスッとした顔で黙々と食事を食べているからいけないのに、と思う。一言でも喜んで欲しかった。それは、自分に対してではない。今日のこのちょっとした馬鹿騒ぎに対して、もう少しゾロが嬉しそうな顔をすればそれで充分だったのに。それだけでサンジは満足できたというのに。
「俺は……」
  サンジが言いかけるのを遮って、ゾロが言った。
「お前は、俺たち二人が男だってことを理解している。お前にはお前の男の都合があるように、俺にも俺なりの男の都合ってもんがあるんだ。くだらねぇことで俺の顔色をいちいち窺ってんじゃねぇよ」
  怒っているのではない。まるで軽口を叩くような調子でそう言うと、ゾロはサンジのほうへと近寄ってきた。普段、仲間たちと一緒であれば喧嘩の時ぐらいしかここまでの至近距離では言葉を交わすこともない。おもむろにゾロはサンジの手首を掴み、ぐい、と身体ごとひきよせた。
  勢いよくサンジの細い身体がゾロの胸の中に転がり込む。
「じゃあ……てめぇは……」
  弱々しく掠れた声でサンジが言いかけたが、ゾロは心持ち身を屈めただけだった。掴まれた手が、持ち上がる。
  手首に唇を押し当てられたところでサンジは言葉を失った。






to be continued
(H15.11.18)



ZS ROOM       1