『キスとコーヒーカップ 1』



  朝一番のキスが好きだ。
  まだ薄暗いうちに起き出して朝食の用意をするサンジは、必ずゾロにキスをする。
  仲間たちの寝息の中、ひっそりと体温の低い唇がゾロの唇に触れるのが待ち遠しい。
  照れ屋のくせに、妙なところで驚くほど大胆になるサンジは毎朝、ゾロにキスをする。もちろんゾロは、寝ぼけ半分、気付かないふりをしている。わざわざ気付いていることを教えたところでゾロになにがしかのメリットがあるわけでもなく。どちらかというとサンジは、ゾロに気付いてもらわなくてもいいと思っている節があった。
  それがわかっていたからゾロは、知らんふりを決め込んでいる。
  そうすることで毎朝、サンジからのキスをもらえるのならば。
  それは、それで構わない。
  海の上の、限られた空間の中では触れ合う機会も少ないから。
  だからこれぐらいの楽しみは、あっても構わないだろう。
  唇が離れる瞬間に洩れるサンジの息づかいは艶を含んでおり、もの惜しげな溜息となってゾロの頬をくすぐった。それから最後に、くしゃり、とゾロの髪を鷲掴みに撫でつけ、サンジは離れていく。
  心地よかった。
  いつまでも触れていて欲しいと思ってしまう。
  じっと息を潜めて寝たふりをしていると、サンジが小さく笑うのが感じられた。
「ごちそーさん」
  確かに、そう聞こえた。
  それと同時に、ゾロの額がピシッ、と指で弾かれた。



  二度寝の後、ゾロは甲板へとあがっていった。
  頭がボーっとしているのは、あの後、寝たふりをしたままつい眠り込んでしまったからだ。
  目の奥にちらちらと走る太陽の残光を拭い去るように、ゾロは頭を振った。
  キッチンのドアを大きく開けると、にやにや顔の仲間たちがじっとこちらを見つめていた。
「あ? なんだ?」
  順繰りに仲間の顔を見渡して、ゾロは首を傾げる。
  心当たりといえば、朝のサンジからのキスぐらいしか思い当たらない。が、仲間の様子からするとそれを揶揄しているのではないように思われた。
「言いたいことがあるならはっきり言えよ」
  眼光鋭く全員を見回していると、サンジがお玉を投げつけてきた。
「さっさと席について食え。皆、てめぇが来るのを待ってたんだぞ」
  そう言われて、それもそうかとゾロはそそくさと席に着いた。食事のにおいが空腹にこたえる。目の前の席についたルフィの口元を見ると涎が盛大に口元を伝い、テーブルに落ちていた。ゾロの口の中にも唾が溢れだす。
「いただきます」
  軽く手を合わせて、ゾロは朝食にとりかかる。
  サンジの料理はうまいと素直に思った瞬間だった。



  皆の視線が朝からやたらとまとわりつく。
  ゾロは不快感に近い何とも言いようのない気分を朝から感じていた。
  そもそも、だ。何故、自分がこのような居心地の悪い思いをしなければならないのか、ゾロにはさっぱりわからなかった。
  いったい何なのだ、この連中は、と心の中で思いながらも、素知らぬ振りを続けている。
  甲板の片隅でゾロが黙々と鍛錬をしていると、ちょこちょこと小走りでチョッパーがやってきた。蹄の音が可愛らしく甲板に響く。何か言いたそうな様子で小首を傾げたチョッパーは、バーベルを上げ下げしているゾロをじっと見上げている。
「……乗るか?」
  短く、一言だけゾロが問うと、チョッパーはぱっと満面に笑みを浮かべ、そそくさと近寄ってくる。
  バーの部分にチョッパーが座ることが出来るよう、ゾロはいったん甲板にバーベルを下ろした。
  チョッパーごとバーベルを持ち上げるとゾロは、再び鍛錬に意識を集中させる。仲間の視線はこの際、気にしないことにした。些細なことをいちいち気にしていては、この船では生活できない。あれこれ考えて時間を潰すよりも、鍛錬で身体を動かしているほうがゾロにとってはずっと建設的だった。
「──…島だ」
  どのくらい時間が経っただろうか。不意にチョッパーが叫んだ。
「島が見えたぞ、ナミ!」
  そう言うなりチョッパーはバーベルから飛び降りる。チョッパーの言葉につられるようにしてゾロが顔を上げると、なるほど、目の前には微かだが島影が見えている。
  そう大きくはない島だが、ちかちかと光が反射しているところを見ると、どうやら人の住んでいる島らしい。
  風はちょうど、島へと向かって吹いていた。船首近くでナミが腕組みをしてじっと前方を見つめている。
  もうしばらくしたら下船の準備が始まるのだろうなと思いながらもゾロは、鍛錬に戻った。
  自分一人の世界は、妙な気遣いをする必要もなく、至極居心地がよかった。



  辿り着いた島にはのんびりとした牧草地帯が広がっていた。農畜産が盛んなこの島では、ほとんどが自給自足でまかなわれている。近隣の島には大きな貿易港があるらしく、そこからやってくる船々はグランドラインの主要都市からはるばる海を渡ってきた特産品や生活用品や布製品を携えてこの島へとやってくる。
  穏やかな気候の中で生活を送る人々の気性も穏やかで、船着き場へとメリー号が入っていくと、島の子供たちは珍しがって我先にと寄ってきた。大人たちもそうだ。彼らにとって海賊船は、島に出入りする交易船と大した違いはないようだった。
  ログが溜まるまでは半日あれば充分だったが、ナミは島で一泊すると皆に言った。ここしばらくの間、海軍に追われたり悪天候が続いたり何かとめまぐるしい日々を送っていたため、息抜きが必要だと判断してのことらしい。
  ゾロは船に残るつもりだったが、他の仲間は島の東側にある小さなホテルに泊まることになった。
「じゃあ、俺はこいつのメシの用意をしてからナミさんたちと合流するようにしますよ」
  どういう話の流れでそうなったのかは定かではないが、サンジが最後にそう告げたのだけはゾロもはっきりと覚えている。
「わかったわ。じゃあ、また後でね、サンジくん」
  そう言ってナミは、他の連中を引き連れて船を下りたのだ。
  鼻の下を盛大に伸ばしきったサンジは、心ここにあらずといった様子でナミに両手を大きく振って、後ろ姿を見送った。
  ゾロは黙ってサンジを見ていた。
  ナミやロビンに見せるサンジの表情は隙だらけで、何とも危なげだ。
  さすがに自分と同じ男のサンジを可愛いとは思わないが、恋人……のような関係を続けているだけあると、自分に対する態度とは随分と違うなということもわかってしまう。
  あんまりハラハラさせるなよ、と心の中で呟いて、ゾロはごろりと甲板に横になる。
  どうせサンジはこれから買い出しだ。誰かが船に残らなければならないのならば、ここでうとうととしながら船番をしてもいいだろう。そう、ゾロは思ったのだった。






To be continued
(H16.10.10)



ZS ROOM           1