夏の風2

「さて、それでは」
  と、長谷部が重苦しい口調で口を開いた。
  集まった者たちの顔をぐるりと順に見回して、威嚇するように眼光を放つ。
「仕切り直しをする」
  いつになく厳しい声だった。
  目の前で仲間の刀剣男士が重傷を負い、審神者がさらわれたのだから当然だろう。
  同田貫は苛々と集まった顔ぶれに目を馳せた。
  春霞のかわりに会議に参加していた夏海は早々に退席してしまい、いつ戻ってくるかもわからない状態だ。
  皆それぞれに押し黙ったままの重々しい空気の中で、不意に小夜が口を開いた。
  ごそごそと懐から紙切れを取り出し広げると長谷部のほうへと差し出す。
「春霞が、何かあったら長谷部さんに知らせるようにって」
  紙切れは布由の本丸の城内見取り図だった。
  同田貫だけでなく他の者たちも身を乗り出して図面に見入った。
「これは……」
  長谷部が言葉を洩らした。
「ここに主が……冬湖が囚われているんだ」
  冬湖が、と小夜は見取り図の一点を指差してはっきりと言った。
  いつになく急いた様子で長谷部が尋ねる。
「本当なのか?」
  小夜は小さく頷いた。
「春霞に頼まれて、遠征に紛れて調べてきたんだ。ここで冬湖は、敵に似た化物を鍛刀しようとしていた」
  小夜の言葉に、同田貫は顔をしかめた。春霞もそういった化物を鍛刀させられていたと聞いている。おそらく布由の本丸には、そのような化物を作り出すための何かがあるのだろう。或いは、叡拓のみがそういった不思議な力を持っているのだろうか。
「それじゃあ、冬湖ちゃんと春霞ちゃんの二人を助け出さなければならないね」
  燭台切が言うと、一瞬、誰もがハッとしたように息を飲むのが感じられた。
「……そうだな」
  同田貫も同意を示した。
  春霞だけではなく、冬湖だけでもなく。二人ともを無事に取り戻すことが当面の自分たちに課せられたなすべきことなのだろう。
「しかし……その叡拓という者、なかなか厄介な人物のようですな」
  一期一振が難しそうな顔をして呟いた。
  長谷部も腕を組んで難しそうな顔をする。
「そうだな。冬湖を連れ去ったやり方といい、先程の襲撃といい、謀には随分と長けているようだ。心してかからねばならないぞ」
「それはそうだけど、薬研の意見も聞くべきじゃないか?」
  それまで黙って皆の言葉に耳を傾けていた御手杵が、ようやく口を開いた。だいたいが会議の場において聞き役に徹する御手杵だったが、珍しいことだ。同田貫がちらりと御手杵のほうへと視線を向けると、彼はちょうど自身のすぐ後ろにある障子をすっと引いた。
  障子の向こう側には青白い顔の薬研が立ち尽くしていた。
「薬研!」
  咎めるような口調で一期一振が声を上げた。半ば立ち上がりかけながら一期一振は、弟の側へ近寄りかける。
「悪いな、皆。春霞奪還計画には俺っちも参加する。俺っちが布由の本丸から来たことは皆知ってるだろ?」
  ニヤリと笑う薬研の横顔は、恐ろしいまでに白かった。まだ横になっていたほうがいいのは明らかだったし、夏海の手入れを後数回は受けたほうがよさそうに見える。
「……そうだな。直接参加は無理だろうが、計画の中心になってもらったほうが良さそうだ」
  長谷部は「どうだろう」と皆の顔をぐるっと見渡した。
「そうですな。主たちの奪還に参加しないのであれば、計画ぐらいなら……」
  薬研が言い出したら聞かない性格だということを知り尽くしている一期一振は、小さく溜息をつきつつも長谷部の案に同意を示す。
「誰が行くんだ?」
  同田貫が皆の顔を見回す。
  傷を庇いながら薬研は座に加わると、口を開いた。
「俺っちは……というか、春霞ならきっと、あんたたちに来てほしがると思うぜ」
  薬研は、同田貫と御手杵の二人へと視線を向けた。おそらく夏海がこの世界にやってきたことで、名津の本丸からやってきた者たちはその恩恵を受けているはずだった。怪我をしても手入れ部屋に入れば大概の傷は完治する。お守りの効果もある。だったら、参加しないわけにはいかないだろう。
「そうだな。奪還には俺と御手杵、それに次郎太刀の三人が出る」
  同田貫は様子を窺うように薬研の顔を見た。
  おそらく薬研の手入れ後の状態があまり芳しくないのは、本来の主である春霞ではなく夏海が手入れをしたからではないだろうかと同田貫は考えている。御手杵の時がいい例だ。手入れの翌日に春霞は御手杵の治り具合を確かめていたが、夏海が手入れをした時よりも治りは遅かったように感じられた。それがもし事実であるのなら、薬研の本来の主が不在のため、彼の傷の治りも不完全で時間がかかるようになってしまっているのではないだろうか。
「後は……そっちで人選をしてくれ」
  同田貫がそう言うと、長谷部が目をすっと細めた。
「では、こちらからは俺が行こう」
  有無を言わさぬ様子で長谷部が言うのに、一期一振は思慮深そうに頷いた。
「それでは我々はこの波瑠の本丸の守りに力を注ぎましょう」
  一期一振は薬研のほうに確認するかのように視線を送る。
「これでよろしいかな?」
  体が辛いのか、薬研は掠れた声で兄に「ああ」とだけ返した。
  長谷部が全体をぐるりと見回す。
「時期については、薬研の体調が復調次第検討する。それからこのことは後で全員に話をするが、この会議の細かい内容は秘密厳守に」
  締めくくるように長谷部は告げた。
  しかし小夜は不安そうに長谷部を見つめていた。
「……もう一度、布由の本丸を偵察したほうがいいと思う」
  小夜が言わんとすることが、同田貫にはわかるような気がした。もし春霞が布由の本丸に連れ戻されたのであれば、その居場所を確かめておいたほうがいいだろう。そのための偵察を小夜は買って出ようとしているのだろう。
「やれるか?」
  長谷部が尋ねると、小夜は頷いてすぐにでも飛び出していきそうな様子を見せた。
「じゃあ、今回の遠征には僕が参加しよう。御手杵と次郎太刀、それから骨喰、平野、堀川の六名で出る」
  珍しく燭台切が有無を言わさぬ口調で告げた。
「そうだな、それがいい」
  思案顔で薬研は頷いた。
  長谷部には、この波留の本丸の者たちを取り纏めるという大役がある。
  そのかわりにこの秘密会議に最初から出席していた燭台切が代理という形ではあったが遠征に参加するのだ。御手杵と次郎太刀は敵の本拠地までの行程確認その他諸々のため、遠征についていくことになる。
  おそらく同田貫は波留の本丸に残って、こちらでしかできないことをすることになるだろう。
  早速、小夜の持っていた布由の本丸の見取り図に薬研は朱墨で印を書き込んでいく。春霞が囚われていそうな場所らしい。
  叡拓は焼け落ちた布由の本丸を再建していたが、驚くべきことに城内の様子は昔とまったくかわりなかったのだ。
「春霞の部屋に冬湖が囚われているのなら、春霞はどこか別のところにいるかもしれない。隠し部屋や地下に部屋を作っているようなら、わかった時点でこの見取り図に書き込んでくれ。遠征中はくれぐれも無茶はするな。危険を感じたらすぐにでも戻ってきたほうがいいだろう」
  薬研のこの言葉で、遠征部隊は夏海が戻ってきたらすぐにでも出立することが決まった。
  さらに明日の午前中には先程の騒動の顛末を長谷部から皆にしてもらうことも決定した。後は薬研の傷の治り具合にかかっている。
  とりあえずは、夏海にもう一度手入れをしてもらうしかないだろう。
  同田貫は難しそうに眉間に皺を寄せて、じっと見取り図を睨み付けていた。

          ※※※

  夜が明けると、全員で波留の本丸の内外の確認を行った。
  昨夜、敵が侵入した経路の確認と被害状況の報告、意識を取り戻したこんのすけからの報告などなど。やるべきことは山とあった。
  薬研は相変わらず調子がよくなさそうだった。
  夏海がまだ戻ってこないことも気にかかった。
  朝餉のために広間に集まった全員に、長谷部が春霞のことを話した。布由の本丸に連れ去られた上、冬湖までもが囚われの身となっていることがわかった今、遠征部隊を投入する必要が生じたという話だった。
  遠征部隊に参加する者の名を読み上げている間に、夏海が戻ってきた。どこから戻ってきたのかはわからなかったが、ひょいと唐突に姿を現したのだ。
「あれ? みんな、何やってんの?」
  能天気な夏海の様子に、同田貫は眉間の皺を険しくする。
「ちょうどいいところに戻ってきたな、夏海。仕事だ」
  そう言うと同田貫は、訳が分からずに呆然としている夏海に遠征部隊を出すように催促した。
「遠征? 今から?」
  別にいいけど、と夏海は実に大雑把な様子で遠征隊の出立の許可を出す。少しでも早く遠征に出たいと地に足のつかない様子でいた部隊の者たちは急いで朝餉を腹に掻き込むと、夏海の勅命に従って波留の本丸を後にした。
  その慌ただしい様子に夏海は一人怪訝そうな顔をしている。
「悪かった。ちょっと急ぎの用だったんでな」
  同田貫がそう言うと、夏海はますますわけがわからなといった顔になる。
  同田貫のほうもどこまで夏海に知らせるべきなのかがわからずに、困ったような顔をする。
  二人とも困惑したように互いの顔を見つめ合いながら固まっていると、長谷部が横から声をかけてきた。
「説明をします、夏海殿。こちらへどうぞ」
  きびきびとした動作で歩き出した長谷部の後を、夏海と同田貫が追いかける。
  長い長い廊下を渡った先の奥まったところにある春霞の部屋に入ると、そこには既に一期一振と顔色の悪い薬研がいた。
  昨夜の秘密会議の続きをこれから行うのだと、何とはなしに同田貫は思った。
「どうぞお座りください、夏海殿」
  長谷部はそう言うと、ちらりと集まった者の顔を見た。
「早速ですが、夏海殿にはこの波留の本丸の審神者としてしばらく留まっていただきたいと思っています。期限は、布由の本丸に囚われた二名の審神者を助け出すまで。そのためにはここにいる薬研藤四郎の手入れをこれからはしばらく行ってもらいます」
「しばらくってどういうこと?」
  胸元が強調された妙な着物姿の夏海は、昨夜以上に目立っていた。足は太股のあたりから素足のままで、今も畳の上で胡座をかいて寛いでいる。タンクトップとショートパンツという格好らしいが、同田貫にはよくわからない。
「夕べも話したと思うが、審神者が不在なんだよ、ここの本丸は。せっかく来たんだから、せめて俺たちを助けると思ってここでしばらく審神者をしてくれないか?」
  同田貫がそう言うと、夏海はちらりと集まった者たちを見た。
「あー……と、審神者がいないから、かわりに采配を振るえってこと?」
  ボリボリと頭を掻きながら夏海は尋ねた。
「まあ、そういうことだな」
「なんでいないわけ?」
  夏海の物言いは歯に衣着せぬ言葉で直接的なものが多い。
  同田貫が助けを求めて仲間のほうへ視線を送ると、薬研が後を継いでくれた。
「さらわれたんだ。今、布由の本丸には二人の審神者が囚われている。さっき遠征に送り出した部隊はその囚われた二人を取り戻す下調べための調査部隊だ」
  なに、それ。と、夏海は小さく呟いた。眉間に皺を寄せて、難しそうな顔をして彼女は薬研を見つめた。
「布由の本丸には、叡拓という男がいるんだが、そいつがどうも訳ありの人物らしくてな。歴史修正主義者や検非違使に似た異形のものを作り出しては、近隣の本丸に戦をしかけているんだ。俺っちの主とこの波留の本丸の主が叡拓に囚われたんだが、どうか力を貸してもらえねえだろうか?」
  薬研の言葉を夏海がどの程度理解したのかは、同田貫にはわからない。だが、夏海が珍しくやる気になったらしいことは一目瞭然だった。
「課題があるからそんなに長くはいられないわよ。あと、そんな大きなこと、政府に連絡しなくちゃなんないんじゃないの?」
「いや、それが……できねえんだ」
  こればかりはさすがの薬研も、困ったように返すことしかできなかった。事実、もう随分と長いこと困っているのだ。春霞から聞いた話では、政府からの連絡が途絶えた本丸ばかりが叡拓に狙われているのではないかということだった。
「んー……あんたの言ってることはよくわからないけど、今ここで政府と連絡がつくかどうか、試してもいい?」
  言いながら夏海は、どこから取り出したのか薄く四角い箱にも盆にも見えるものを畳の上に広げた。側面の突起のようなものを押すと、箱が光を放ち始める。タブレットだとかノートパソコンだとか彼女は言っていたが、刀剣男士である同田貫たちにとっては見慣れないもので、からくり箱のようにしか思えない。
「無線LANは生きてるんだけどな」
  ぶつぶつと呟きながら夏海は、そのからくり箱を軽く指先で叩いている。
  何をしているのかわからないが、夏海はいつもこうやって政府と連絡を取り合っていた。今もきっとそうなのだろう。
  人差し指がポン、と箱を叩いた直後に、箱の絵がかわった。
「……そうだね。確かに政府との連絡はつかないみたいだね」
  そう言いながら夏海は改めて箱を叩く。
  しばらく箱のあちこちを叩いていた夏海だったが、またしてもどこからか似たような箱を出してきた。今度は最初の箱よりも少し大きい。二つ目の箱も光を放ちながら絵が現れてくるのを待って、夏海はあちこちを指先で叩き始めた。
「秋穂姉ちゃん、今大丈夫?」
  箱からごそごそと音が聞こえてきたかと思うと、二つ目の箱の中に人の姿が見えた。こんな小さな箱の中に、と同田貫がひょいと首を伸ばせば、その箱の中の人が不意に喋りだした。
「子どもたちは母さんが連れ出してくれてるから、一時間ぐらいならいいわよ」
  落ち着きのある女の声に、今度は一期一振がぎょっとしたように箱の中を覗き込みにいく。
「秋穂殿……」
  どうして、と一期一振は言いかけた。呆然と箱の中を覗きながら彼は、何か言おうと唇を何度か震わせた。
「ああ、ちょっと待ってね。今こっちに呼ぶから」
  夏海はそう言うと大きいほうの箱──ノートパソコンと言うらしい──の中にいる人物に向かって喋りかける。
「秋穂姉ちゃん、そこのヘッドセットつけてみて」
  またわからない言葉が出てきた。
  同田貫は顔をしかめて夏海の一挙一動を眺めている。
  箱の中の女性が何か重たそうなものを頭の上に乗せると、夏海のすぐ隣に箱の中の女性の姿が ぼんやりと浮かび上がってくる。
「うわっ……?」
  同田貫は思わず声をあげていた。
  箱の中にいた女性が、いきなり出てきたのだ。しかもその姿ははっきりとせずぼんやりとしており、まるで幽霊のように透けて見えている。
「秋穂、殿……」
  一期一振が手を伸ばして、女性に触ろうとする。
「ああ、ダメダメ。本体はここじゃないから、触れないわよ」
  慌てて夏海が言うが、それでも一期一振は納得できないのか手を伸ばす。女性の腕のあたりに一期一振りの手が触れたかと思ったが、途端にその手は女の腕を突き抜け、その向こう側へと出てしまう。
「……これは、いったい?」
  触れているという実感はないのだろうか? 気味悪さのようなものを感じてか、一期一振が咄嗟に顔をしかめるのがわかる。
  秋穂と呼ばれた女は、悲しそうな表情で呟いた。
「ごめんなさいね、一期」
  夏海が言うには、ヘッドセットとやらを装着した秋穂はこちらの世界にいるのと同じように皆と会話を交わすことができるらしい。確かにそのようだと同田貫は思った。
  互いに別々の場所、世界にいるというのに相手の表情を見ながら話をすることができるというのは、なんと便利なことだろう。
  しばらくの間、一期一振と秋穂の他愛のない会話が続いた。元気にしていたかとか、合希の本丸の仲間たちはどうしているのか、とか何とか。
  ひととおりの挨拶が終わるのを待って、夏海が口を開いた。
「緊急事態が発生したみたいなんだ。悪いんだけど秋穂姉ちゃん、そっちでフォローしてくんない? 少し、調べてみたいこともあるし」
  同田貫は目の前の姉妹の会話を苛々しながら聞いている。おそらく夏海は、何かを知っているはずだ。もしくは知らなくてもこれから知ろうとするはずだ。根掘り葉掘り、あの手この手で様々なことを調べあげ、嗅ぎ回り、きっとこの波瑠の本丸を助けようとしてくれるはずだ。そしてそうすることが、ひいては波留の本丸だけでなく他の本丸の現状をも助けることに繋がっていくはずだ。
  秋穂はぽやんとした様子で小首を傾げた。
「それは……まあ、少しくらいなら構わないけど。だけどそう頻繁には無理よ?」
  おっとりとした口調で秋穂が告げる。
  あまり似ていない姉妹だなと、ぼんやりと頭の隅で同田貫は思う。粟田口の兄弟などは、皆多かれ少なかれ長兄にどこかしら似ているところがあるものだったから、どこの兄弟姉妹も似ているものだと思っていた。やはり人間だから、似てる似てないといった部分が出てくるのだろうか。
  秋穂の言葉に、夏海は快活に頷いた。
「じゃあ、あたしはこっちでのことを調べるから、姉ちゃんはそっちで動いてくれる?後で詳細メールしとくから」
「わかったわ」
  秋穂はにこりと微笑んだ。それから少しだけ一期一振と会話をしてから、用事があるからと言ってその場から消えてしまった。そう、まさに彼女の姿は煙のように目の前から消えてしまったのだ。これも、ヘッドセットとやらが関係しているだろうことは間違いなかった。



(2016.4.16)


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