フン、と鼻を鳴らしたジャーファルは、シンドバッドの首筋に顔を埋めていく。
「どうだ? 女人のにおいなどどこにもないだろう?」
耳元に囁きかけるシンドバッドの声はどこかしら嘘めいて聞こえないでもない。
「とりあえずは、ですかね」
顎を引いてつん、といったんはそっぽを向いてみせたもののジャーファルは、気が変わったのか、当初の予定通り几帳面な手つきでシンドバッドの衣服を剥ぎ取ろうとする。
「なんだ、やっぱりしたいんだろう?」
からかうようなシンドバッドの言葉など聞いていないようなふりをしながらその実、ジャーファルはしっかり耳に留めている。
シンドバッドの上衣をすべて脱がせてしまい、ふぅん、とジャーファルはこっそり呟く。検分を再開すると、今度はシンドバッドの下衣を脱がせにかかる。
手際よくすべて脱がせてしまったところでジャーファルは、満足そうに微笑んだ。そばかすだらけの顔が一瞬、シンドバッドの目には愛らしく見えた。
「とりあえずは潔白のようですね」
「これでわかったろう? 俺に疚しいところはひとつもない、と」
ふんぞり返って言い放つシンドバッドに、ジャーファルは小さく鼻白んだ。
「本当に疚しいところがないのかどうか、私にはわかりかねます」
それに、とジャーファルはさらに続ける。
「素っ裸でそんなに偉そうにしないでください」
呆れたような眼差しを投げかけながらも、ジャーファルの口調は優しい。
本当は、ジャーファルだってこんなことをしたいとはこれっぽっちも思っていない。だが、こと女性に関することだけは、信用してはならない。いや、これまでの経験から、ジャーファルだけでなく八人将の誰もが信用してはならないと思っているはずだ。
素っ裸の男をあまり見つめすぎないようにと目を逸らしたジャーファルは、シンドバッドのほうからは自分の顔が見えないのをいいことに、唇を小さく噛み締める。
気が付けばいつの間にか彼とは体を重ねていた。それが悪いことだとは思わない。男同士だろうと、互いの利害が一致しているなら構わないと思う。好きあっているのなら尚のこといいだろう。
だが、今のジャーファルは胸の片隅に不安と言う名の心配の種が根を張り、息づいていることを知っている。
不安なのは、自分が男だからだろうか。
シンドバッドが相手にするような女性たちのように、丸みを帯びたふくよかな肉体を持っていないからだろうか。それとも、声だろうか。そばすだらけの顔に、骨ばって、ひょろりとした痩せ気味の体格。シンドバッドに抱かれて思うのは、自分が男だと再認識するばかりのことだ。
どうして抱かれているのだろう、どうしてこの男と関係を続けているのだろう。最近はそんなことばかりがジャーファルの頭の中を占めるようになってきた。
自分が抱かれるばかりなのが嫌だというわけではない。そうではなくて、シンドバッドのそばに自分がいることの意味が、いつの間にかわからなくなってしまったような気がする。
好きだという気持ちは、ある……まだ、残っている。
だが、シンドバッドはどうなのだろう?
やはり、抱くのなら女性がいいのではないだろうか。
華奢でやわらかくて、抱きしめれば折れてしまいそうなほっそりとした女性。それでいて胸はふくよかで、腰のくびれもはっきりとわかり……
「……はぁ」
わざとらしく溜息をつくジャーファルの体を、シンドバッドが背後からそっと抱きしめてきた。
「それで? 久しぶりなのだから、するのだろう?」
尋ねられて逆らうこともまた、ジャーファルにはできなかった。
男の手が、するするとジャーファルの着ているものを脱がしていく。
だらしのないところが多々あるというのに、こういうところだけは手際がいい。ちゃっかりしているなと、ベッドの上に仰向けに押し倒されたジャーファルはこっそりと思う。
「留守の間、どうしていた? 自分で抜いたりしたのか?」
チュ、とジャーファルの髪にくちづけを落としながらシンドバッドが尋ねてくる。
「するわけがないでしょう」
即答すると、シンドバッドはさらにジャーファルの顔を覗きこみ、「本当に?」としつこく食い下がってくる。
「あなたじゃないんですから。そう四六時中がっついているわけじゃありませんからね、私は」
つん、と顎を引いてジャーファルは返した。
「なんだ、寂しいなぁ。俺がいなくて寂しかったとか、一人寝が辛かったとか……そういうことは言ってくれないのか?」
耳に囁きかける言葉が甘く聞こえるのは、シンドバッドだからだろうか。この男はきっと、素でこういった言葉を平気であちこちで囁き続けているのだろう。相手が女性だろうがジャーファルだろうが、きっとお構いなしなのだ。相手が喜びそうな甘い言葉を巧みに操り、うまく自分に対して好意を持つように仕向けるのが、悪い意味ではなく、彼はひじょうに巧いのだ。そんなことは一緒にいたジャーファルがいちばんよくわかっていそうなものだが、それでも流されてしまうのはどうしてだろう。
「……そうですね」
少し考えるふりをしてから、ジャーファルは口を開いた。
男の手が痩せ気味の自分の体の上を這い回り、時折くちづけが降りてくるのがくすぐったく感じられる。唇が微かに震えて、それと悟られないようにジャーファルは慌てて口を閉じる。
「言わないのか?」
また、ちらりと顔を覗きこまれた。
ただ色が白いだけのそばかすだらけのこの顔のどこが、彼の気に入るところとなったのだろう。痩せた体のどこに、抱き心地のよさがあるのだろう。ぼんやりと見上げた男の瞳の奥には、欲情が潜んでいるのがはっきりとかる。
何故──と尋ねかけて、ふっと気を取り直したジャーファルは腕を上げ、男の肩口を両手で抱きしめた。
「あなたが帰ってきてホッとしました。ここでは、他の女性に手を出すことは難しいですからね」
それが、ジャーファルにできる最大限の譲歩だ。シンドリアを離れている間ぐらいは、せいぜい好きにすればいい。そのかわり、ここに……ジャーファルの元に戻ってきたなら、どんな女性にも手を出すことはさせない。体を重ね、唇を合わせる相手として自分がシンドバッドのすぐ近くにいる間は、絶対にそんなことは許さない。
自分の顔や体がシンドバッドを繋ぎとめておくために役立っているとは思わないが、それでも、何もないよりはいいだろう。
この、天邪鬼な気持ちや言葉だって、そうだ。彼はきっと、ジャーファルの容姿だけを好きになったわけではないはずだ。
二人の関係に今はまだ名前などつけることはできないが、それでも構わないとジャーファルは、男の背中に回した手に、力をこめる。
「……だから、誤解だと言っているだろう」
少しだけ……そう、ほんの少しだけシンドバッドは困ったようにジャーファルの顔を覗きこみも機嫌をとろうとする。唇と唇を合わせるだけの軽いキスひとつでジャーファルの機嫌が直るとはまさか思っていないだろうが、そうすることで機嫌をとろうとするのが尚腹立たしい。
ジャーファルは男の背中をガリ、と引っ掻き、無言の抵抗を示す。
「痛っ……!」
本当に痛かったのだろう、シンドバッドが顔をしかめるのに、ジャーファルはようやく小さく鼻先で笑った。
「本当かどうかは、もうしばらくすればわかることです。あなたが嘘をついていないかどうか、こちらでも確かめさせていただきます」
にっこりと笑うジャーファルは男の唇に噛み付くようなキスをした。
まったく天邪鬼な、と胸の奥底で呟く。自分自身に対する苛立ちを払拭するかのように、シンドバッドにその苛立ちを叩きつける。
キスをして、唇を割り開くと大胆に舌を差し込んでいく。じゅぅっ、と音を立ててシンドバッドの唾液を吸い上げると、男の手がそれに呼応するように、ジャーファルの肌を再び這い回りだす。
この行為を愛だとか恋だとかの定義に当てはめたいとは、ジャーファルは思っていない。かと言って、体を繋ぐだけの関係とも異なる。
いったい自分は、どうしたいのだろう。
王であり、主であるシンドバッドと自分は、どういった関係になりたいのだろう。
主従の関係だけではなく、それ以上を望んで……いつしか、天罰が自分には下るかもしれないとジャーファルは思う。
喉の奥で微かに笑うと、男の体を強く抱きしめる。
どんな関係になろうと自分は、この男についていこうと決めたのだ。その時から、彼のことしか自分には見えていない。
「……シン」
欲情に掠れる声で、ジャーファルが名前を呼ぶ。
シンドバッドの手が、ジャーファルの肌を滑り降り、陰毛を梳り、固くなりはじめた性器をやんわりと握り締める。
「証明してください、あなたが潔白であることを」
股を大きく開き、ジャーファルはその間へとシンドバッドをいざなう。
わずかに腰を浮き上がらせると、するりとシンドバッドの指が、尻の狭間へと差し込まれる。
「香油か軟膏はないのか?」
尋ねられ、ジャーファルは首を横に振った。
そのまま体を重ねれば、受け手であるジャーファルの負担は大きい。そんなことは重々承知していたが、それでも痛みごとシンドバッドの熱を感じたいと思っていた。
「今日は、どちらも用意していません」
痛かろうが、傷付こうが、構わない。痛みも快感もすべてシンドバッドによって与えられるのなら、自分は何もかもすべてを受け入れようとジャーファルは思っている。そうすることでこの、どこからともなく、また誰に対してでもなく湧き上がってくる嫉妬を、自分は抑え込むことができるのだ。
「このままで大丈夫ですから」
そう告げたジャーファルの耳に、「強情っ張りめ」とシンドバッドの優しい声が聞こえてくる。
男の自分には、女性になることはできない。彼女たちのふくよかな丸みを帯びた肉体とも異なっているが、それでもシンドバッドを独占したい夜がある。
この気持ちを嫉妬と言うのならば、おそらく自分がシンドバッドに対して抱いている気持ちとやらは──
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