誕生日を二人だけで祝おうと約束をしたのは、まだ肌寒い日が続く三月のことだ。
図書館の書架の陰に隠れてこっそり約束のキスをした。
あれから飛ぶように日は過ぎて、あたりには新緑の香りが漂っている。ハルの誕生日は今日だというのに、獄寺はあの時の約束のことなどこれっぽっちも覚えていないようで、少し悲しくなる。
「もうっ……もう、獄寺さんたら……」
腹立たしいのは、恋人の獄寺とは昨日から連絡がつかないことだ。まさかハルの誕生日を忘れているわけではないだろうと思いたいが、前例がないわけではない。
不安と苛立ちの入り交じった複雑な想いがハルの胸の内でジリジリと沸点に近付いている。
それでも、京子やクロームが女子会を開いてくれると言うから行かないわけにはいかないだろう。寂しくないわけではない。獄寺がいなければ寂しいに決まっているが、 せっかく京子たちが誘ってくれているというのに断るのもおかしく思えて、ハルはつい二つ返事で参加すると告げていた。
きっと、女の子ばかりでお祝いでもしてくれるのではないだろうか。
もちろん、祝ってもらうことそれ自体は嬉しい。だが、言い出しっぺの獄寺がいないことがハルにはたまらなく寂しいのだ。
これでは、嬉しい気持ちが半減してしまう。
髪をブラシで何度も丁寧にとかしてからハルは、家を後にする。ポニーテールにした髪には水色のサテンのリボンを結ぶ。手触りがよくて、ハルのお気に入りのリボンだ。
集合場所は京子の家だ。他校ながら仲良くしているからか、たまにお呼ばれすることがある。玄関の呼び鈴を鳴らしたハルは、応答がなくても勝手知ったる、で大胆にもドアを開け、よく通る声で「お邪魔します」と告げる。
キッチンのほうから京子の「どうぞ、ハルちゃん。お二階に上がっててくれる?」という声が聞こえてくる。
「は〜い」と返してハルは二階へと続く階段を軽やかに上がっていく。
京子の部屋のドアのノブに手をかける。
階下からは京子とクロームの楽しそうな女子トークが聞こえてくる。
「お邪魔します」
今度は神妙な顔で囁き、ハルはドアを開けた。
「うわっ!」
ドアを開けた途端に中から声が聞こえてきた。
「はひいっ…あ、あぁっ……!」
獄寺さん、と気の抜けた声でハルが呟く。ドアの向こうにいたのは、朝から会いたくて会いたくて仕方のなかった人だった。
「なんで……なんで、獄寺さんがここにいるんですか?」
あんなにも会いたいと思っていた相手が、まさかここにいるとは思わなかった。
「るせっ、俺は子守りに呼ばれたんだよ」
そう言った獄寺の膝の上ではランボが遊び疲れたのかぐっすり眠っている。
いったいいつから獄寺は、ここに……この部屋にいたのだろう。首を傾げながらハルは、獄寺の目を覗き込む。淡い緑色の瞳はうっすらとグレーがかった不思議な色をしており、今は不機嫌そうにハルを見上げている。
「……本当、ですか?」
ハルのほうも負けていない。眉間に皺を寄せて獄寺を睨み付けた。
「本当だっつーの」
嘘を吐いても仕方がないだろう、と獄寺は溜息交じりに鼻息をふん、と荒くする。
「……お前の誕生日のパーティをするんだって、アイツら騒いでたぞ」
少しばかり怒ったような横顔が、ハルの瞳に映る。
「だって……今日はハルの誕生日なんでよすよ?」
当たり前でしょう、とハルが誇らしげに返すと、獄寺は顔をしかめた。
「わかってるよ、んなことぐれー」
だから苛ついてるんだ、と獄寺はぷいとそっぽを向いて呟く。
ハルの誕生日だとわかっていたのに、プレゼントひとつ用意できなかったというのだ、獄寺は。だから不機嫌で、どこか苛ついているのだろう。
「そんな……だって、ハルのことお祝いしてくれるんですよね、獄寺さん」
だったら……プレゼントがひとつもないわけではない。
ハルは獄寺のすぐそばに立つと整った頬に手を当てた。身体を屈めると、ちょうど互いの顔がすぐ近くにあった。
「今から京子ちゃんたちと一緒に、ハルのことお祝いしてくれるんですよね?」
確認するようにハルが尋ねる。
照れ隠しのように獄寺はぶっきらぼうに「そうだよ」と告げる。
「じゃあ……」
と、ハルは顔をさらに獄寺のほうへと近付けた。
──プレゼント、ちゃんと受け取りましたから。
小さく身じろいだハルは素早く獄寺の唇を啄んだ。それから囁きよりもずっと微かな声で言った。
獄寺の唇には、ハルの柔らかな唇の感触だけが残っている。
「こっ……こーゆーのは、だな……おいっ、バカ女、こーゆーことを……!」
わたわたと声を荒げる獄寺の膝の上からそっとランボを抱き上げると、ハルは柔らかなクッションの上に寝かしなおしてやる。
「だって獄寺さん、プレゼント用意できなかったんでしょう?」
ぎゃあぎゃあと喚き続ける獄寺を尻目に、ハルはすっかり部屋で寛いでいる。
間もなくして京子とクロームが部屋に入ってきた。京子の両手にはパースで―ケーキ、クロームはプレゼントを抱え、その後ろには綱吉と山本もそれぞれ何かしら手にしている。
「お待たせ、ハルちゃん。それじゃあ、お誕生日パーティ始めましょうか」
京子の言葉で、険悪だった二人の間に割って入るようにして綱吉と山本が腰を下ろす。
皆が思い思いの場所に座ったところで、声がかかった。
「ハッピーバースデー、ハル!」
綱吉が言葉をかける。
皆が手にしたクラッカーの紐をいっせいに引く。パンッ、とクラッカーの心地よい音が響く。 「お誕生日おめでとう」
「皆さん、ありがとうございます」
集まった友人たちの声に、ハルは嬉しそうに微笑んだ。
(2020.5.3)
END
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