少し前にバレンタインだ何だとバタバタしていたのが、気づけばもう三月だ。
ホワイトデーが近づいてきて、綱吉はどこかしらムズムズとした落ち着かない気分になってくる。
先月のバレンタインデーにチョコをもらったものの、ランボの邪魔が入って食べることができなかった綱吉に、ハルがチョコを作ってくれると言い出したのだ。
バレンタインのリベンジだと張り切るハルの姿を見ていると、自分も何か返さなければならないというある種の罪悪感のようなものがフツフツとこみ上げてくる。食べることができなかったとは言え、チョコをもらったのは事実だし、やはりホワイトデーには何かお返しをしたほうがいいだろう。
「何にするかな、ホワイトデー」
自室のベッドにゴロリと寝転がった綱吉は、天井に向かってポソリと呟く。
商店街にあるオープンカフェでケーキセット……というのは、ありふれているかもしれない。彼女のポニーテールに映える髪留めにしようか。それとも、色つきのリップクリームがいいだろうか。 「やっぱり、リップクリームかな……」
ハルのやわらかそうなプルンとした唇にはきっと、うっすらと淡いピンクのリップが映えるだろう。
そうだ。彼女の唇はやわらかく、甘かった。バレンタインの次の日に、言い争っているうちにハルのほうからキスをしてきたのは記憶に新しい。
まさかあのタイミングでキスされるとは思いもしなかった。いや、それよりも綱吉は、自分のほうがリードして初キスをするのだと信じていた。
それなのに、あんなふうに唐突にキスされてしまうなんて、悔しいやら腹立たしいやら嬉しいやら。
なんて複雑な気持ちなのだろうと綱吉は、自分の唇を指でなぞった。
あれから随分日が経つというのに、まだ、ハルの唇の感触が残っているような気がする。 ゴロン、と寝返りを打つと綱吉は、深い溜息をついた。
もうすぐホワイトデーなのだと思うと、それだけで頭の中が混乱してくる。ぐちゃぐちゃになる。いろんな感情が入り混じって、とりとめのないことを考えてしまう。
「もう一度キス、したいなぁ」
ポロリと洩らした自分の本音に、一人赤面した綱吉だった。
母に頼み込んで何とか小遣いを都合してもらった。
バレンタインのお返しに何をしようかとまだ綱吉は迷っているが、もうそんなに日がない。
そろそろお返しの用意を始めたほうがいいだろう。
「うーん。リップクリームにすべきか、髪留めにすべきか……」
女の子が集まるようなファンシー系のショップの入り口をちらちらと横目で見ながら綱吉は、口の中でボソボソと繰り返す。
どちらにしても、こういった店では男性は買い物をしにくいことこの上ない。もっとも、プレゼント用に包んでもらうように頼めば恥ずかしさも半減するだろうことは綱吉もわかっていたが、それがなかなか口にできないのもまた事実だ。
ふらふらとショップの前を行ったり来たりしているうちに、アーケードの向こうから駆けてくるハルの姿が目に飛び込んでくる。
「わ、ヤバっ……」
こんなところにいる姿をハルに見られるのは恥ずかしい。だが、逃げると逆に疑われるかもしれない。いちどは逃げだそうとしたものの、立ち止まり、ハルがやって来るのを綱吉は待つ。
「どうしたんだよ、ハル」
今日は、二人で一緒に帰る約束をしていない。笹川京子とハルの二人で遊びに行くと聞いていたから、綱吉は山本と獄寺の三人で下校した。とは言うものの、そのまま真っ直ぐ家に帰る気にはなれず、一人で商店街をうろついていたのだが。
「ツナさんこそ、どうしたんですか?」
ハルのくりくりとした大きな瞳が真っ直ぐに綱吉を見つめてくる。
「ああ……うん。ホワイトデーのお返し、何がいいかなと思って見に来たんだ」
少し照れながら正直に告げると、ハルは大きな目をさらに大きく見開いて、綱吉の顔を覗き込んでくる。
「本当ですか?」
身を乗り出してハルが尋ねてくるものだから、勢いに飲まれそうになった綱吉はつい、後退ってしまう。
「う、うん。チョコもらったし、お返ししなきゃな」
惜しむらくは、もらったチョコを一口も口にすることができなかったことだ。ランボのヤツ、二度とこんなことは許さないからなと胸の内で綱吉は決意する。
「わあ、嬉しいです。ハル、ツナさんにとっておきのチョコを作りますから、今度こそ食べてくださいね!」
ハルの笑顔につられて綱吉もニコリと笑う。
ふと視線がハルの唇に止まり、少し前にしたキスのことを思い出す。
やはりリップクリームにしようと綱吉は思った。
ハルと一緒にファンシーショップに入るのは勇気がいった。
女の子だらけの店内に男の自分が紛れ込んでいいものかどうか、綱吉には判断がつかなかった。
「ね、ね、ツナさん。この髪飾り、キュートです。そう思いません?」
ハルが手にしているのは小さな花のついた髪飾りだ。髪に当てて「どうです?」と尋ねてくる。
「あ、うん。可愛い……と、思う」
確かに可愛いと思う。ピンク、オレンジ、黄色と緑のストライプ、水玉。いろいろありすぎて、綱吉にはどれがハルにいちばんよく似合うのか、わからなくなってくる。
「もう。ちゃんと選んでくださいってば」
 頬を膨らしてハルが不服そうに綱吉を睨みつけてくる。
「ああ、うん、ごめん」
ぞんざいに扱っているわけではない。ただ、何をどうしたらいいのか、綱吉にはわからないだけだ。女の子のものなんて、男の自分にわかるわけがないと、そう綱吉は思っている。
「あ、あっちは……あれは、どう?」
店の奥まったところにあるリボンのコーナーを綱吉は指さした。
髪飾りは種類が多すぎてよくわからない。リボンならと思った綱吉は、ひしめく女の子たちの合間を縫ってリボンのコーナーへ辿り着く。
棚にずらりと並ぶリボンはカラフルで、同じ色はひとつとしてない。淡い色から濃い色まで、ずらりと並んだ赤や青や黄色やピンクのリボンに、綱吉は圧倒された。
しまった、失敗したと後悔したものの、ハルのほうはというと嬉しそうに目を輝かせてリボンを選び始めている。
「……これなんか、どうだろ?」
よくわからないままに手に取ったリボンをハルに差し出して、綱吉。手の中のリボンは、桜色よりも濃く鮮やかな薔薇色。縁にレースがついていて可愛らしく見えるし、何よりもハルの髪によく映える色だと思う。
「わ、このリボン、素敵です。縁飾りのレースも素敵ですし……ハル、これにします!」
そう言ったハルの笑顔がとても眩しく見えて、綱吉は一瞬、目をパチパチと瞬かせた。
「じゃあこれ、お返しでいいかな?」
このリボンに似合うリップクリームをつけたハルとデートをする日を夢見て、綱吉が尋ねる。
「はい!」
大きく頷いたハルの笑顔に綱吉は、胸のドキドキを隠せないでいた。
(2014.2.22)
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