ハッピーサマーバレンタイン

「さーさーのーはー、さーらさらー」
  小さく口ずさみながらハルは、新たに用意した笹飾りを結わえていく。
  少し日が遅くなったが皆でサマーバレンタインデーを祝おうと話がまとまったのがつい先日のことだ。
  大人になり多忙な日々を過ごすなかで急に決まった割にはなかなかいい感じに会場の準備も整った。
  いつものメンバーが集まるからアットホームな雰囲気に仕上げたが、その後のことを考えるとハルの顔は自然と綻んでくる。
「ハルちゃん、そっちはどう?」
  背後から京子が声をかけてくるのにハルは、満面に笑みを浮かべて振り返った。
「はい、バッチリです、京子ちゃん」
  準備万端です! と小さくガッツポーズをすると、京子は楽しそうに笑い返してくる。
  一週間遅れの七夕の願いを書いた短冊を飾るための笹を見上げると、小さな達成感がこみ上げてきた。
「こっちも準備万端だよ」
  共犯者めいた笑みを交わしあい、女子二人は満足そうに頷きあう。
  久々に仲間が揃うのだと思うと、嬉しくてたまらなかった。恋人の綱吉とは毎日のように電話やメールをしているし、頻繁に顔を合わせてもいる。それでもやはり大勢で集まるのは、二人だけで会うのとはまた違った雰囲気を感じることができ、別の楽しさがあった。
  竹寿司を貸し切って即席のサマーバレンタインデーを祝う会場を設営したからだろうか、いい感じになったとハルは思う。
  笹飾りの短冊は、入り口脇に用意した。中に入ったらまず願い事を書き、会場奥の笹に短冊を結わえる。その後はいつもと同じで、皆で好き勝手に食べて、飲んでだ。
  ざっと会場を見回して抜かりのないことを確かめると、そろそろ皆が集まり始める時間だった。
「ハッピーサマーバレンタイン!」
  ガラリと音がして竹寿司の引き戸が開くと同時にハルと京子の二人が声をかけた。
「あ……こ、こんばんは。ハル、京子ちゃん。会場設営ありがとう」
  おっかなびっくりの表情で綱吉が店内へと足を踏み入れる。
  その後に獄寺と山本が続き、続々と見知った顔の人たちが集まってくる。一瞬にして店内に人が溢れかえった。
「短冊にお願いを書いてくださいね、皆さん」
  ハルが声をかけた。
  用意したペンを手に、それぞれ短冊に願い事を書いていく。
「願い事は一人ひとつですからね!」
  言ってるそばから獄寺と了平の二人が競い合うように、何枚もの短冊に願い事を書いていく。
「お兄ちゃん! 獄寺君も、ひとつだけって言ってるのに」
  軽く頬を膨らませて京子が言うのに、了平は口をあけてガハハと笑った。
「いや、悪い、悪い」
「もうっ」
  ひとしきりそんなやり取りをした兄と妹がそれぞれの席につくのを横目に、ハルは綱吉の手元を気にしてそわそわしている。
「ねえ、ハル。そんなふうにじっと横で見てられると書けないんだけど」
「ハルのことは気にしないで、どうぞ願い事を書いてくださいな、ツナさん」
  ニコニコと笑みを浮かべるハルに綱吉は、「そうじゃないんだけどな」と小さく呟くと共に、はあぁ、と溜息をひとつついた。



  学生時代を彷彿とさせるバカ騒ぎに、手作りの美味しい食事。仲間たちがいて、それぞれが思い思いの言葉を口にして、楽しそうに笑っている。
  幸せだとハルは思った。
  昔と何ひとつかわらない、幸せな時間だ。
  誰かの言葉にたくさん笑った。涙が出るほど楽しかった。自分たちがもうすっかり大人になってしまったのだと思うと、少しだけ寂しかった。
  それでも、隣を見ると綱吉がいた。
  あの頃とかわることなく綱吉の周囲には自然と人が集まってきて、何気ない日常の話を口にしている。
  綱吉の人望と言うのだろうか、それとも人間的な魅力とでも言うのだろうか。こうして仲間たちがやってきて楽しげにしているところを見るとは、沢田綱吉という人間の持つ力のすごさに気づかされる。普段は頼りなさそうに見えることもあるのに、とハルはこっそりと思う。
  だが、いざという時には必ず綱吉はハルを守ってくれる。ハルだけでなく、誰のことも同じように守る。それが誇らしくもあり、時に悩ましくもあるのだが。
  あたりをぐるりと見回すと、そろそろ宴もたけなわといったところだった。離れた向こうの席から京子が、さりげなく目配せを送ってくる。終わりの合図だ。
「ツナさん、そろそろ終わりの挨拶お願いしますね」
  綱吉の服の裾を掴むとハルは、そっと耳打ちをする。
  学生の頃ならいつまででも騒いで、食べてして、眠くなったらお開きにしていた宴会も、今は節度を持って終わりの時間を決めなければならない。そうでなければいつまででも騒ぐ輩や、朝まで飲み明かす者がいるのだから仕方がない。
「あれ、もうそんな時間?」
  ハルの言葉に、綱吉は改めて背筋をピンと伸ばして椅子に座り直す。集まった人たちの顔をぐるりと見渡す瞬間の綱吉の横顔がやけに男らしく見えて、ハルは一瞬ドギマギする。綱吉のこういうところにハルは惹かれたのだ。普段の穏和な雰囲気の綱吉も好きだが、ピリッとした空気を纏うと別人のように見える時がある。惚れた欲目かもしれないが、ここに集まった面々の中でも自分の恋人がいちばん素敵に見えて、嬉しく思う。
  宴会の後の片づけは明日の朝、店が開く前に皆で集まってすることになった。
  竹寿司を後にして、夜の道を綱吉と並んで歩きながらハルは、別れがたい気持ちを感じていた。
  もっと綱吉と一緒にいたい、言葉を交わしたい。久しぶりに皆と騒いだ夜だからだろうか、できることならこのままの勢いで誘ってほしい。そんなことを考えていると、ハルの手に綱吉の指先が触れてくる。
  期待している自身の気持ちを誤魔化すように空を見上げると、雲一つない夜空にミルキーウェイが広がっている。
「わ、あ……綺麗です……」
  思わず溜息と共に声が零れて、その声につられるように綱吉も空を見上げる。
「ああ、本当だ。少し日がずれたけど皆で集まって正解だったな」
  夜の空に瞬く星たちを、綱吉は眩しそうに見上げている。
  立ち止まったまま二人はしばらく、黙って空を見上げていた。



「……オレの部屋に、来る?」
  泊まらないかと少し掠れた声で尋ねられ、はしたなくもハルはコクリと頷き返していた。
  二人とももういい歳をした大人なのだから、これしきのことで照れる必要もないはずなのだが、なんとなく気恥ずかしくてならない。
  手を繋いで俯いたまま、ハルは綱吉に手を引かれて道を歩いた。
  綱吉のマンションまでの道程は長く感じられたが、着いてみると少々短かったような気がした。久しぶりに大勢で騒いだ後だからだろうか、ハルの気持ちも舞い上がっていたのかもしれない。
  綱吉の部屋にあがると、優しいにおいがしていた。綱吉のにおいだ。ハルはホッとして、それまで詰めていた息をそっと吐き出す。
「ツナさん……」
  電話でも、メールでもなく、生身の綱吉が目の前にいる。繋いだままだった手にぎゅっと力を込めると、綱吉のほうも握り返してきてくれる。
「彦星と織り姫みたいに一年に一度しか会えないのは嫌だから、オレたちはできる限り時間を作って会うようにしよう」
  そう告げた綱吉の手から、ハルの手へと熱が伝わってくる。
「──はい」
  頷き返したハルは、綱吉の手を口元へとひきよせた。がっしりとした大きな手の甲に唇を押し当て、チュ、とくちづける。
  もしかしたら、そんな日がくるかもしれないといつも不安に思っていた。
  ボンゴレファミリーの十代目として綱吉は、学生時代から様々な困難に立ち向かわなければならなかった。そのたびにハルも京子も、たくさん心配した。大人になってその不安はますます大きくなっていき、その不安を払拭するかのように綱吉は、ハルと頻繁に連絡を取ろうとしてくれていた。
  だが、いつか……今すぐでなくとも、会えない時間がやってくることもあるだろう。
  それがどういった形なのかはわからなかったが、会えないことが不安の種になるのなら、その種を育てないようにすればいいことだ。それだけのことだ。だから綱吉はあんなにも頻繁に、ハルと連絡を取ってくれている。少しでも時間があれば会おうとしてくれている。
「もし……もしも会えなくなっても、大丈夫です。そんなことになったら、ハルのほうからツナさんのところまで会いに行っちゃいますから」
  そう言って笑おうとして、失敗した。ポロリと大粒の涙が零れ落ち、ひとつ、ふたつと綱吉の手を濡らしていく。
「なに泣いてんだよ、ハル」
  ぎょっとしつつも綱吉は、ハルの肩をそっと抱きしめてきた。
「別に、しばらく会わないとか別れるとか、そんなこと言ってないだろ、オレ」
  困ったように囁く声が優しくて、それがやけに愛しく思えてハルは、綱吉のシャツにぎゅっとしがみついていく。
「違いますってば。ハルはこんなにもツナさんに愛されているんだと思うと、嬉しくって涙が出てしまったんです」
  ぷう、と頬を膨らまして綱吉を見上げると、穏やかな眼差しがハルを見つめていた。
「オレにとっての織り姫は、ハルだから」
  だとすると、不器用な綱吉は彦星だ。ランボという名のわがまま子牛に振り回されながら天の川を渡り、ハルの元へと会いにきてくれるのだろうか。
「だったら、ハルのところへ会いに来る時は、ツナさん一人で来てくださいね」
  ランボのことは綱吉もハルも弟のように可愛がっているが、恋人同士の逢瀬を邪魔するような野暮なことはしてほしくない。昔を思い出しながらもハルはやんわりと釘を差しておく。
「なんでハルに会うのに、ランボを連れて行かなきゃなんないんだよ」
「だって……」
  二人だけの逢瀬だからと言いかけたハルの言葉は綱吉のキスに塞がれて、互いの口の中でふわりと甘く溶けていった。



(2014.7.20)
END



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