休日の過ごし方

  秋晴れの朝、目を覚ますと隣で恋人が眠っている。
  早朝の新鮮な風を感じたくてハルは、そっとベッドから抜け出す。就寝時のキャミソール姿のまま、忍び足で窓際に寄るとハルは窓を開けた。
  窓の外には雲ひとつない青空が広がっている。部屋に入り込んでくる風は爽やかで、肌に心地いい。
「そろそろ起きませんか、ツナさん」
  声をかけると、ケットにくるまった綱吉がベッドの中でもぞもぞと蠢く姿が見えた。
  寝ぼけているのか、一生懸命頭の上にケットを引きずりあげようとするのだが、足がはみ出してしまってみっともないことこの上ない。
「いいお天気ですよ」
  尚も声をかけると、今度はケットの中からボソボソとくぐもった声が聞こえてきた。
「パンケーキを焼くので、その間に起きてくださいね、ツナさん」
  ケットを捲るとその中で丸くなっていた綱吉が眩しそうに腕で顔を覆った。
  むずかる腕を掴んで顔からはずすと、ハルは素早く恋人の唇を奪う。
「フルーツソースたっぷりの甘いパンケーキをたくさん作りますね」
  そう告げると、踊るような足取りでハルはキッチンへと向かった。



  ふんわり柔らかなパンケーキを何枚も焼いた。
  はちみつとヨーグルト、それにフルーツをたっぷりと乗せて皿に盛りつける。
  テーブルの上には自分の分と綱吉の分を向かい合わせにセッティングして、サラダとオレンジジュースも用意した。
「ツナさん……ツナさーん」
  寝室のドアを開けて覗き込んでみると、ケットを剥ぎ取られた状態のままで綱吉は丸くなって眠っていた。
「もう。まったく、仕方のない人ですね」
  ため息と共に小さく零すとハルは、寝室に足を踏み入れる。
  朝食はすっかり完成している。早く食べないと、せっかく焼いたパンケーキが冷めてしまう。頬をぷぅ、と膨らませ、ハルは綱吉のほうへと近づいていく。
「起きてください、ツナさん」
  指先でツン、と額をつつくと、眉間に皺を寄せ、鬱陶しそうに手を払われそうになった。
「ツナさん、てば」
「んー……」
  ぐずる子どものようにゴロンと寝返りを打つ姿はまるで大きな子どもでしかない。
  腰に手を当てハルは「もうっ!」と恋人をやんわりと睨みつけた。
  久々に休みが合うから、早起きをしてどこかへ出かけようと言われたのは昨夜のことだ。綱吉は少し飲んでいたから、もしかしたら酔っていたのかもしれない。それでもハルは、この些細な外出を楽しみにしていたのだ。
「起きて……ツナさん、起きてくださいってば」
  ゆさゆさと体を揺さぶると、「うぅ〜ん」とくぐもった声が返ってくる。
  起きる気がないのは一目瞭然だった。
  密かに楽しみにしていたのはハル一人だけだったのだと思うと、途端に悲しくなってくる。
  休みの日に遊園地へ出かける子どものように楽しみにしていたのに。
  ムッとしてベッドの端に膝を乗せ、ハルはドン、と綱吉の背中を叩いた。
「起きてください、ツナさん。夕べ、寝る前に出かける約束したじゃないですか」
  いつになく棘のある言い方をすると、ようやくごそごそと綱吉が起き出す気配を見せた。
「ん……んー、と……今、何時?」
  やはり酔っていたのだろうか、夕べは。約束も覚えていないぐらいに酔った恋人の言葉を真に受けた自分が、これでは可哀想ではないかとハルは頬を膨らませた。



「もう知りません」
  ツナさんの馬鹿、と言いたいのをこらえてハルが小さく呟く。
  もう、本当に知らない。朝食だって用意したし、ほんの何分か前までは出かける気満々でいたのに。それが、一瞬にしてすべてがおじゃんになってしまったような感じがする。萎れた気分で肩をがくりと落として俯いていると、遠慮気味に綱吉の手がハルの肘に触れてきた。
「──…ごめん」
  ボソボソときまり悪そうに綱吉が言った。
  ようやく目が覚めたのか、ノロノロとベッドに起き上がった綱吉は、今度はハルの身体を背中から抱きしめてくる。
「おはよう、ハル」
  優しい声だった。
  ハルが不機嫌になっているというのに、どうしてこうも綱吉は穏やかな声で喋りかけてくることができるのだろうか。
「知らない、って言ってるじゃないですか」
  唇を尖らせてツン、とそっぽを向くが、本当は胸の内ではハラハラしている。ちらちらと綱吉の様子を窺いながら、どこまでなら彼が許してくれるかを推し量っている。
「ごめんな、ハル」
  綱吉の言葉が、ハルの胸にチクリと刺さる。
  これは怒られるよりもずっと気分的にきついとハルは思う。
  ハルだって、恋人が忙しいことはわかっていた。ここしばらく、やれ会議だ、やれ祖父の用事でイタリアだとあちこちを駆けずり回っていた綱吉のことを、すぐ近くで見ていたハルがわからないはずがない。
  だが、だからこそ少しばかり腹が立ったのだ。
  仕事や用事にかまけて、恋人の自分が忘れられてしまっているのではないかと、不安に思ってしまったのだ。
「オレ……ハルのこと、好きだ。大切に思ってる。けどさ、要領が悪いからついつい、ハルのことが後回しになっちゃって……」
  肩口に額を押しつけて、綱吉がポツリポツリと喋りだす。
「ハルならわかってくれるだろ、って。つい、自分に都合のいいように思っちゃうんだけど、これってオレの悪い癖だよな」
  ごめんな、と綱吉はもう一度、ハルに囁きかけた。



  肩口を抱きしめる綱吉の腕にハルは、軽く爪を立てた。
「ズルいです。そんなふうに言われたら、ハルが怒っているのが聞き分けのない子どもみたいで……」
  綱吉を困らせるつもりはこれっぽっちもないのに。なのに今の自分は、綱吉を困らせる駄々っ子のようだ。
「聞き分けがなくても、我儘でも、いいよ」
  オレはそんなハルのほうがらしくて好きだな。
  ぽそりと耳元に綱吉の言葉が落ちてくる。耳たぶをくすぐる綱吉の声は、優しくて、あたたかくて、涙が出るほど愛しくて。
  こんなふうに畳みかけられたからには、いつまでも怒っていられるはずがないだろう。
  はーっ、と深いため息をつくとハルは、スン、と鼻を啜った。
「やっぱりズルいです、ツナさん」
  こんなふうに仕掛けられたら、こちらが折れるしかないのはわかりきっていることだ。どう転んでも自分が綱吉を許してしまうだろうことが予測され、何とも歯がゆい感じがする。
「だからごめん、って。ハルに甘えすぎてるんだよな、オレ」
  反省しなきゃなと口の中でぼそぼそと呟き、綱吉はハルの体に回した腕に力をこめた。
「本っ当に、ごめんな、ハル」
  耳の後ろにチュ、と音を立ててキスをされ、綱吉のほうから仲直りを暗に促されてしまった。
「むー……」
  本当は、許したくない。でもそう思ってしまう時点で綱吉のことを許しているのもまた事実だ。
  はあぁ、とわざとらしく大きなため息をつくとハルは、ぎゅっと目を閉じた。気持ちを切り替えるために、一秒、二秒、三秒……すぐに目を開けて、「仕方ないですね、まったく」とハルは、いつもの口調で明るく返した。
  抱きしめてくる背後の綱吉にもたれかかるように、ハルは背中を預けていく。
  もれたかかった恋人の胸の中はあたたかくて、幸せで、今の今まで自分が拗ねて怒っていたことなど忘れてしまいそうになる。
「それで? 今日はどこへ連れて行ってくれるんですか?」
  ハルが尋ねると、綱吉は「どこだと思う?」と逆に聞き返してきた。
  映画館には毎月のように通っているし、夏の終わりに行ったプラネタリウムは楽しそうだが、今日は混んでいそうな予感がする。海は……ちょっと季節外れかもしれない。
「どこです?」
  早々に「ヒントをください」とギブアップすると、綱吉はくぐもった笑いをあげた。
「朝ごはん食べたらね」
  言いながらも綱吉の腹がグゥグゥと騒がしく鳴っているのが聞こえてくる。
  今、聞き出したいのをぐっと堪えてハルは頷いた。
  黙々と朝食を平らげ、二人して大急ぎで出かける準備をした。
  ランチボックスには手早く作ったサンドイッチとフルーツ、それに簡単なおかずやサラダを詰めた。
  スポーティーなパンツスタイルのハルは、ランチボックスを手に提げると先に玄関先に出ていた綱吉を追いかける。
「じゃあ、行こうか」
  恋人の手が、自然とハルの腰に回る。
「はい、出かけましょう!」
  大きく頷くとハルは、パタンとドアを閉めた。



(2014.10.23)
END



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