ドキドキしたいの

  小さめのココット皿にジャガイモとゆで卵、ホウレン草、ベーコンを入れるとピザ用のチーズをたっぷりとかける。てっぺんにアスパラガスを乗せてオーブンに入れると、ハルはキッチンの片隅からスツールを持ってきて、腰を下ろした。
  鼻歌を歌いながら、オーブンの中を眺める。
  開け放った窓からは初夏の風が吹き込んできて、何とも心地良い。
  もうすぐ綱吉が帰ってくる。
  大人になってボンゴレ・ファミリーの十代目となった綱吉とは、定期的に逢瀬を重ねている。
  友だちのような恋人のような曖昧なつきあいを重ねて、十年が過ぎた。
  くっついたり、離れたり、喧嘩をしたりを繰り返してようやく落ち着くところに落ち着いてきたような感じがするが、綱吉のほうが今の二人の関係をどう思っているのか、ハルにはわからない。
  それでも、二人の間に体の関係はあったし、イタリアの祖父から見合いの話がくると律儀に断っているところを見ると、ハルのことをちゃんと考えてくれているのではないかと少しだけ期待を寄せたりもする。
  今日はハルの誕生日だから、二人だけでお祝いをしようと綱吉のほうから言ってきた。
  大切な話がある、とも。
  もしかして別れ話だろうかと不安に思わないでもなかったが、誕生日を祝う日に、そんな話を綱吉が出してくるとは思えない。
  手の込んだ料理を用意しようと思ったが、綱吉はいならいと言った。学生時代にお喋りをしたファストフードのセットをテイクアウトしてくるから待っててほしいと告げられ、さっきからハルは手持ち無沙汰で仕方がない。
  他にすることもないから、キッチンに籠もっている。
  ファストフードの味は懐かしいが、それだけでは物足りないかもしれない。豪華な料理ではないけれど、ちょっとした簡単なものでも手料理があれば、気分もまた変わるかもしれない。
  オーブンの中でチーズが溶けて、表面がうっすらときつね色にかわってくる。
「おいしそうです」
  満足そうに呟いたハルの耳に、ドアの開く音が聞こえてくる。
「ただいま、ハル」
  綱吉が帰ってきた。
「ツナさん、お帰りなさい!」
  声をかけるとハルは、オーブンの中からココット皿を取り出す。
  熱々の小皿をトレーに乗せて、リビングへ運ぶ。
  ファストフードの袋を手にした綱吉が少し遅れてリビングへ入ってくる。
「待たせちゃったかな?」
  心配そうに尋ねられ、ハルはううん、と首を横に振った。
「ぜんぜん。ポテトのココットを作ったので、これも一緒に食べませんか?」
  テーブルにトレーを置いて綱吉の顔をうかがうと、彼は嬉しそうに頷いてくる。
「うん。いつものお店で買ってきたんだけどさ、ちょっと物足りないかも、って思ってたとこなんだ」
  言いながら綱吉は、袋の中から買ってきたものを取り出す。
  ハンバーガーにポテトにシェイク。学生時代にデートをする時は、ファストフードによく立ち寄った。そうでない時は商店街を二人で歩いて、あれが可愛い、これが面白そうだと見て回ったものだ。
  そんなことを思い出しながらハルは、綱吉が並べたささやかな昼食へと視線を向けた。
「美味しそうです」
「どうぞ、召し上がれ」
  おどけて綱吉が言う。
  ハルもココット皿を綱吉のほうへと押しやりながら、にこりと笑って言った。
「ツナさんこそ、どうぞ召し上がれ」



  真っ先にシェイクを手にしたハルはストローに口をつけると甘いバニラの味を堪能する。
  二人で食べるファストフードの味は、ほんのりと懐かしい味がした。
  そう言えば、つきあい始めてすぐの誕生日は、ファストフードでお祝いをしてもらったっけと、ハルは改めてあの頃のことを思い出す。
  中学生時代に互いを意識してつきあい出したばかりの頃のことだ。
  今月のお小遣いがピンチだからファストフードでごめんねと綱吉に謝られたことは、今でもはっきりと覚えている。もらったばかりなのにピンチだというのも不思議だったが、後から聞いた話では、お小遣いをもらってすぐに欲しかったゲームを買ってしまった後で綱吉は、ハルの誕生日を知ったらしい。プレゼントを買う余裕もなく、仕方なくいつものファストフードでデートとなったのだが、それでもハルには嬉しかった。
  自分の誕生日を心から祝ってくれる綱吉のことが好きだと、その時ハルははっきりと自覚した。
「おいしいですね」
  大人になってファストフードに入ることも少なくなったが、久しぶりに食べたことで、あの頃を思い出して懐かしく思う。
「うん。でも、ハルの作ってくれたココットも美味しいよ」
「二人で一緒にいるから美味しいんですよ、きっと」
  ハルが言うと、綱吉は照れ臭そうに「そうかな」と笑った。
「そうですよ」
  二人でいるから。自分で言っておいてハルは、その言葉に微かな不安をふと覚えた。
  そう言えば綱吉は、自分との関係をどう思っているのだろう。
  話があると言っていたが、それはいったい何の話なのだろう。
  少し前に京子の兄が黒川花と結婚をしたが、自分たちもそろそろそういった話が出てもおかしくはない歳だ。このまままた、曖昧なままの関係を続けるのだろうかとハルはシェイクをじゅう、と啜った。
「冷たい?」
  小首を傾げた綱吉が、ハルのシェイクを取り上げ、ストローに口をつける。
  ごく自然にシェイクを啜り、さらに綱吉は首を深く傾げた。
「固くないじゃん」
「はひ?」
  怪訝そうに綱吉は、シェイクをハルの手に戻してくる。
「昔みたいに、溶けてないのに頑張って飲もうとしていたのかと思った」
「やだ、ツナさんたら! そんな子どもみたいなこと、今のハルはしませんてば」
  ぶう、と頬を膨らせてハルが言い返すのに、綱吉は笑い返してくる。
「でもほら、こんなふうにほっぺたを膨らませるなんて子どもみたいだよ」
  指先でつん、と頬をつつかれ、ますますハルは頬を膨らませた。
「もう、ツナさんてば」
  両手を振り回して子どもみたいに駄々をこねると、不意打ちで綱吉の唇がハルの頬にチュとキスを落としてくる。
「誕生日おめでとう、ハル」
  勢い余って綱吉の胸の中にトン、ともたれ込んでいくハルの体を、力強い腕がぎゅっと抱き留めてくれた。
「もう……もう、ツナさんたら……」
  言いながらハルは甘えるように綱吉の胸に頬をすり寄せる。
  そんなハルに、綱吉がふふ、と吐息だけで微かに笑った。
「プレゼント用意したんだけど、受け取ってくれる?」
  ハルは、小さく頷くのが精一杯だった。



  綱吉のジャケットの内ポケットから出てきたのは、小さな四角い箱だった。
  可愛らしいリボンをかけた箱をそっと開けると、可愛らしい指輪が入っている。ほっそりとした華奢なリングに、小さな小さな緑色のエメラルドが嵌め込まれている。
「結婚はまだ早いと思うんだけど、婚約したいなぁ、なんて……思うんだけど……」
  ハルの様子をうかがいながら、綱吉がポソポソと告げてくる。
  言葉が出ないというのは、きっとこういうことを言うのだろう。ハルは手の中の小さなリングにじっと見入っていた。
「ビックリしすぎて……」
  声が、震えている。途中から泣き声になってきて、慌ててハルは片手で顔を覆う。
「……嬉しいです」
  俯いて返すと、綱吉の腕がまた、ハルを抱きしめてきた。
  中学生の頃とは違う、逞しい男の体が、ハルの体を抱きしめている。綱吉の腕にぎゅう、としがみつくとハルは、スン、と鼻を鳴らした。
「三浦ハルさん、オレと婚約してくれますか?」
  耳元に囁きかける綱吉の声が、背筋を下ってハルの腰に直接響いてくる。
「は……い」
  綱吉の胸にもたれると、トク、トク、といつもより少し早い心臓の音がハルの耳に響いてくる。ハルの心臓も、さっきからドキドキしっぱなしだ。
  しばらくの間、ハルは綱吉の胸に顔を伏せていた。
  少しだけ、時間が必要だった。
  婚約自体は嬉しいことだが、ハルにだって気持ちの整理をする時間ぐらい、ほしかった。
  ようやく気持ちが落ち着いてくると、ハルはそろそろと顔を上げた。不安そうな綱吉の表情が目に入り、眼差しで「嫌だった?」と尋ねられる。
「嬉しい、ってハルはちゃんと言いましたよ」
  声に出して囁くとハルは、綱吉の頬に手を当てた。
  ゆっくりと綱吉の顔が近づいてきて、唇が合わさる。
  トク、トク、と響く互いの鼓動が重なって、その瞬間、嬉しい気持ちが重なるのが感じられた。



END



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