『Kiss in the Dark』



  忙しさにかまけて、十二月が終わろうとしていた。
  クリスマスは店が忙しくて、二人とも朝から晩まで働き通しだった。
  仕事が引けてからの時間に二人でクリスマスを祝おうと言っていたものの、結局、のんびりとすることもできなかった。
  そんな状態が続いていたからだろうか、このところサンジは、やたらと機嫌が悪い。
  ちょっとしたことで罵声が飛び、蹴りが飛んでくる。
  厨房にいようが、二人きりの居室にいようが、それはかわらない。
  だいたいのことは、エースにもわかっていた。クリスマスを二人きりで祝おうとしていたのに、招かれざる客人がやってきたり、時間がなかったりで、軽くキスを交わしただけで終わってしまったのだ。
  それがきっと、サンジには許せないのだろう。
  エースだってそれは、同じ気持ちだ。
  二人きりの甘い時間をあれほどまでに心待ちにしていたというのに、穏やかな時間は呆気なく崩れ去ってしまった。
  いったい、何が悪かったのだろうか。
  はあぁ、と大きな溜息を吐くと、エースは厨房のモップかけを再開する。
  新年を前にして、バラティエは殺人的なまでに忙しくなっていた。浮かれ足の紳士淑女が昼となく夜となく、バラティエの料理に舌鼓を打ちにやって来る。お客が来るのは悪いことではない。しかし、それにしても少しぐらいのんびりとできる時間がないものだろうかと、モップをかける手につい、力が入ってしまう。
  ごしごしと床を擦っていると、足音が聞こえてきた。サンジの足音だと思うと、エースの口元に微かな笑みが浮かんでくる。
「なんだ。お前、まだやってたのか?」
  呆れ顔のサンジが、入り口のところからひょいと顔を覗かせて言った。
「ああ、今、終わる」
  モップの毛にたまった水をよく切って、エースは掃除道具を片付ける。
  婿養子としてバラティエに入ってからのエースは、厨房での下働きと、ウェイターの仕事を任されている。巷でも少しは有名な海賊が、レストランの下働きをしているのだ。海賊をやめたわけではないが、こうしてバラティエで自分と一緒に働いてくれるエースに対して、サンジは感謝している。言葉ではっきりと告げたことはなかったが、こうして自分のことを想ってくれるエースのことを、サンジは愛しく思う。
  片付けの終わったエースの背中にしがみついていったサンジは、腕をするりと前に回し、自分よりも少しだけ背の高い男を抱きしめた。



「お疲れさん」
  そう言って、ぎゅっ、とサンジは男を抱きしめる。
  一日働いた男の体からは、汗のにおいがしていた。
「サンジこそ、疲れただろう?」
  今月に入ってからは特に客の入りがよく、副料理長のサンジはエースとはまた違った忙しさを感じているはずだ。
「そりゃ、お互い様だ」
  小さく笑ってサンジは返した。
  エースの背中にキスを落とすと、サンジはするりと腕を解き、体を離した。
「部屋に戻ろう」
  エースの手を取って、サンジは言う。
  最近のサンジにしては珍しく機嫌がいい。
  繋いだ指先をきゅっと握りしめるとエースは、頷いた。
「今日は、早かったんだな」
  そう言われて、サンジは嬉しそうに笑みを浮かべる。
「会議がなかったからな」
  閉店後に厨房の片づけをして部屋に戻るエースよりも、先に厨房を出ていくサンジのほうが後から部屋に戻ってくることのほうが多い。年の変わり目を前に、サンジをはじめとするコックたちは、毎晩のように閉店後に会議をしていた。メニューの打ち合わせやら、その日の反省やらでたっぷりと時間を取られるため、サンジは閉店後の会議を嫌っていた。
  その会議が、今日はなかったのだ。
  おかげでサンジは閉店後すぐに居室に戻り、くつろぐことができた。
  だからこんなに機嫌がいいのだろう。
  二人は言葉少なにバラティエの船の中を移動する。
  真っ暗な空には星々のあかりが灯り、うすぼんやりとした光を投げかけてくれている。
「晩飯、用意できてるから」
  ぽつりと呟いたサンジの言葉に、エースは黙って頷いた。
  今夜は一緒に食事を取ることができるのだと思うと、自然と気持ちが穏やかになっていく。
「楽しみだ」
  低く甘ったるい声で、エースは返した。



  居室に戻ると、部屋の中は真っ暗だった。
  後ろ手にドアに鍵をかけるサンジの気配を感じながら、エースはあかりをつけようとする。
「まだ、明るくするな」
  サンジの鋭い声が飛んだ。
  エースは慌てて体を硬直させ、じっとその場に立ち尽くした。
  手探りでサンジが、エースのほうへとやってくる。
  サンジの華奢な手が、暗闇の中でエースの腕を捉えた。
「クリスマスもゆっくり祝えなかったから、せめて……」
  掠れる声で、サンジが告げる。
  いったいサンジは何を不安に思っているのだろうとエースは、腕を掴む手を上からやんわりと握りしめた。
「──…これって、クリスマスのやり直し?」
  当初は、クリスマスには二人きりでゆっくりとサンジの手料理を楽しむ予定をしていた。悲しいかな、その予定はルフィたちによって壊されてしまった。連絡もなしにいきなりやってきたと思ったらサンジの料理を次から次へと平らげたルフィは、気が済むとまた海へと戻っていってしまった。いったい何の用事があったのかすら、わからない。そんなこんなで二人きりのクリスマスは慌ただしいだけのものになってしまった。そのやり直しをしようと、サンジは思っているのだろうか?
「まあ、そんなところだな」
  そう言うとサンジは、手探りでエースの頬に手をやった。輪郭をなぞるようにして指を滑らせ、顔を近づけてくる。
「二日遅れだけど、メリークリスマス」
  囁きにあわせて、サンジの唇がエースの唇に触れる。
  エースも手探りでサンジの髪に指を差し込むと、柔らかな唇を捉えようとした。
「ん、んっ……」
  唇をあわせると、すぐにサンジの舌がエースの口の中に潜り込んできた。舌を絡め、音を立てて唾液を吸い上げてやると、サンジの膝が誘うようにエースの膝にすり寄せられる。
  もっと深く唇をあわせようとエースが身を乗り出したところで、腹の虫が一声、大きく鳴いた。



  あかりの灯った居室は、整然と片づいている。
  もともとサンジのものだったこの部屋は、二人の新居となってからはいつも綺麗に片づいている。エースは自分のものをほとんど持っていなかったし、きれい好きのサンジはしょっちゅう部屋を片付けている。たまにルフィがやってくると部屋の中は嵐が通り過ぎた後のようになったが、それも一日二日のうちにサンジが整頓しているので、滅多なことでは部屋の中にものが溢れかえることはなかった。
  今夜は、部屋の中央にテーブルを移動させていた。テーブルにはサンジお手製のディナーがずらりと並んでおり、それらを目にした途端、エースの口の中に唾液が沸いてきた。
「クリスマス料理じゃないけどな」
  ばつの悪そうなサンジの笑みに、エースは優しく頷いた。
「構わねえよ」
  こうして二人でクリスマスのやり直しができるだけで幸せなのだとエースは、サンジに告げる。
  それから二人して、ディナーを食べた。
  照明は少し落とし気味にして、互いの顔が見えるぐらいの暗さに絞った。
  こんなにも穏やかな時間は、久しぶりだと思わずにはいられない。
  サンジにしつけられたエースは、行儀よく食事を食べ終えることができた。いつものガツガツとした食べ方は、今夜は似合わないだろう。
  食事の後にサンジは、カクテルを出してきた。
  鮮やかな深い赤のカクテルに、エースはそっと口をつける。
  ほんのりとした甘さに、エースはしばしサンジの顔を凝視した。
  何食わぬ顔でカクテルを口にするサンジの目が、悪戯っぽく煌めいていないだろうかと探ってみた。
「──このカクテルの名前は、Kiss in the Darkって言うんだってさ」
  カクテルを飲み終えたサンジは、艶やかな笑みを浮かべて告げた。



  だから、戻ってきたばかりの居室が暗かったのかとエースは思う。
  だから、照明はいつもより落とし気味になっているのか、と。
  床に押し倒した華奢な体のそこここに唇を這わせながら、エースは微かに笑っていた。
  脇腹の肉の軟らかい部分を吸い上げ、痕をつけてやった。ビクン、と震えながらもこらえている様子が愛しくて、エースは手のひらで白い肌を撫でまわした。
「エース……」
  床の上で仰向けになったサンジは、膝を立ててエースを待っている。
「ここでする? それとも、ベッドに行く?」
  尋ねると、優しくエースにしがみつきながら、サンジは返した。
「ベッドに……」
  熱っぽいサンジの声に、エースの下腹部がじわりじわりと燻りはじめる。
  先に起きあがったエースはサンジの手を取り、助け起こすと、ベッドへと導いてやった。
  照明は、そのままにしておいた。



To be continued
(H20.12.8)



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