『LOVEがたりない 1』



  ──ラヴが足りない。
  呟いて、サンジは溜め息を吐いた。
  足りてないのは、いつからだろうか。
  満たされてると思っていたのは、あれはつい昨日のはずなのに、何故こんなにも満たされない、渇いてパサパサとした気持ちになるのだろう。
  休憩時間の一服を最後の最後まで吸いきってから、サンジはのそのそと厨房に戻っていく。
  一度落ち込んだ気持はすぐに浮上することもなく、サンジの胸の内でブスブスとくすぶり続けている。
  ラヴが足りない。
  呟いてサンジは、ほぅ、と、大きな溜め息を吐いた。
  ラヴが足りない。
  ゼンゼン、これっぽっちも、一ミクロンだって足りてやしない。
  一日の仕事を終えて部屋に戻ってからもサンジは、もやもやとした不快な気持を引きずっている。
  ささくれた気持ちのまま自室のキッチンに立ち、夕飯の支度をする。
  エースとの生活は楽しかったし、満たされているはずなのに、今のサンジには何かが足りない。
「どうしよう……」
  ぽそりと呟き、サンジはまた、溜息を吐いた。
  足りないのは、何だろう。ラヴだけではないような気がする。
  鼻の奥がツンと痛くなり、サンジは慌てて鼻を啜った。



  足音を忍ばせて侵入した厨房には、エースしかいなかった。
  閉店後のバラティエを、時間をかけて丁寧に清掃するのはエースの役目だ。毎日、コックたちが厨房を後にする頃を見計らって、エースは清掃を始める。料理が出来ない分を補うため、自分に出来ることならおおよそ何でもエースはした。特に厨房の清掃は、サンジが快適に料理を作ることが出来るよう、念入りにする。
  自分に出来うる限りのことをして、エースは、サンジが仕事に集中することができるように環境を整えてやる。それが、自分の役割なのだとエースは心得ていた。
  そんなエースが、サンジにはもどかしく感じられることもあった。
  お互いに対等の立場でありたいと思っているのに、バラティエのサンジの部屋で同居を始めたエースは、時々、何かに萎縮しているのではないかと思われることがあった。
  少し背を丸めた猫背の姿勢でモップをかけるエースは、見ていてどこかしら情けなく感じられる。サンジは苛々とドアの隙間から厨房に足を踏み入れると、一心不乱に床にモップかけをするエースの背に勢いよくしがみついていった。
「手をあげろ」
  しがみついたまま、エースの脇腹に指を突きつけてサンジは言った。
「ん……今、忙しいから後でな」
  そう言ってエースは、サンジの手に軽く触れる。
「もう少しでここの掃除が終わるから、少し、待ってろ」
  黙ってサンジがしがみついていると、エースはそのままの体勢で最後のひと掃きを終えてしまった。
「はい、おしまい」
  そう告げたエースの声は信じられないほど穏やかで、サンジは何故だかわけのわからない感情に支配されて、唇を噛み締めてしまった。



  二人で部屋に戻る。
  人気のなくなったバラティエの甲板を、手を繋いで部屋まで歩いた。
  ひやりと冷たい風の中、夜空を扇ぎ見ると雲の挾間から顔を覗かせた月が白く輝いていた。
  不意に立ち止まったサンジは、繋いだ手に力を込めた。
  すぐにエースが足を止め、サンジを振り返る。
「なに?」
  月明かりの下、エースは笑っていた。
「……キス、しよう」
  そう言うとサンジは、甲板の手摺りに自分の体ごとエースの体を押し付けていった。
  唇と唇を合わせ、息を吹きかける。厚ぼったいエースの下唇をペロリと舐めると、うっすらと唇が開き、中へといざなわれる。躊躇いもせずサンジは、舌を差し込んだ。
「ん……」
  腰を引き寄せられ、サンジはエースの背に腕を回した。
  冬空の下、あたたかな体温が衣服を通してサンジに伝わってくる。
  差し込んだ舌をエースの舌に絡めると、やんわりと吸い上げられた。じわりと頭の芯が痺れたような感じがして、サンジは唇の隙間から甘い溜息を吐いた。
「部屋に戻らないの?」
  今にもくっつきそうなところにある唇が、そう尋ねかける。
「早く、戻りてえ」
  上擦った声でサンジが囁くと、エースはクスクスと笑ってサンジの体を押しやった。



  部屋のドアに鍵をかけたサンジは、エースを床の上に押し倒した。
「なあ……何か、忘れてると思わねえか?」
  エースの腹の上に乗り上げたサンジは、神妙な顔つきで尋ねかける。
「忘れてる?」
  何か約束をしていただろうかと、エースは訝しそうにサンジを見つめた。
「忘れてるだろ?」
  ムッとしたような表情のサンジは、唇を尖らせて、やんわりとエースを睨み付けている。
「何を…──?」
  言いかけた途端、サンジの指がエースの頬をぎゅっ、とつねった。
「やっぱり、忘れてる」
  そう呟いて、エースの唇をペロリと舐める。
  赤い舌先を翻し、誘うようにエースを見つめた瞬間、ぐい、と腕を引かれ、サンジはエースの胸の上に倒れ込んでいった。
「降参。わからないから、教えて?」
  口喧嘩にすらならないような穏やかな声でねだられ、サンジは苛々と唇を噛んだ。
  エースのこの穏やかさが、勘に障る。サンジの気持ちを苛々とさせ、言いようのない不安が胸の内に染みこんでいく。たまには喧嘩をしてみたいと思う日もあったが、今までのところ、たいていはエースが折れることでサンジの不戦勝となっている。
「──…して、ない」
  掠れた、小さな声でサンジは呟いた。
「俺たち……バレンタイン、し忘れてた」
  呟いた瞬間、サンジの目尻がじんわりと熱くなった。
  慌てて唇をぎゅっ、と噛むと、エースの手が優しくサンジの髪を撫でつけた。
「バレンタインなんてのも、あったっけ……」
  このところ忙しくて忘れてたなぁ、と、エースは笑って呟いた。
  その声があまりにも優しくて穏やかだったものだから、サンジはまた唇を噛み締めなければならなかった。



  しばらくの間、二人は床の上で抱き合ったままじっとしていた。厚い胸板に耳をつけると、エースの心臓の音が聞こえてくる。
  規則正しい胸の鼓動に耳を傾けていたサンジは、そろりそろりと手を下へ動かしていく。
  バックルに指をかけると、片手で器用に金具を外した。エースのボトムを下着ごとずり下げてしまうと、ペロリと唇をひと舐めしてからエースに淡く笑いかけた。
「今、しよう」
  笑った端から、目尻に涙の粒が盛り上がってくる。笑い泣きの顔のサンジは、唇を噛み締めて俯いた。
「……バレンタイン、しよう」
  スン、とサンジが鼻をすすると、エースの手が伸びてきて、サンジのシャツのボタンを外し始める。
「バレンタインって、どんなコトするの?」
  確信犯的にニヤリと笑ってエースは、サンジの眼を見つめた。
「俺は、どうしたらいい?」
  低く甘い声で尋ねられ、サンジは体の芯がカッと熱くなるのを感じる。
「サンジに、何をしてあげたらいいんだろう?」
  サンジの体が、期待を込めて小さく震えた。
  返す言葉もないままに、サンジはエースの唇に指を押し当て、黙らせる。
「──何も」
  掠れる声で、サンジが告げる。
「何も、しなくていい。ただ、ラヴが満たされればそれで充分なんだ」
  そう言ったサンジの唇は、躊躇うことなくエースの性器を口に含んだ。



To be continued
(H20.2.25)



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