『雪の花びら』



  少し大きめの器にミカンとチェリーを入れて、エースが寝室に戻ってきた。
  ドアを閉めてベッドの隅に腰をおろしたエースから、ふわりと懐かしいにおいがしたような気がする。どこかで……確かに、どこかで嗅いだことのあるにおいだ。何のにおいだっただろうかと思いながらもサンジは、エースの腕にそっと触れた。
「どこ、行ってたんだ?」
  責めるようなことはしたくはなかったから、感情を交えないようにさらりと尋ねたつもりだ。エースはちょっとだけ首を傾げて、チェリーを取り上げた。
「はい、あーん」
  ちょん、と唇の先にひんやりとしたものが押し当てられる。
  うっすらと口を開けると、チェリーが口の中に入れられた。それからあたたかな指先がサンジの唇をなぞり、前歯にするりと触れてから、離れていく。
「冬咲きの桜を見に行ってきたんだ」
  と、エースは告げた。
「桜の木が何本もあってさ。ほんのりと緋色づいた花が咲いてるんだ、真っ白な雪の中で」
  遠くを見るようなエースの目は、何を懐かしんでいるのだろうか。海を? それとも、仲間を?
  黙ってエースの言葉の続きを待っていると、彼は小さく笑ってサンジを見下ろした。
「お前に見せたいと思ってたんだけど、いつも忙しそうだから」
  そう言って少し照れたような表情で、エースは拳を差し出した。
「手、出してみな?」
  エースに言われるがままに手を差し出すと、てのひらを上に向けるように言われた。怪訝に思いながらもサンジがてのひらを上に向けると、ハラハラと白い花びらが手の中に落ちてくる。桜の花びらだった。懐かしいと思ったのは、この花のにおいがエースからもほんのりと漂っていたからだ。
「これで、花見気分になんねえかな」
  シシ、と。悪戯っ子のようにエースは笑った。
  サンジも笑った。
  共犯者めいた笑みを浮かべて、二人は見つめ合った。



  エースが持って帰ってきたミカンとチェリーを二人で分け合った。
  一日、何も食べていないサンジはいつにも増してよく食べた。
  エースがミカンの皮を剥くのを待って、口を開ける。まるで甘ったれの子どものようだと自分でも思わずにいられない。それでもエースは、小さな袋ごとに分けたミカンを指で摘んでサンジの口の中に入れてくれる。爽やかな酸味と甘いミカンを、サンジは満足そうに咀嚼する。この味は、ナミさんのミカンのように優しいと、サンジは小さく微笑んだ。それから、味見とばかりにエースがキスをしてきた。唇の上にチュ、とキスをされ、サンジは喉を鳴らす。
  エースがいなかった時間のことなど、すっかりサンジの頭の中から消えてしまっているかのようだ。
  ベッドにゴロリと寝そべると、肘をついてエースを見上げる。
  薄暗い灯りの中で、男が動くたびに腕や肩についた筋肉が上下する。色っぽい。ゴクリと唾を飲み込んで、サンジは男の筋肉に見惚れた。
「ん?」
  顔を覗き込まれて、サンジはニヤリと笑った。
「イイコにしてたご褒美は?」
  しかつめらしくエースはサンジを見遣った。
  ミカンの袋をひとつ取り上げると、サンジの唇にそっと押しつけてくる。ひんやりとした感触が気持ちいい。サンジは舌を出して、エースの指ごとミカンをペロリと舐める。
「くすぐってえ……」
  嬉しそうに笑うエースの声を、サンジは心地よく思った。



  熱っぽさも、体の怠さも、喉の不快感すら、エースが帰ってきたと同時にどこかへ消えてしまっていた。
  体温の高い男の体にしがみつくことができてサンジは充分に満足だった。
  口づけを交わすと、それだけで腰にズン、と痺れるような快感が走る。いつまで経ってもエースの手が触れてこないのは、明らかに焦らすつもりでいるからだろう。
  ベッドの隅に置かれた器には、ミカンとチェリーと、それと桜の花びらが入っている。時々エースは、器の中からミカンかチェリーを取りだしてはサンジの口へと運んでくれる。
  ベッドの端に腰かけていたエースの太股に、サンジは手を置いた。てのひら全体で太股をそろりとなぞると、その意味を正しく汲み取ったエースがニヤリと口の端をつりあげて笑う。
「風邪、伝染してやろうと思ってっだろ」
  覗き込んでくる男の顔は愛嬌のあるそばかす顔だ。鼻をぎゅっと摘んでサンジは笑った。
「当たり前だ。アンタにはそういうみっともないのがお似合いだろう」
  サンジの風邪がエースに伝染れば、彼は寝込んでしまうだろうか。そうなったら俺が看病しなけりゃなと、サンジはのんびりと考える。栄養たっぷりのオートミールを用意して、一口ひとくち、サンジ手ずから食べさせてやるのだ。その合間にひとつ、ふたつ、キスをしたとしても誰も咎める者はいないだろう。
「なんかヤラシイな、その笑い」
  サンジの様子をじっと眺めていたエースが、ぽつりと呟く。
  ムッとしてサンジは、エースの股間をぐっと鷲掴みにした。



「ギャッ!」
  声を上げてエースは、サンジの手をはがしにかかる。
  わかっていてサンジは手に力を入れた。鷲掴みにしたエースの性器が、手の中で硬度を増していくのが感じられる。
「なんだよ。アンタ、マゾっ気があるんじゃねえの?」
「反射だ、反射。脊髄反射!」
  慌てたようにエースが言い返してくる。
  とはいえ、股間の膨らみは布地の上からでもはっきりとわかるほどだった。掴みこんだ手の力をそろそろと緩めながら、サンジはそのまま硬くなったものを手のひら全体で撫でてみた。
「ぅ……」
  低く、舌っ足らずな声が小さく呻き声を上げる。
  可愛いと、サンジは思った。ひとつ年上のこの男が、可愛くてしかたがない。好きで好きでたまらない。
  素早く男のバックルを音を立ててはずすと、布地の中から熱く熟れたペニスを引きずり出した。
「おい、サンジ?」
  怪訝そうにエースが声をかけてくるのを無視して、サンジは目の前の性器に食らいついた。はむ、と先端を口の中に収めると、舌で亀頭を嘗め回す。舌先で尿道口の割れ目を刺激しては、滲み出す先走りを吸い上げる。
「んんっ…む、っ……」
  グチュ、グチュ、と音を立てて先端を舐り回していると、エースの指がサンジの髪を優しく梳いてきた。
「ん、ぅ……」
  チュパッ、と音を立てて口を離すと、エースが心配そうに眉をひそめていた。
「無理すんなよ」
  そう言ってエースは、サンジの体を引き寄せる。あっという間に形勢が逆転した。クルリと世界が一回転したかと思うと、サンジはもう、エースの体の下に敷きこまれていた。
「サンジの風邪が治ったら、花見に行こう」
  嬉しそうに告げるエースは、サンジの頬に自分の頬をそっと摺り寄せていく。
「雪と、桜と、うまい酒と。いいと思わねえか?」
  サンジは自分の上にのしかかる男の体重を感じながら、目を閉じた。
「──ああ。いいな」



  結局その後、風邪のせいでサンジは眠ってしまった。
  翌朝、早い時間に目が覚めたサンジの目の前にはほんのりと緋色に色づいた桜の花びらが広がっていた。夕べ、エースが持って帰ってきた花びらを、夜のうちにシーツの上にばら撒いてしまったらしい。枕元に転がる器の中は、空っぽになっていた。
  驚いたものの、サンジは怒る気にはなれなかった。
  隣で眠る男のあたたかさを感じることができたから、もう、怒ることなど何もなかった。
  気持ちよさそうに高鼾で眠る男の頬に指で触れてから、サンジは体をピタリと寄せて目を閉じる。
  時間なら、まだ少しある。
  今日こそは厨房に立ってバラティエを切り盛りするのだと思いながら、ウトウトと眠りに引き込まれていく。
  最後に身じろいだ時に、エースの腕が無意識のうちにか、サンジの腰に回されるのが感じられた。
「あったけぇ……」
  呟き、サンジはさらに体を男のほうへと寄せていく。
  鼻先をくすぐる微かな桜の花のにおいが、眠りを誘っている。
「少しだけ、な」
  口の中でもごもごと呟き、サンジは意識を手放した。
  あたたかな体温と、男の鼾が心地好かった。



END
(H22.12.31)



        


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