あの夜から何日か経っている。
それまでもルフィとは何度かキスを交わしたことがあったが、性的なものからくるキスではなかった。
単なるじゃれ合いの延長にしか思えない行為だったから、ゾロもあえて抗うことはしなかった。
しかし、この間の夜は違っていた。
ルフィはあの瞬間、ゾロを欲していた。
もしかしたら月のせいかもしれない。青く煌めく月の光のせいで、そんな風に思ってしまったのかもしれないが、それでも、あんなキスはもう二度としてはいけないとゾロは思った。
二人とも、それぞれに夢を持っている。
その夢のために、あんなことは断じて二度と、してはならない。
叶えなければならない夢は、自分一人の手にも余るほど大きくて。しかしそれでも自分たちは、ゆっくりと着実に、夢へと向かって進んでいる。
まずは、自分たちの夢を叶えるのが先だ。
夕暮れ時の鍛錬の終わりに近付いてくると、軽やかな足取りが近付いてきた。
足音だけで、ルフィだとわかった。
鍛錬の手は休めずに、ゾロは顔をあげた。
コックの作る料理のにおいが風に乗って流れてくる。もうすぐ、夕飯だ。
「ゾロ、ちょっとだけ手を止めろ」
ニコニコと笑いながら、ルフィが近付いてくる。
「なんだ?」
怪訝そうに首を傾げると、ルフィは真面目な表情をしてもう一度告げた。
「だから、手を止めろって言ってるだろ」
その勢いに押されて、ゾロは鍛錬の手を休めた。両手をだらりと脇に垂らし、じっとルフィを見つめる。
「さっき、さ……」
と、嬉しそうにルフィはさらに笑みを深める。
「サンジにもらったんだ、このアメ」
ベー、と舌を突き出したその上に、ピンクと黄色の入り交じったカラフルなアメが乗っていた。
「ほう」
嬉しくて仕方がないのか、ルフィはそのままの姿勢でずい、とゾロのほうへと顔を寄せていく。
「それをどうしろってんだ」
顔をやや背け気味にして問うと、ルフィの手が、汗でしっとりと湿ったゾロの肩をぐい、と引き寄せた。
「味見、させてやるよ」
有無を言わさぬ強い口調でそう言うとルフィは、ゾロに唇を押し付けた。
無理矢理、唇を奪われた。
唇の隙間から甘い香りがふんわりとゾロの口の中に広がった。
「ん、んっ……」
身を捩ろうとすると、華奢ではあるが力強いルフィの手に阻まれた。
舌が、うっすらとあけた唇の隙間から腔内に潜り込んでくる。うねうねと口の中を動き回るルフィの舌と、甘い甘い飴玉の味が、唾液と一緒にゾロの喉を下っていく。
つ……と、甘い味のする唾液がゾロの唇からポタリと零れ落ち、ルフィの腕に透明な軌跡を残した。
ゆっくりと唇をはなすと、ルフィはニヤリと笑った。
「ウマいだろ?」
尋ねられ、ゾロは片手で自分の唇を覆う。
「……甘い」
ふて腐れたようにゾロは告げた。ルフィは剣だこのできた手を取り、しっとりと湿ったゾロの唇をペロリと舐めた。
「当たり前だ。飴だからな」
そう言いながらルフィは、ちらりと上目遣いにゾロを見遣った。
獣のような鋭い眼光に、ゾロの背筋がゾクリとなる。
神妙な顔つきでルフィは、ゾロの方へと手を差し伸べる。
「もう一回、いいだろ」
命令するかのように言い放ったルフィはゾロの腕を取り、もう片方の手は見た目よりも華奢な剣士の腰に回した。
「も、いっかい」
少し掠れたあどけない少年の声が、ゾロの思考を鈍らせていく。
「一回だけだぞ」
そう言いながらも、一回ではすまされないだろうことをゾロは知っている。
貪欲で我が儘なゾロの権力者は、これしきのことで満足しなくなってきている。いつか近い日に自分は、目の前の男に食われてしまうかもしれないと、そんなことを最近、ゾロは考えるようになっていた。
キスの合間に、ルフィの手は、ゾロの腰をやわやわと撫でさすっている。無防備な足の間にルフィの膝が入り込んできて、内股を何度もなぞり上げられた。
「一回だけだと言った」
散々唇を吸い上げられ、口の中を柔らかな舌で蹂躙された後に、ゾロは文句を言った。
「ケチだな、ゾロは。自分だって楽しんでたくせに」
唇を尖らせて、ルフィが呟く。
そうなのだ。実は、少し……いや、かなり、楽しんでしまった。ルフィの唇の熱っぽさや、柔らかな舌や、吸い上げられる感覚に、ゾロは酔っていた。
ルフィの膝頭がゾロの内股を擦り上げると、それだけで体中の熱がある一点に向かって集まってくるのを感じもした。
そして、そういったことを素直に白状するのは悔しくて、恥ずかしくもあった。
わざと怒ったように自分を取り繕い、何でもないようなふりをするのは、年上の特権だ。
「……じゃあ、もうさせてやんねえ」
ぷい、と顔を背けた途端、ルフィの腕がゾロの腰にしがみついてきた。
「だめだ! お前の嫌がることはしないから、また……キス、させてくれよ」
駄々をこねる子供のように、ルフィはゾロにまとわりついていく。
「なぁ、頼むよぉ」
そんなふうにお願いされてしまうと、ゾロとしては聞いてやらないわけにはいかなくなってくる。
「──…絶対か?」
様子を窺うように尋ねると、ルフィは大きく何度も首を縦に振る。
「絶対だ。約束する」
勢いよく即答するルフィに、これは失敗したかなとゾロは眉間に皺を寄せた。
「約束するから、その前に、も、いっかい!」
大きな声でルフィはそう言い放つと、ゾロの頭を両手で抱きかかえるようにして唇を合わせた。
「も、一回……」
言いかけたゾロの声は、キスにかき消された。
こんなことをしている場合じゃないのにと、頭の隅っこでゾロは思う。
互いの夢のため、叶えるべき未来のため、単なるおふざけ以上のものを求めてはいけないと、ゾロはそんなことを考えていた。
だけど、その前に。
ルフィではないが、もう一回だけ。
合わせた唇の隙間から洩らした吐息は、甘くもあり、苦くもある、恋の吐息だった。
END
(H19.9.28)
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