ゾロの誕生日は、二人だけで祝うんだ──そう、ルフィが言ってきた。
日頃、子供子供していて隙さえあれば摘み食いや盗み食いをしているこの船長が……色気なんて皆無にも等しそうなこの少年が、そんな言葉をゾロに耳打ちしてきたのだ。
仲間のいないところではこの少年の表情が、酷く大人びて艶を含むことを知っているゾロは、複雑な気持ちで頷くしかなかった。
もちろん、ルフィのことは船長として、尊敬している。彼の男気には、純粋に惚れてもいる。しかしそれ以上をルフィが望んでいることもまた、ゾロは理解していた。
ルフィが望んでいるのは、ゾロとの体の関係だ。
これは、恋愛感情というのだろうか。
ゾロには今ひとつよくわからない。
このまま先に進みたいのか、進みたくないのか。そんなことさえも、自分では判断をつけることができないでいる。
何よりも厄介なことは、自分自身のそんな曖昧な気持ちも、ルフィの一途でストレートな感情表現も何もかも全てひっくるめて、今の状況がゾロは気に入っているということだ。
おそらく。
もしかしたらゾロ自身、心の中のどこかで、ルフィの望むような関係になってもいいと思っているのかもしれない。
だから、厄介なのだ。
こんなにも複雑な気持ちは、初めてで。
どうしようかと、ゾロは大きな溜息を吐いたのだった。
誕生日の前日から、ルフィは落ち着きがなくてそわそわしているようだった。
自分の誕生日でもあるまいし、なんでルフィが落ち着きをなくすのだろうかと、ゾロは不思議で仕方がない。
ウソップやチョッパーと騒ぎながらもルフィは気もそぞろで、何を探しているのか始終キョロキョロとしている。普段から落ち着きのない船長だが、今朝は幾度となく見当違いのことをしているということに、誰もが気付いているようだ。
船首でごろんと寝そべったかと思うと、不意に起き上がって左右を見、空を見上げてはまたパタリと寝そべる。そのまま寝返りを打ったかと思うと、ゴロゴロと転がって船首からぶら下がって甲板に飛び降り……そんなことを繰り返しては、溜息を吐く。
腹の調子がおかしいわけでもなさそうだから放っておこうと、皆はあまり気にしないようにしているらしい。
なんと言っても、食欲の落ちないところが彼らしい。
自分としては、大人しく明日の誕生日本番を楽しみにしていたほうが身のためだろう。
きっとあの子供じみた我らが船長は、とてつもなく嬉しそうな瞳をキラキラとさせて、ゾロの誕生日を祝ってくれることだろう。
口の端をニヤリと吊り上げ、ゾロは甲板を後にする。
トレーニングは別に、甲板でなければできないというわけではなかった。
その日は朝から皆が忙しなさそうだった。
誕生会は夕食の時にするからとナミから声をかけられていたから、ゾロはいつもと変わりなくトレーニングに励んでいる。
腕立て伏せに、腹筋、背筋、片手倒立。ダンベル上げに兎跳びとこなして、昼食の後は甲板の隅で昼寝をする。
釣り竿を垂らすウソップとチョッパーの賑やかな声。ルフィは相変わらず甲板を行ったり来たりし、それに飽きると船首でゴロゴロしたりマストに上ってキョロキョロとあちらこちらを眺めている。
薄目を開けるとゾロが昼寝をしていたすぐ近くで、ウソップが釣り糸を垂らしていた。
「──釣れるか」
神妙な顔つきで釣り糸を垂らすウソップに、そっと声をかける。
魚が釣れればその日の夕飯としてサンジが料理してくれる。長い航海の間に野菜も肉も新鮮なものはどんどん減っていく。唯一魚だけは新鮮だった。誰かがうまく大物を釣り上げてくれた日に限っては、だが。
「さっぱりだ。だけど、釣れなきゃお前の誕生パーティが寂しくなるからな。もうちょっとしたら大物を釣り上げてやるから、楽しみに待ってろよ」
そう言ってウソップは、自慢の長鼻をヒクヒクさせる。
「ま、このオレ様の手にかかれば、釣れねぇ魚はいないからな」
また大事を口にしてと鼻で笑いながらもゾロは、目の前のこの男ならもしかしたら、とも思っている。ほんの少しだけだが。
「まあ、せいぜい頑張ってくれ、俺の晩飯のために」
ウソップが大物を釣り上げてくれれば、それだけ料理が増えることになる。昨日からサンジは備蓄の在庫がとかなんとかブツブツ言っていたから、ここでウソップが獲物を仕留めることができたなら、大手柄になるだろう。
顔を上げると目の端にルフィの姿が飛び込んでくる。
何やら小難しそうな顔をして、チョッパーと話し込んでいる。
まあ、しばらくは放っておいてやるかと踵を返すとゾロは、場所を移して昼寝の続きをすることにした。
夕方の風が頬を撫でていくのを感じて、ゾロは目を覚ました。
穏やかな風は濃厚な潮の香りを含んでいる。
顔を上げると、目の前にナミが立っていた。
「そろそろ始めるわよ」
何を、とは言わなかったが、自分の誕生パーティだということはわかっていた。
「ああ」
面倒くさそうに呟くとゾロは、よいせのかけ声と共に立ち上がる。
今夜甲板にテーブルを出してきて立食風にした状態を見て、昼寝をしながら周囲が賑やかだったことにようやくゾロは思い至った。あれは、テーブルを出したり料理を運んだりしていたから騒がしかったのだ。料理に手を出したくてたまらないルフィが、うろちょろとサンジの後をついて回っている。
やっぱり食い気に勝るものはないのだなとゾロは、小さく鼻先で笑う。
ゾロがやってくるのに気付いたルフィが、早く、早くと眼差しで訴えかけてくる。目の前に並ぶ料理を口にしたくてたまらないといった様子だ。
「じゃあ、始めるわよ」
ゾロがテーブルにつくのを待ってナミが高らかに宣言する。
それぞれが手にクラッカーを持ち、ゾロのほうへと顔を向ける。
サンジお手製のバースデーケーキがゾロの前にあった。見るからに甘そうだが、どうせ食べるのはほとんどルフィだろうから、気にすることはない。
「ゾロ、早く蝋燭の火を吹き消せよ」
足下に立つチョッパーが、羨望の眼差しでケーキを見つめながら声をかけてくる。
すぅ、と息を吸い込むとゾロは、一息にケーキの上に並んだ蝋燭の炎を吹き消した。
「ハッピーバースデー!」
ルフィの声と同時にクラッカーが鳴り、紙吹雪があたりに飛び散る。
「さあ、皆どんどん食え。ウソップが大物を釣り上げたから、今日は好きなだけ食えるぞ」
やや乱暴な口調でサンジが言い、早速空になった皿のかわりをテーブルにドン、と置く。人の頭ほどの大きさの魚の頭を真ん中にした料理だ。
「うまそーっ!」
ウソップとチョッパーが声を揃え、料理に取りかかる。その間にもルフィは、二皿、三皿と料理を空にしていく。
ゾロは、申し訳程度に切り分けたケーキを食べながら一升瓶をちびちびと飲んでいる。
仲間がいて、腹一杯食べて飲んでして、こんなに楽しいことはないと思う。
ちらりとルフィのほうへと視線を向けると、一瞬、互いの視線が絡み合った。
「シシシ」
ニカッと笑ったルフィの表情は、今は子供のように純真なものだ。
この様子では、二人きりで祝うのはまだまだ先になりそうだなとゾロは小さく笑う。
それよりも、この気持ちに名前を付けることのほうが先だろう。単なる好意なのか、それとももっと別の感情なのか。自分はいったい、ルフィとどうなりたいのだろう。どんな関係を望んでいるのだろう。
どちらにしたところで、自分が今のこの状況を気に入っていることにかわりはない。
複雑で、厄介な感情に振り回されているのも、悪くはない。
手元の一升瓶に直接口をつけて煽るように飲むと、酒の香りが直接胃に染みるような感じがする。
ふくよかな香りと、喉を焼くような熱さの喉ごしに、自然と笑みが浮かんでくる。
顔を上げるとまた、ルフィと目が合った。
仲間たちに祝ってもらいながらまるでルフィと二人きりで誕生日を祝っているような錯覚を起こしそうになって、ゾロは口の端を吊り上げて笑いかけた。
ルフィもまた、「シシシ」と笑う。
一瞬、その場に二人きりしかいないような感じがした。周囲のざわめきが不意に消えてなくなって、しんと静まり返った甲板で、二人きりで対峙しているような感じがする。
「おら、もっと食えよ」
荒っぽい仕草で新たな料理をテーブルに並べるサンジの声に、すーっと静けさが四散していく。
瞬きをひとつするくらいの短い時間の間に自分は、いったい何を見ていたのだろうとゾロはやや怪訝そうに眉間に皺を寄せた。
たった今、ルフィと二人だけの瞬間が確かにあった。
「なぁにぃ〜? もう酔いが回ったの〜?」
意地の悪い言い回しでナミが声をかけてくる。
「うっせ」
まだ、これからだとゾロは息巻いて、手元の一升瓶をまた煽り飲む。
一気に半分ほど飲みきったところで、今度は目の前にサンジの料理が出てくる。
「ほら、食え。こっちの魚はルフィが釣ったやつだ。お前のために調理してくれって持ってきたんだぜ、アイツ」
からかうようにサンジが耳打ちしていく。
ウソップが吊り上げた魚のように大きくもなく、ちんまりとした魚だったが、サンジはボリュームが出るようにうまく調理してくれていた。さすが料理人だなと妙なところで感心していると、耳元にルフィの「シシシ」と笑う声が聞こえたような気がした。
顔を上げると、皆、楽しそうに笑っていた。食べながら、飲みながら、それぞれが思い思いの表情で楽しんでいることがわかる。
「……ああ」
いいな、こういうのは。
口の中で呟いてゾロは、ルフィが釣ったという魚をじっくりと味わうことにした。
END
(H19.10.15)
(加筆修正H26.9.14)