むず痒いような、もどかしいような、奇妙な感覚に捕らわれて、ルフィはきょろきょろとあたりを見回す。
胸の中がざわざわとして、なんだか落ち着かない。
しばらくあたりを見回して、自分を悩ますものが何もないことを確かめると、甲板の片隅でおやつのドーナツに再び手を伸ばす。
むず痒い感じは、今も続いている。
何がそんなに気になるのだろうか。
何を自分は、気にしているのだろうか。
首を傾げ、それでもドーナツを食べ続ける。
あんぐりと口を開けて、最後のひと皿分を口の中に放り込もうとしたところで、ふと手が止まる。
目の端に、緑色の頭が見えた。
手元のドーナツをどうしようか数秒にも満たない短い時間で考えて、一個だけ取り分けると、他は全部口の中に放り込んだ。
甘くて、ふんわりとしてて、砂糖の味にほんのりと幸せになる。
ニコリと笑ったルフィは、ゾロに向かって大きく手を振った。
「ゾロ、ドーナツ食わねえか?」
二人でメリーの頭に並んで座って、ドーナツを食べた。
ルフィがよけておいたドーナツを、ゾロは半分に割ってくれた。
「お前、まだ足んねえんだろ?」
口の端をニヤリとつり上げて、ゾロが笑う。
「ん、足りねえ」
答えたルフィも、シシシ、と笑う。
口の中に放り込まれた半分のドーナツを、ルフィは味わって食べた。
あまりにも穏やかな午後だからだろうか、二人で並んで座っていると、なんとなくいい気分になってくる。
ルフィは黙って肩を、ゾロの二の腕に押しつけた。
そっと寄り添うと、相手の体温が感じられて心臓がドキドキと鳴った。
自分の心臓の音なのか、それとも相手の心臓の音なのかもわからなくなって、ルフィはちらりとゾロのほうへと視線を馳せた。
「ドキドキいってるな」
どこか照れたような表情で、ゾロが告げる。
「ん……そうだな」
頷いて、ルフィは正面へと向き直った。
ドキドキと心臓がうるさく鳴っている。
しばらく二人でそうして並んで座ったまま、海を眺めていた。
そのままいつしか、寝入ってしまっていたらしい。
先に目を覚ましたのはルフィだった。
ゾロはまだ、ぐっすりと眠っている。
太陽に雲がうっすらとかかり、少しばかりひんやりとした空気になったような気がする。
「なあ、キッチンでサンジにおやつ作ってもらおうぜ」
無邪気にルフィは声をかけた。
先ほど、ドーナツを食べたことはすっかり記憶の向こうにいってしまっている。
「んあ?」
寝ぼけ眼でゾロは、声にならない声を発した。
「だから、おやつだよ。おやつ、もらいに行こうぜ」
ルフィの言葉に、ゾロは頭をポリポリとかきながら考えた。さっきルフィが食べていたのは、午後のおやつだったのではないだろうか。それに、照りつける太陽を見ても、今頃からサンジがおやつを作ってくれるとは思えない。
「俺は、いらねえ。お前、一人でもらいに行ってこいよ」
そう告げるとゾロは、再びメリーの頭の上で昼寝の続きを楽しもうと目を閉じる。
「なんでだ? 二人で食うからウマいのに」
そう返したルフィの表情は、きっと憮然としたものになっているのだろう。
目を閉じたままゾロは小さく笑った。
キスを、した。
狸寝入りをしてしまって、何を言っても言葉を返してくれないゾロにヤキモキして、つい、唇に噛みついてしまった。
やんわりとゾロの下唇を甘噛みすると、ピクン、と筋肉質な体が緊張したのが感じられた。
「お前……こんなところでキスするか?」
緑色の瞳がうっすらと開き、ルフィをギロリと睨み付ける。
「だってゾロ。お前、俺の話、全然聞いてくれてねえだろ」
口の先を尖らせてルフィが言うのに、ゾロは微かに笑った。
いつまでもルフィの声を聞いていたくて、つい、寝たふりをしてしまった。一人で喋り続けるルフィはなんとも楽しそうだった。
すぐ側で聞いているのに、不思議と飽きないのだ。
「聞いてるさ」
そう返したゾロの言葉に、ルフィは不機嫌そうな表情を向ける。
「本当に?」
普段の二人なら、こんなつまらないことで気にしたりすることもないだろう。
ルフィは拗ねたように唇を噛み締めて、ゾロの唇に指の腹で触れた。
二人だけになると、時折ルフィは、不安感に駆られた。いつもは近くに感じられるゾロが、遠くに行ってしまったような、そんな感じがする時があるのだ。
「聞いてる」
ぶっきらぼうに返すゾロの額に、ルフィは今にも泣き出しそうな表情のまま、唇を押しつけた。
押しつけた唇の隙間から、ルフィは相手の口の中に舌をねじこんでやった。
驚いたようにゾロの手があがり、ルフィの腕をぎゅっと掴んだ。おそらく最初は、制止するためにあげられたのだろう。
するりと口の中に潜り込んだ舌が、ゾロの舌を絡め取る。
腕を掴んだままのゾロの手は、いつの間にかルフィの腕を優しくなぞっていた。指の腹で内側の柔らかい肉の部分をなぞると、合わせた唇の隙間から、甘い吐息が洩れ聞こえた。
「キスがしたかったのか?」
唇が離れた一瞬の隙に、ゾロが尋ねた。
至近距離にある互いの唇は、どちらかが喋るとわずかに触れ合うほどだ。
「違う」
憮然と返すルフィに、ゾロは首を傾げた。
「じゃあ、どうして……」
言いかけたゾロの言葉を遮って、ルフィは怒ったように呟いた。
「胸ン中がざわざわして不安になるんだよ、お前が喋ってくれねえと」
ルフィの言葉に、思い当たる節がないでもない。
ゾロは微かに口の端を歪めた。
「ずっと、寝てるか、黙ってるかどっちかだろ、お前」
言われてみれば、そうかもしれない。
しかしゾロだって、胸の中がざわざわとすることがあるのだ。
自分が、このポジションにいてもいいのだろうかと、ゾロだって考えてしまう時がある。愛だの恋だのといった色恋以外での自分のポジションは、メリー号の中でははっきりとしている。自分でもそこのところは理解しているし、そのポジションに相応しくあろうと思っている。
しかし恋愛となると、また別なのだ。
同じ男同士でつきあっていこうと思うと、どう対処していいのかわからなくなってしまう時が、ゾロにだってある。
それはまさにルフィが口にした、ざわざわして不安になる感じと同じものではないのだろうかと、ゾロは思った。
「俺も、同じだ」
はっきりとそう告げると、胸のざわめきは少し、静かになった。
拗ねたルフィの横顔を見ると、胸のざわめきが大きくなる。不安や迷いを取り込んで、ざわめきは暗く大きく育っていく。
「本当か?」
探るように、ルフィがゾロの目を覗き込んできた。
「本当だ」
そう返したゾロの目の前で、ルフィが満足そうに大きく微笑む。
胸のざわめきは、トクン、と高鳴った。
ほんの少し前までは暗雲立ちこめる真っ暗なざわめきだったものが、次第に明るく、明るくなっていく。
「お前も、胸ン中がざわざわすること、あるのか?」
真剣な表情でルフィが尋ねるのに、ゾロは生真面目そうな顔でこたえた。
「皆、同じだろ」
ルフィが笑っている時の胸のざわめきは、不快ではないことをゾロは知っている。
潮焼けした焦げ茶色の髪の房に唇を当てて、ゾロは笑った。
「俺も、お前と同じだ」
そう言って返した途端、ルフィの顔が無邪気な笑みを浮かべる。
「そうか、一緒なのか」
そう言って、ゾロの指先に軽く唇を押し当てた。
小さく喉を鳴らして喜ぶルフィを見て、ゾロの胸が嬉しそうに、ざわめいた。
END
(2008.10.23)
|