『寝息』
ぐっすりと眠る男の手に、そっと指をのばした。
あたたかな体温と、穏やかな寝息。まるで大きな子どものように、しかし眉間に皺を寄せたままの険しい表情で、男は熟睡している。
夜明け前のすずしやかな風がどこからか入り込んできて、肌をなでていく。
男が、小さく身じろぎをした。
静かな、静かな時間。
もう少ししたら、食事の用意を始めなければならない。
それまではこの穏やかな時間を堪能しようと、サンジは床の上に放り出してあった煙草のケースを、空いている方の手で引き寄せる。
器用に片手だけで箱の中の煙草を取り出し、床板を擦ってマッチに火をつけた。
煙草をふかした。
ふぅぅ、と深く煙を吸い込む。
濃く深い味が、ゆっくりと喉の奥へと流れ落ちていく。
肺に満ち渡る至福の香りに、サンジは恍惚として目を閉じた。
男とは、一夜限りの遊びだと思っていた。
自分も男だったから、そう何度もこんな関係を続けることになろうとは、もしかしたらその時には思ってもいなかったのかもしれない。
とにかく、軽い気持ちで体を繋げてしまったことだけは覚えている。
初めての朝、まだぐっすりと眠っていた男を置き去りにして、サンジは男部屋へと戻った。それからハンモックの中でいつもの起床時間を待って、何食わぬ顔をしてキッチンに立った。男は前夜のことについては何も言わなかったから、サンジも同じように素知らぬふりをした。
やがて二人は、互いの関係について大っぴらに話すこともせず、かといってそのまま一度限りの関係だったというわけでもなく、時折、思い出したようにどちらともなく誘いをかけ、格納庫にしけこんでは相手の身体を確かめ合うようになった。
それだけで充分だった。
相手に何かを求めているわけではなく、ただそこにいて、互いの気が向けば抱き合って。そんなふうに、日々を過ごしてきた。
それでサンジは満足していた。
ゆっくりと紫煙を燻らす。
あかりとりの窓から差し込んでくる薄明かりに、灰色がかった朝焼けの色が混じりだす。
──ああ、今日も一日が始まる。
煙草を口にくわえたまま、サンジは床に散らばる衣服を身につけた。
まだ眠る男の額に軽く口付けると、格納庫を後にする。
ゆっくりと夜が、明けていく。
二人だけの秘密の時間は終わり、甘く残酷な現実が、やってくる……。
END
(2007.5.16)
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